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元号が変わった初日体調に異変が起こる・・・脳梗塞で右脚に異常発生

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2019年5月1日(水)、元号が平成から令和に変わった初日、即ち10連休が始まって3日目、体調に異変が発生し急遽救急車を呼び、星ケ丘医療センターへ入院することになった。

予め救急車を通して状況を病院へ説明していたので、すぐにMRIでの検査、頸動脈の超音波による検査等々が行われた。そして集中治療室で24時間連続での点滴治療が始まった。

集中治療室での治療は3日ほど続いたが、そのあとは一般治療室へ移り同様の治療が10日間行われた。即ち5月10日まで24時間の点滴治療が続いた。

治療のための点滴には、同時に2~3種類の薬液が使用されたため、2時間おきくらいにトイレに行かねばならず、当初5日間くらいはベッドの柵に尿瓶をぶら下げてもらいそれを使用した。

5日間が過ぎると尿瓶を止めて、点滴用の注射針をつけたまま車で動けるので、自分でそれを引っ張ってトイレ迄行きおこなった。夜中は1種類の薬液であったので夜中に目が覚めるのは多少軽減された。それでも2~3回は目が覚め睡眠不足を感じた。

点滴治療が終了するとリハビリが始まった。リハビリ専門の治療員が来て、入院しているフロア5Fでのリハビリ、30分程度の歩行訓練からスタートした。その他の時間は主にベッドでテレビを見るか横になっていた。ベッドでスマホは使えず退屈であった。幸い、後半は大相撲夏場所が始まっており唯一の楽しみであった。

リハビリも2~3日するとフロアを離れリハビリ専用の体育館へ行き、ウオーキングポールを使った歩行訓練、自転車こぎ、外へ出ての歩行訓練、等々日によって違う訓練が続いた。

訓練も1週間程経った後、担当の医師から私と家内に検査結果(MRIでの脳の状況、頸動脈の血管の状況)等々を含めた説明があり、退院の日が5月21日と決まった。入院から3週間での退院となった。

右脚の異常であるが、治療の開始が早かったため幸い後遺症が残ることはなかった。しかし、医師からは今後再発することも考えられるので、自動車の運転を止めるように忠告された。自転車であれば、電動でもOKの許可であった。

本来、退院することはうれしくルンルン気分になるはずであるが、今回は自動車の運転が出来なくなることが頭の中に引っかかっており、少し憂鬱な気分を伴う退院となった。

退院後、3週間すると喜寿の同窓会の予定でが来る。喜寿の同窓会については、脳梗塞が発生する前は参加するつもりでいたが、さすがに退院直後であり、歩行が充分満足に行えない状態でなので、断らざるを得なかった。

このブログを発行する頃には、喜寿の同窓会も無事終わっているだろうと推測しています。

2019年4月22日 (月)

インターネット・無線LAN&電話システム・・・環境を一新

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2月28日(木)、携帯電話をiPhone7からiPhoneXRへ乗り換えるためにソフトバンクを訪れた。乗り換えのプロモーションを行っていたので、それに乗っかる形で機種変更を行った。機種変更の話はここまでである。

携帯電話の機種変更とは別に、インターネットの話に話題が飛び、現在使用している光ファイバー方式から、ソフトバンクAirに変更することにより、月々の料金が大幅に軽減されます。と言う提案を受けた。

即ち、現在NTTの光ファイバー線を使用したインターネットとこれに電話信号を乗せたIP電話を同時に使用しているため、システムが結構複雑になっている。

今回提示された案は、インターネットと電話を切り離し、それぞれ別個に無線で信号を送受し、インターネットと電話を独立さすものである。

早速、その日に電話を独立して受信出来るかどうか環境をテストするため、受信機を借りて帰りテストすることにした。電源を入れ受信出来るかどうか確認したところ、上手く受信出来た。

そして、3月12日まで電源を入れ続け、3月12日に電話機を新しい無線で受信する機器に接続してテストした所、上手く繋がり開通となったのである。この無線で受信する電話システムをソフトバンクでは 「おうちのでんわ」 と名付けている。

一方、インターネットの方は 「ソフトバンクAirターミナル」 を設置し、外からのインターネット信号(Wi-Fi)を直接無線で受信し、家庭内に設置している無線LAN端子へ入力させるものである。

新しい方式が上手く行くことが分かったため、従来の 有線方式から完全な無線方式に切り替え 、すべて設備を入れ替えた。従来の設備はそれぞれ、光ファイバー終端装置はNTTへ、光BBユニットはソフトバンクへ返却した。

独立させたことのメリットは、1.システムが複雑であったのが非常にシンプルになった。2.インターネットの月々のランニングコストが安くなった。3.通常使用していた有線電話はIP電話であったため電話を掛けた相手に表示される番号は、050-1553-**** であり、相手先から不明の電話と疑われていた。所が、これからの電話は従来から使用して来た電話番号、072-894-**** で表示されるので、相手から疑われる心配がなくなった。

システムの違いを文章で説明しても判りづらいと思うので、ブロック図で説明します。以下の文字をクリックすると繋がります。

インターネット・無線LAN & 電話システム 変更前・変更後

パソコン・インターネットを使用する環境は、着々とより便利な方へ改善されているが、肝心要の使用する本人がパソコンを長時間使用出来なくなって来ていると言う矛盾もある。即ち、健康上以前のように何時間も連続してパソコンの前に座れなくなっているのである。

2019年4月 9日 (火)

大阪ダブル選(知事・市長)維新勝利・・・ここまで圧勝するとは思わなかった

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2019年4月7日、第19回統一地方選の前半戦が投開票された。大阪では大阪都構想の是非を問う大阪府知事・市長の「ダブル選」も急遽追加して行われた。

大阪都構想の制度設計を議論する法定協議会で、大阪維新が提起する案が公明党の裏切りにより否決された。当初公明党は維新と「都構想に関して協力をする」と言う密約を結んでいたのであるが、最後に来て反故にしてしまったのである。

公明党が約束を反故にしたことに対して、維新の松井知事は怒りを爆発させ、今維新として取れる対抗手段、即ち「松井知事、吉村市長、が任期途中で辞任し、お互いをクロスさせる選挙選に打って出る」と脅しを懸け公明党に翻意を促したのであるが、功を奏することなく、公明党は淡々と維新案を否決してしまったのである。

その結果、本来今年の秋行われるはずであった知事選挙、市長選挙、が前倒しとなり、今回の統一地方選挙と併せておこなわれることになったのである。

この知事選挙、市長選挙に対抗するため自民党・公明党は、急遽対立候補を擁立し選挙戦に臨んだ。都構想に反対する他の野党も総ぐるみで自民党・公明党が擁立する候補を自主的に応援する形を取った為、候補者は無所属で立候補し、維新以外のすべての党の応援を受け入れた。結局、維新対他の党すべてと言う野合状態 になったのである。

維新の知事候補「吉村洋文氏」の対抗馬としては、元大阪府副知事の「小西禎一氏、維新の市長候補「松井一郎氏」の対抗馬としては、元市議の「柳本顕氏 がそれぞれ立候補し選挙戦に入った。

吉村洋文氏に対抗する小西禎一氏が相手に決まった時は、私の直感で吉村氏の勝利は間違いないと感じた。小西禎一氏の知名度は非常に低かったのに加えて、吉村氏の市長としての実績が光っていたので勝負にならないだろうと思った。

即ち、吉村氏の実績は大阪市の財政の立て直し、地下鉄の民営化、松井知事との二人三脚による大阪万博の誘致成功、IRの誘致(まだ決定していないが間違いなく決定見込、等々目覚ましいものがあり、どこの馬の骨か分からない小西氏では太刀打ちできないだろうと見ていたのである。

選挙選では、最初から吉村氏が先行しているとの報道もあり、本人も自分の選挙選より市長選が気になり、ほとんど大阪市内を回り松井市長候補の応援を兼ねて維新をアピールする戦術を取っていたのである。

一方、維新の市長候補松井一郎氏に対抗する柳本顕氏が決まった時には、これはちょっと手ごわい相手であると感じた。と言うのは前回の都構想の賛否を問う投票が行われた時、都構想反対の先鋒に立ち指導したのがこの柳本顕氏であったからである。

選挙戦が始まった時点では、両者の優劣はつけられず五分五分のスタートであった。所が、選挙戦中盤頃から松井氏がやや先行していると言う報道が目立ち始めた。選挙戦後半に入るとはっきり松井氏が優勢であると言う報道に変わって来た。ここで今回の選挙戦は、維新が知事戦、市長戦ともに制するだろうと確信したのである。

まさにその通り、選挙終了と同時に出口調査の結果、吉村氏、松井氏、両者の当確が決定したのである。しかも大差での圧勝であった。知事選はダブルスコアでの勝利、市長選は58%獲得の勝利となった。

所が、知事選、市長選のみにかかわらず、府議会選、市議会選においても維新が圧勝したのである。と言うことは、維新トップの判断で任期途中でのクロスのダブル選挙に打って出たことが、下部の選挙選にも影響を与え予想外の結果を生み出したのである。いわゆる維新の風が強烈に吹いたのである。

府議会選では、維新は改選前40議席から51議席へと議席を伸ばし定数88の過半数を獲得するに至った。市議会選では、維新は改選前33議席から40議席へと議席を伸ばし定数83の48%を獲得するに至ったのである。

府議会選での極めつけは、自民党の府議団幹事長を務める花谷充愉氏が維新の新人候補に敗れたことである。大阪都構想の制度設計を議論する法定協議会で花谷充愉氏は維新の提案を拒み、他会派を誘導し否決へ導き、さんざん維新を痛めつける姿をテレビで何度となく見ていたので、花谷氏の落選がなんとなく哀れに映ったのである。

そして、私の地元交野市の府議会選挙でも自民党の現職が維新の新人女性候補に敗れると言うハプニングが起きたのである。

さて、これから先の大阪の政治であるが、大阪の発展いや日本の発展をも牽引して行くべき重要なイベントが目白押しである。即ち、6月にG20、9月にワールドカップ・ラグビー大会、夢洲へのIR誘致、夢洲での万博開催、等々である。

これらのイベントをスムースに進め大阪・日本を発展へと導くためには、大阪の府と市がバラバラではなく一体となり、協力して行かねば到底なし得ないことである。イベントだけではなく、ちかじか想定される自然災害に対しても同様である。

都構想の実現は、ただ単に大阪の発展だけではなく、その先にある日本の統治機構の改革を進め、東京一極集中ではなく、全国を万遍なく発展さすための道州制へと導くステップとしなければならないと思っている。

2019年3月10日 (日)

東海道五十三次完歩チャレンジキャンペーン終了・・・最終日にやっと達成

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2018年10月1日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり」 をしようという催しがスタートしました。

私は、<東海道五十三次コース> 「初級」 コースを選択してスタートしました。「初級」 は一日5,000歩を基準歩数としてカウントし目標達成にチャレンジするものです。

所が、2018年10月~2019年2月までの5か月間で達成するためには、一日5,000歩では完歩に至らず、一日5,469歩が必要な歩数です。

従い、当初から一日5,500歩を目標にしてチャレンジを始めました。私の歩行実力は、従来のカウンター(一歩動けば一歩カウントするもの)で一日7,000~7,500歩であり、洋友会から配布されたカウンターに換算すると一日5,000歩程度であると計算していました。

やはり、洋友会配布のカウンターで5,500歩を達成するためには、従来のカウンターで計測すると一日8,000~8,500歩位、歩かねばならないのです。

チャレンジを進めて行くうちに、私にとってはこれはかなりきつい数字であることが分かって来ました。前半の3か月間結構頑張って歩いて来たつもりでしたが、結果は10,527歩不足する数字で終わりました。

後半の2か月で挽回が必要ですが、後半の2か月は1~2月と言う寒い時期でもあり、挽回が難しいのかなと言う思いでチャレンジを続けました。あまり無理して風邪でもひいてはと言う思いもあり、出たとこ勝負で行こうと開き直って進めてきました。

所が、徐々に歩行実力がついて来たのか、1~2月の寒い時期にもかかわらず一日5,700~6,000歩位、何とか歩ける日々が続きました。

そして、2月の最終の8日間で一日6,000歩、歩けば達成というところまで来ましたが、ここからがきつく達成の見込みは最後までどうなることやらと思いながらの続行でした。

結局、2月28日最終日6,058歩となり、江戸日本橋から京都三条大橋までの目標値825,834歩に対して、達成値826,169歩でわずか335歩を超える数値で終わることが出来ました。

達成した暁のご褒美があるわけではなく、自分の足の脚力の向上につながったと言う実感を得たことです。一昨年軽い脊柱管狭窄症と診断され、右足の太もも横の筋がいまだに痛いにもかかわらず、何とか努力して歩けば歩けるものであると言う確証を得たことです。

今回のキャンペーンに参加した成果であると感謝している次第です。キャンペーン終了後も引き続き、同じ要領で続けて歩いています。もう少し暖かくなれば、少しづつ距離を伸ばしてチャレンジして行こうと思っています。

2019年2月16日 (土)

e-Taxによる確定申告提出・終了・・・今年はすんなり行かず手間取った

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毎年2月中旬は確定申告の時期である。今年も例年と同様にe-Taxによる申告を行うための作業を開始した。所が、例年何の問題も無く書類作成が出来ていたのであるが、今年は最初からつまずいた

今年は、国税庁の確定申告書等作成コーナーのソフトが変更され、次のような点が改善された。1.スマートフォンから申告出来るようになった。 2.e-Taxが更に便利になった。3.トップページなどのデザインが変更された。

そして、私の側から言うとパソコンを新しくWindows10をメインに使うように設定した。これらの条件が昨年と変わったことにより、すんなり行かなくなってしまった。

国税庁の確定申告書等作成コーナーにアクセスし、「作成開始」をクリックし、次の画面で 「e-Taxで提出する」を選択しクリックする。すると、「マイナンバーカード方式により提出する」 と 「ID・パスワード方式により提出する」 の選択画面が出てくる。ここで、「マイナンバーカード方式により提出する」 を選択する。

次に、e-Taxのご利用のための事前準備に入る。ここで、推奨環境の確認、マイナンバーカードのパスワード確認、利用規約確認、等々を行った後、事前準備の作業工程に入った。

事前準備作業工程が完了すると、「事前準備が正常に終わりました」 と言うメッセージが出て来る。そして、引き続き 「作成開始」 に進むための推奨ブラウザ 「インターネットエクスプローラ」 に接続します。と言う手順が示される。

本来であれば、ここから作成作業が始まるのであるが、本来のコースに進む事が出来ず、「事前準備が出来ていませんので、事前準備作業を行って下さい」 と言うメッセージが出て来る。

再度、事前準備を行うと、「事前準備が正常に終わりました」 と言うメッセージと共に、推奨ブラウザ 「インターネットエクスプローラ」 に接続します。と言う手順が示される。しかし、ここから先へは進めず同じ事の繰り返しが続いたのである

事前準備が正常に出来ない場合のガイド等をいろいろ試して見たが、いずれも問題解決に至らなかった。そこで、パソコンを以前のWindows7のモデルに変更してトライして見たが、うまく行かず同じ事の繰り返しであった

3日間位いろいろ試し検討したがうまく行かず、最後は国税庁のヘルプデスクへ電話をし、問い合わせを行った。「事前準備が正常に終わりました」 と言うメッセージの後、正常にスタート出来ないのはソフトに何かバグがあるのではないのか?と伺った。

そうすると、インターネットエクスプローラのアドオン管理で全てのアドオンを開いて、国税庁発行のアドオン 「Advance Preparation Util Control」 が有効となっているのか?確認してくれとアドバイスされた。

所が、私のパソコンWindows10には、アドバイスを受けたアドオン 「Advance Preparation Util Control」自体が見当たらなかったので、有効にする以前の問題であることが分かった。

国税庁から指摘されているアドオンソフトを何らかの形でインストールする以外方法はないのかなと思っていた。

ここでWindows7モデルについて、このアドオンソフトが載っているのかどうか確認した所、こちらには載っていてしかも有効となっていた。これならいけるはずと思い、再びトライしたところ、今度はうまく行き始めたのである。

作成作業がうまく行き始めると、ものの2時間もあれば作業が完了し、枚方税務署へのデータ送信も終了した。そして、待つこと1~2分折り返し、データを正常に受信しましたと言うメッセージが返って来た。これで、全て完了となった。

所で後日、Windows10モデルにアドオンを追加しようとアドオンを開いて見ると、国税庁発行のアドオン 「Advance Preparation Util Control」 がなんと載っていたのである。自分で追加していないのにも関わらず載っていて有効になっていた。一瞬、何故と不思議に感じさせられた

Windows10モデルで早速確認して見たところ、何と 「最新の事前準備セットアップが正常に適用されています」 と出て来て、作成作業が出来ることが判明した。

と言うことは、国税庁側で何らかの手が打たれ、インターネットエクスプローラのアドオン管理に必要なソフトが追加されたのではないだろうかと推測している

2019年1月20日 (日)

第72代横綱“稀勢の里”引退・・・今後の相撲界はどうなって行くのだろうか?


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113日に開幕した大相撲初場所、稀勢の里に関して年頭所感で心配していたこと(途中休場と引退)が現実となってしまった。場所前の稽古で、先場所優勝の貴景勝を相手にいい相撲(81敗)を取っていたことと、本人の初場所にかける意気込みからして、初場所は何とかそれなりの成績で乗りきれるのではないだろうかと思っていた。

所が、豈(あに)図らんやまさかの初日からの3連敗、「アーウー!」と声高にため息をつかざるを得ない結果となってしまった。稽古場で生かせていたことが、本場所になると何故出来ないのだろうか?ため息ばかりである。

これは解説者“舞の海秀平”氏の見方であるが、今場所3日間の相撲を見ると、脚の筋力がかなり衰えていて、ちょっといなされると足がついて行かない、踏ん張れる力が出てこない、と言うことでまるっきり残せる相撲が取れなくなっているとの解説である。なるほどそうかと言われると納得せざるを得ない。

2017年春場所に痛めた左大胸筋の回復が遅れ、満足な稽古が出来ないまま夏場所、名古屋場所に臨み、負が込み途中休場。秋場所は初土俵以来自身初の全休で回復に努め、九州場所に出場したが金星5個を配給し46敗のまま途中休場となり2017年が終了。

続く2018年の初場所15敗で途中休場、その後3場所全休し回復に努める。そして、迎えた秋場所では105敗の成績を残しひとまず引退の危機を脱出した。所が、九州場所05敗のまま途中休場、場所後の横綱審議会で「激励」の言葉(決議)をもらった。

迎えた2019年初場所、もう後には引けない剣が峰に立たされた状態での出場となったが、結果はご存知の通りである。横綱と言う地位を考えると足掛け2年間にわたって不本意な土俵が続いたがファンの方がよく辛抱して稀勢の里の復帰を待ち望み期待してくれた。

しかし、過去の経過を踏まえるとこれ以上稀勢の里に期待をかけるのは酷である。引退と言う判断はやむを得ないと素直に受け入れたいと思うのである。今後は、親方「荒磯」として相撲界に貢献して行ってもらいたい。

しからば、稀勢の里が引退したあとの相撲界はどうなって行くのだろうか?今後の展望について言及してみたい。

横綱鶴竜であるが、稀勢の里が引退した翌日の相撲に敗れて23敗となり、右足首の痛みで休場した。昨年11月の九州場所でも右足首の故障で全休しており、これで2場所連続12度目、横綱としては在位29場所で11度目となる。

鶴竜もすでに年齢は33歳でピークを過ぎており、来場所以降の結果により何時引退に追い込まれてもおかしくない状況である。

もう一人の横綱白鵬であるが、白鵬もすでに33歳、3月の春場所を迎えると34歳になる。今場所の相撲を見るとここまで7戦全勝で来ているが、内容は盤石の勝利に程遠いお粗末なもので既に3敗位していてもおかしくないと言う内容である。

白鵬も昨年は故障がちで、途中休場2回、全休2回、まともに場所を努められたのは2場所のみである。大横綱と称される白鵬もすでに全盛期を過ぎていて、過去の遺産(相撲の勝ち方を知っている)でかろうじて凌いで来ている状況である。

白鵬自身としては、東京オリンピックまではなんとか横綱と言う地位を維持したい気持ちであるが、果たして今年いっぱいまともに場所を務めることが出来るのかどうか?危ぶまれるのである。

次に、大関陣について見ると、栃ノ心、豪栄道、高安、いずれも大関と言う相撲ではなく、かろうじて勝利ばかりで不甲斐なさと感じる。これから横綱に向かって進もうとする大関と言う伸び代は全く感じられない。

近い将来(今年から来年にかけて)、現在の横綱・大関陣がそろって引退あるいは地位陥落が起こり、世代交代が進むのではないだろうかと思っている。

新しく大関・横綱になることが期待される若手は、まだ充分に育って来てはいなく、当分群雄割拠の戦国時代が続くのではないだろうか?と言うのが私の見方である。

2019年1月 5日 (土)

ホームページ移転のご案内・・・ブックマーク変更をお願いします

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昨年、101日にYahoo!ジオシティーズよりホームページサービスを2019331日でもって終了する旨の連絡を受けました。これに対処するため、他社のサービスへ移転することに決定致しました。

移転先は、ロリポップ!レンタルサーバーです。新しいアドレスも決まり、移転作業も無事終了しました。そして、約2ヶ月間の検証期間を設けテストトライアルを行った結果OKとなりましたので、Yahoo!ジオシティーズに対して正式に移転先を連絡致しました。

これにより、従来のYahoo!ジオシティーズで使用していたアドレスは使用出来なくなりました。従来のアドレスにアクセスすると、次に示すような案内で出て来ます。

19_01_05_hp_3 2019331日迄は従来のアドレス(旧のアドレス)にアクセスすると、Yahoo!ジオシティーズの方で自動的に転送してくれます。しかし、331日以降はやってくれなくなります。

従い、ここで新旧のアドレスを連絡致しますので、最終的にはこのアドレスを使用してホームページへの接続をお願い致します。アドレスをクリックすると繋がります。

                従来のアドレスは、     http://www.geocities.jp/sndrs245/ 

                新しいアドレスは、     http://asym-okizm.site/  

となります。以上宜しくお願い申し上げます。

2019年1月 1日 (火)

2019年 年頭所感

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新年明けましておめでとうございます。 2019年(己亥・・つちのとい・・)が皆様にとって良い年になることをお祈申し上げます。 今年も、このブログご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い申しあげます。

2008年にスタートしたこのブログも昨年末で11年が経過し、訪問者の数も62,400件を越すに至りました。これもひとえに皆様方のご支持・ご支援のお陰であると感謝致しております。

個人的な事ですが、2019年は数え年の77歳、即ち 「喜寿」 となりました。2019611日~12「喜寿記念同窓会」が玉造温泉・国際観光ホテルで開催されます。体調を整え、元気で出席したいと思っています。

20145月、心筋梗塞に罹り入院した時には、喜寿まではたどり着けないだろうと思っていました。心筋梗塞で入院中に詠んだ短歌10首ありましたが、そのうちの一つに次の句がありました。

「人生の 次の一里塚 喜寿と 東京オリンピック 道のり遠し」、所が遠かった道のりを何とか乗り越えて数え年であるが、喜寿までたどり着くことが出来ました。来年は、満77歳となると同時に東京オリンピックを迎えます。

とうてい、到達不可能であろうと思っていたことが、目の前に近づいて来ました。これも並々ならぬ健康に対する努力の結果 (生活習慣の変更) だろう と自分自身に驚き・感謝しています。

昨年は、個人的には私が参加している複数の会が 節目の年を迎える当たり年 でした。最初に、洋友会 (三洋電機OBの会)20187月に30周年 を迎えました。これについては、このブログで振り返っていますので参照頂ければと思います。以下の文字をクリックすると繋がります。

洋友会30周年についての雑感・・・過去を振り帰って見た

二つ目は、関西稲陵会 (高校の関西地区OB会)20189月に60周年 を迎えました。これについてもこのブログで振り返っていますので参照頂ければと思います。以下の文字をクリックすると繋がります。

関西稲陵会・創立60周年記念総会・に参加した雑感

三つ目は、関西奥出雲会 (ふるさと奥出雲町と関西の都市との交流会) 201811月に10周年 を迎えました。これについてはブログで振り返っていませんが、ホームページに過去の記録を載せていますので参照頂ければと思います。以下の文字をクリックすると繋がります。

                 関西奥出雲会ホームページ

私が参加しているこれらの諸活動については、今年もしっかり責任と役割分担を果たし、活動が盛り上がるように頑張って行きたいと思っています。関係される方々のご支援、ご協力お願い申し上げます。

一方、政治的な動きについて昨年を振り返って見ると、国際協調やグローバリズムに代わって、アメリカ・ファースト、英国の欧州連合離脱(BREZIT)、中国の一帯一路(途上国を借金漬けして全てを奪う帝国主義的行動)、等々に象徴される「一国至上主義」が大いに勢力を伸ばした年でした。

この結果、世界貿易数量の停滞と世界景気の同時後退が出始めています。更に、BREZITによるEU域内外の混乱や経済停滞も予想されます。途上国を借金漬けにし、身ぐるみを剥ぐやり方は、当該国や地域の経済成長を阻害し始めています。

今年は、628日~29日にかけて大阪でG20が開催されます。初めて日本が議長国を務める史上最大規模のサミットになります。議長国を務める日本としては、日本主導で国際政策協調を再構築し、一国至上主義を打破するようにリードして行って欲しいものであると思っています。

ここで話変わりますが、現在の天皇が2019430日で退位され平成時代が終わります。平成天皇であった明仁天皇陛下におかれましては、その大役を無事・無難に果たされ引退なされること、誠にご慶賀に堪えません。これからも元気で自分の人生を楽しんで行ってもらいたいと思っています。

新しく天皇に即位される皇太子・徳仁親王は59歳での即位となります。格別若いと言う年齢での即位ではなく、皇太子時代いろいろ経験を積まれ、油の乗りきった年齢での即位であり、今上天皇と同様に長い年月を無事・無難に歩まれる事を望むものであります。

最後に、今年もスポーツの話題について適時コメントをして行きたいと思っています。113日から始まる大相撲1月場所、横綱稀勢の里に取っては進退をかける場所となります。今度こそ途中休場となると、即引退につながります。そうならないように頑張って努めて頂き、今年中に横綱としてもう一花咲かせてもらいたいと思っています。

今年もこのブログ適時更新して行きますので、ご指導・ご意見等々、遠慮なく記述頂ければと思っています。

2018年12月18日 (火)

NHKの大河ドラマ “西郷・セゴドン” 終了・・・感想を述べて見る

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20181216日でNHKの大河ドラマ 「西郷・セゴドン」 が終了した。最初から最後まで全編見逃すことなく、堪能させてもらった。用事でテレビを見る事が出来ない時もあり、ビデオに録画しておき、後から見ることで補うことが出来た。

大河ドラマを全編全部見たのは、2014年岡田准一が主役を演じた 「軍師官兵衛」 以来4年ぶりである。この年は、心筋梗塞、一過性の脳虚血発作、等々病気で都合5週間入院した。入院中の楽しみの一つがテレビドラマを見ることであった。

「西郷・セゴドン」の場合、ドラマは鹿児島弁で進むので、言葉が聞き取りにくく理解しづらい面も多かったが、それを補うため、予めドラマのあらすじが書かれた雑誌を3冊 (前編、後編、解決編) を購入し、ドラマが始まる前に予め、あらすじを読み理解したうえでドラマを見た。

ドラマは幕末から明治維新初期にかけてのものであり、改めてこの時代の時代変遷が如何に凄いものであったかを感じさせられた。特に、ドラマの主人公であった 「西郷隆盛」 の波瀾万丈の生涯を通してである。

幕末から明治初期を全力で駆け抜ける西郷吉之助であるが、活躍するチャンスを掴んだのは、18歳で年貢徴収などを行う役目に就き、農民の暮らしが如何に大変かを知り、農民救済の意見書を藩主島津斉彬に提出し、認められたことから始まる。

島津斉彬は江戸で生まれ江戸住まいの身であり、薩摩の民百姓の苦しみなど全く知らず、これらから逃げていたのである。西郷吉之助からの数々の書状で島津藩の悪政を知り、藩主である実の父島津斉興を追い落とし自ら藩主になる。

比類無き壮大な政治哲学を持っていた斉彬は幕末期を牽引するカリスマ的存在であった。その斉彬が吉之助の資質を認め大抜擢したことが、以降の吉之助の大活躍を導き出したと思っている。

吉之助を認めていた斉彬は、自分の代わりに動いてもらいたい意図から、最終的には 「お前はわしになれ」 と言ったほどであった。所が、斉彬がこれから動き出そうとして薩摩で軍事調練をしているさなか倒れ、49歳という若さで急逝してしまう。ここから、吉之助の茨の道が始まり紆余曲折の数年間を過ごすことになる。

その始まりは、安政の大獄で幕府から追われる身となった 「月照(将軍継承問題で島津斉彬を支えていた)」 と共に入水自殺を図った吉之助は、奄美大島で奇跡的に一命を取り留め、島の娘・愛加那と出会い二度目の結婚をする。35歳で長男「菊次郎」が生まれる。

この菊次郎は、薩摩の西郷家3番目の妻 「糸」 の計らいで9歳の時、薩摩の西郷家に引き取られる。菊次郎が17歳の時、西南戦争が起こり、父が率いる反政府軍に参加するが、戦闘中に脚に銃弾を受けて歩けなくなる。

退却を余儀なくされた西郷軍は、歩けなくなった菊次郎を西郷隆盛自らが背中におんぶして退却して行く場面に心を打たれた。奄美大島の愛加那との間に生まれた長男菊次郎であるが、実の親子の愛情をしみじみ感じさせられる場面であり、目頭が熱くなる思いであった。

2月に始まった西南戦争であるが、3月田原坂で一進一退を繰り返し10数日間に及ぶ激戦になる。しかし、政府軍の圧倒的兵力と大量に導入された最新式の銃や大砲の前に、弾薬すら尽きた西郷軍は、ついに田原坂を突破されてしまう。

西郷軍は追ってくる政府軍と戦いながら転々と移動し、8月には宮崎の延岡に移っていた。武器や食料を調達するため鹿児島へ帰っていた同士の一人久武が、西郷の妻 「糸」 を伴って戻って来た。

もはや、これまでと言う段階であり、隆盛は糸に 「糸どん・・・・こいが、最後じゃ」、糸には苦労ばかりかけた。いろいろ言いたいことがあるだろう。しかし、糸の望みはただ一つだけだった。

「旦那さぁが西郷隆盛でなかったら、どげんよかったか・・・・吉之助さぁが、ただの百姓だったら、どげんよかったか・・・・・」と言って涙を流す糸を、隆盛は胸に抱き締めた。この場面も見ているものにもらい泣きをさせる名場面であると感じた。

もともと西郷隆盛は、西南戦争など起こす気はさらさらなかったのであるが、政府の役職を辞めると言う決断に追い込まれたことから始まる成り行き次第の結果だったと思っている。

西郷隆盛が政府の要職を辞すると言う決断をする羽目に追い込んだのは、大久保一蔵の知恵である。良き知恵であったのか?悪知恵であったのか?は後世の人々が判断するところであると思っている。

それは、既に閣議で決定されていた、西郷隆盛一人で行く朝鮮国使節派遣を覆す策略である。岩倉具視を使い天皇に使節覇権を辞めさせるように直訴する形で行われた。

隆盛は鹿児島へ帰る前に、大久保邸を訪れ、岩倉を動かし隆盛の朝鮮派遣を潰すように仕向けたのは、大久保が仕組んだ謀りごとか?と確認するとその通りと認める。

大久保に取っては、最優先事項は富国強兵であり、隆盛の 「人を信じる」 と言う政は甘いと思っていた。そこで、隆盛を政府から追い出したかったので策略を労したのである。大久保は、卑怯者と思われようと覚悟のうえでやったのである。

そこで、隆盛は 「おいのまけじゃ。あとは、おはんのやり方でやれ。思い切りやれ。おいは大久保一蔵の国づくりを眺めながら、鹿児島で畑を耕す」 と言って熊吉とともに人知れず東京を去って行った。これが朋友との永遠の別れとなったのである。

皮肉なことに、大久保一蔵は西南戦争が終結した翌年、馬車で赤坂仮御所へ向かう途中に暗殺された。西郷隆盛が政府に残り政を継続したのが良かったのか?大久保一蔵のやり方で政を進めたのが良かったのか?これもまた後の世の人々が判断するところであると思っている。

鹿児島で生まれ育った、西郷隆盛、大久保利通、は幼友達でありお互いに切磋琢磨しながら、幕末から明治初期の日本を牽引して来た英雄である。今更どちらがどうのこうのと言うつもりはない。

しかし、世間の評価は西郷隆盛により好意的である。それは、西郷隆盛が江戸城無血開城等々、政府軍と幕府軍との戦いに於いて、随所で人道的配慮を常に行って来たからであると思っている。

2018年11月26日 (月)

2025年万博・大阪夢洲・開催に決定・・・負の遺産脱却なるか?

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20181124日未明、2025年の万博が大阪湾に浮かぶ人工島 「夢洲(ゆめしま)」 に決定した。2025年に大阪で万博が開催されるとなると実に55年振りとなる。少し感想を述べて見たい。

2025年の大阪夢洲・万博開催おめでとう”、と素直に喜びたいところであるが、今から7年先の話である。7年先ということは、私の年齢は満82歳である。

私に取って人生の次の一里塚となるのであるが、果たして健康寿命を維持した状態でここまで到達出来るのだろうか?今の健康状態から判断すると “ノー” である。しかし、大阪での万博開催は夢のある話であり、何とかここまで到達したいと言う人生の目標になると思っている。

大阪湾にある夢洲は、大阪府・市の負の遺産となっていた。1977年から埋め立てが始まり、情報通信産業などを集積した 「新都心」 とする構想があったが、バブルがはじけてご破算となった。

そして、2008年大阪にオリンピックを招致の話が持ち上がり、オリンピック開催時は選手村として利用する計画になっていたが、招致レースは北京に敗れ幻となり、負の遺産を解消することは出来なかった。

大阪府・市は何とかこの負の遺産を解消したいと言う積年の思いを持っていた。万博開催は2014年夏、松井知事や当時の大阪市長だった橋下徹氏らが打ち出し、府が201611月に国に基本構想を提案し具体化した。

日本はフランスに続き、閣議了承を経て20174月に立候補した。その後、ロシアとアゼルバイジャンも名乗りを上げ、4カ国による誘致レースがスタートした。所が、有力なライバルとみられていたフランスが今年2月に立候補を取り下げた。

これにより、日本が競争に勝ち抜くチャンスが少し増大したと感じた。最終的に、加盟国による投票結果、日本がロシア(開催地:エカテリンブルク) とアゼルバイジャン(開催地:バクー) を破り開催国に選ばれた。

一方、今年の720日にIR (統合型リゾ-ト) 法案が成立した。この法案は、区域認定数の上限を3カ所としている。

大阪府・市は、IRの候補地を早くから負の遺産となっていた、夢洲に焦点をあて誘致を検討していた。例え、万博誘致に失敗しようとも、負の遺産解消のため、IRを必ず誘致したいとの意向を持っていた。

幸いにも、夢洲に万博開催が決定したことにより、IRを誘致するためのインフラ整備は、二つのビッグイベントを両立させると言う大目標が出来たことにより、より優位に事を運び易くなったと言える。

大阪府・市は、大阪万博開催の前年である2024年に夢洲内の隣接地に、カジノを含むIRの開業を目指している。松井知事は、「万博とIRでベイエリアを開発し、東京五輪後の日本経済を牽引する起爆剤としたい。」と豪語している。

負の遺産であった夢洲は、二つのビッグイベントの実行・開催により、今度こそ 負の遺産から脱却し本当の「夢の島」に変貌する 事が期待されるのである。

所が、将来の夢の話 (いや夢ではなく実現する話) ばかりが先行するようであるが、目の前には南海トラフ大地震・大津波が迫っている。これに対する対策をどうするのかと危惧し、IR・万博等に莫大な予算を使う前に災害対策に当てるべきであるという声も聞こえるのである。

地震・津波と言う災害の話は、いつ起こるか予測することは不可能であり、予測不可能なことに備え、莫大な予算を見込むと言うのも難しい話である。IR・万博か、災害対策かと言う二者択一論ではなく、両者を適切に見据えて行政を行って行くのが、今の大阪府・市に問われている課題であると思っている。

2018年11月11日 (日)

横田中学校(出雲横田)関西在住・第12期生同窓会・・・3年振りに出席した

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2018117日、横田中学校(出雲横田)、関西在住、第12期生の同窓会が難波の 「ちとも」 で開催され、3年振りに出席して来た。我々同窓生は、昭和18年(1943年)生まれで今年75歳の後期高齢者になる。

と言う事は、年が明けて2019年になると数え年の77歳 即ち 喜寿を迎えることになる。古希の同窓会(20126月)から早7年が経過するのであるが、ここまでなんとか無事で来られるとは予想していなかった。

と言うのは、古稀の同窓会以降いくつかの大病を経験したので、同級生、会社の同年配の同僚、等々の訃報を聞く度に、自分の番がいつ回って来てもおかしくないな!と感じていたからである。

古希の同窓会以降、第12期同窓生で亡くなられた方々は7名を数えるのである。全体で言うと卒業時108名であったのが、既に29名の方々が亡くなられ、物故者の総数は3割近くになっている。

同窓会時の話題は、過去10年位前までの大阪で開かれた中学同窓会の話で持ちきりであった。既に亡くなった同窓生と共に横田へ帰って桜の花見会に出席、翌日亡くなった友の車で横田町を散策し、途中で東條工芸へ寄った時の話、等々に花が咲いた。

以下は、当日 「ちとも」 の前で写した写真である。その次の写真は、2009419日花見の会で横田へ帰省、翌日東條工芸に寄り写した写真である。

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              2018年11月7日 横田中学校第12期生 同窓会 於:ちとも (写真クリックで拡大)

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              2009年4月19日 横田中学校第12期生 於:東條工芸 (写真クリックで拡大)

昔の同窓会の話の続きとして、同窓会終了後自宅へ帰ってから、大阪で最初に開催した横田中学校第12期生の思いでとなる過去の写真をひもといて見た。大阪で初めて開いて同窓会は、今から38年前の1980年(昭和55年)217日であった。

当時を振り返って見ると、この時出席していた仲間は全員で13名であった。しかし、2018117日現在このうち4名が亡くなり、2名の方が病気療養中で同窓会等には出席出来ない状況である。

月日の経過は過酷であり、友をも連れ去って行くのかと思えば、生きている現在一日一日をより有意義に過ごさねばと言う思いが強くなって来るのである。

以下は、1980年(昭和55年)217日 大阪で初めて行った 横田中学校第12期生同窓会 の写真である。

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            1980年2月17日 横田中学校第12期生 同窓会 於:大阪パークホテル (写真クリックで拡大)

2018年10月22日 (月)

ホームページサービス終了の案内を受け取る・・・どう対処しようかと悩みました

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2018101日、私のホームページサービスを行ってくれているYahoo!ジオシティーズからサービスを終了する旨の連絡を受け取りました。その詳細は、以下の通りです。

「本メールはYahoo!ジオシティーズでホームページを開設されているお客様への重要なご案内です。

誠に勝手ながら、2019331日をもってYahoo!ジオシティーズのサービスを終了することにいたしました。ご利用のお客様にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。

Yahoo!ジオシティーズのサービス終了までに他社のサービスへ移行すると、引き続きホームページを公開していただけます。サービス終了までに他社のホームページサービスに移行されなかった場合は、201941日以降公開されているホームページが表示されなくなります。

そして、202041日(サービス終了より1年後)に、Yahoo!ジオシティーズに保存している全てのデータが削除されます。長い間、Yahoo!ジオシティーズのご愛顧いただき、誠にありがとうございました。サービシ終了まで引き続きよろしくお願いいたします。」

このメールを受け取り、どう対処しようかと悩みました。対処方法としては、以下の案を考えました。

1. 他社のサービスへ移行するが、移行作業は全て自分で行い、引き続き公開を続ける。

2. 他社のサービスへ移行するが、移行作業は有料で全て先方にやってもらい、引き続き公開を続ける。

3. 他社のサービスへ移行は行わず、Yahoo!ジオシティーズのサービス終了と同時に私のホームページも終了する。

1案の場合、移行作業を行わなければなりませんが、大変な作業になることが予想されます。と言うのは、私のホームページは現在膨大なファイルとメモリーを使用しています。ファイル数は、約5,000ファイル、メモリー使用量は、約360Mバイトです。移行が簡単に出来るのかどうか?やって見なければ想像がつきません。

2案の場合、移行先のプロに頼むのであり、何の心配もいらず移行が出来る。しかし、移行後ホームページの更新(メンテナンス)を行うに当たり、更新作業をどのように行うのかと言う情報を自分のものとしてマスター出来るのか疑問である。

そして、私のホームページは営利を目的として作ったものではなく、あくまでも趣味の範囲のものであり、金を払ってまで更新を行うことは、当初私が考えていた趣旨に反する。

3案の場合、私も来月で後期高齢者の仲間入りをする年齢であり、来年の3月までホームページを継続して、その後は終了するのも良いのかな!とも思ったりしています。

最終的に決断したのは、ジオシティーズのサービス終了までまだかなりの時間があること、私自身も今特別に何かを行っていると言うのではなくフリーであること、等々を考慮し自分で移行にチャレンジする1案を選択しました。

早速、1010日に移行先を決め申し込みしました。選んだ移行先は、「ロリポップ!レンタルサーバー」です。ホームページを開設し、パスワードを登録しました。これにより移行先の サイトアドレス(移行先のURL)、アカウント、FTPサーバー名、等々必要な情報を入手しました。

ここからジオシティーズの移行ガイドに従って作業が始まります。FTPソフトを使ってジオシティーズにある全てのファイルを自分の端末にダウンロードします。所が、通常のFTPソフトでは、一度にダウンロード・アップロード出来るファイル数が20個程度であり、ファイル数が多いときはFFFTP(大量のファイルのダウンロード・アップロードが可能)ソフトを使用しなければならないことに気づきました。

早速、無料で取得出来るFFFTPソフトを私のパソコンにダウンロードしました。FFFTPソフトの仕様・使い方を理解し正しく利用出来るようになるまで、試行錯誤、問い合わせ、等々を繰り返しで23日かかりました。

そして、何とか現在ジオシティーズにある私のホームページのデータを私のパソコンのフォルダーにダウンロードすることが出来ました。約5,000ファイルあるデータをダウンロードするのにこれまた23日かかりました。

次は、ダウロードして私のパソコンの中にあるファイルを移行先のサーバーの私のアドレスへアップロードすることです。ここでもFFFTPソフトを使用してアップロードする訳ですが、いっぺんに多くのファイルをアップロドードしようと思って試みても、約2050ファイル位アップロードしたところでエラーとなってストップしてしまいます。

アップロードが終わったファイルの次のところから、その続きのファイルをアップロードすると言う手順を繰り返し行い乍ら、作業を継続しました。ここでもアップロード終了まで23日要しました。

全てのデータのアップロードが終わったので、ブラウザで確認しようと思ってサイトのURLにアクセスしても私のホームページは表示されず、コメントとして次の表示が出ました。「ホームページのトップページとなるindex.htmlと言うファイルが見当たりません。」

そこで、ダウンロードしたファイルの内容をチェックしたところ、index.htmlというファイルを含んだフォルダーを誤って消去していました。再度、このフォルダーをダウンロードし、アップロードしました。そして、再度ブラウザで確認したところ、見事に私にホームページがロリポップ!のサーバーで表示されました。

新しいURLで表示されたと言うことは、移行作業が出来た(完了)と言うことです。この瞬間、パソコンの前で万歳!を2~3度繰り返しました。誰も見ていない中で何か達成感のようなものを感じたからです。

自分で移行作業をやろうと決めてから終了まで11日間要しました。途中、何度も果たして上手く行くのかな!と感じながらの作業継続でした。この11日間は毎日パソコンの前に34時間座りっぱなしであり、良く根気が続いたな!と自分で自分に感心しています。

11年前にホームページの作成を始めましたが、この頃はまだ若かったのでパソコンの前に何時間座っていようがあまり苦に感じませんでした。今は、長時間の作業は体に堪えるので行わないようにしています。

再度、このような問題が発生したときには、ホームページの継続を終了しようと思った次第です。

2018年10月 3日 (水)

東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーン・・・参加しスタートした

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2018101日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり をしようという催しがスタートした。

洋友会は今春設立30周年を迎え、記念品として全員に歩数計が配られた。大東地区では、その具体的な活用策として「東海道五十三次・伊勢参りを完歩しよう」というチャレンジキャンペーン が企画され、101日よりスタートした。

コースとしては、<東海道五十三次コース> 「上級」 「中級」 「初級」 の3コースより選択、<伊勢参りコース> 伊勢街道 (玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮まで) の合計4つのコースが設定され、自分に合ったコースをどれか選んでチャレンジするものである。

<東海道五十三次コース> 「上級」 は一日10,000歩、「中級」 は一日7,500歩、「初級」 は一日5,000歩、<伊勢参りコース> は一日2,500歩、をそれぞれ基準歩数としてカウントして目標達成にチャレンジするものである。

一日10,000歩の歩行距離は6.0km、7,500歩の歩行距離は4.5km、5,000歩の歩行距離は3.0km、2,500歩の歩行距離は1.5kmとして計算して必要最低日数を割り出し、チャレンジ目標を設定するものである。

「上級」コースで<東海道五十三次>を完歩する必要最低日数は83日、「中級」コースで完歩する必要最低日数は111日、「初級」コースで完歩する必要最低日数は166日、<伊勢参り>コースで完歩する必要最低日数は113日、である。

それぞれのチャレンジ期間は、「上級」コース90日(3ヶ月)、「中級」コース120日(4ヶ月)、「初級」コース150日(5ヶ月)、<伊勢参り>コース120日(4ヶ月)、とする。

いずれのコースも101日に一斉スタートし、終了目標月を 「上級」 は201812月末、「中級」 は20191月末、「初級」 は20192月末、<伊勢参り>は20191月末、とする。

具体的な取り組みとしては、9月中旬 会員にハガキを送付し、自分に合ったコースを選択してもらい、投函する形で事務局へ申告する。

そして、パソコン・エクセルで作成された、月別日別歩数記入用紙が準備されていて、日々の歩数記録を記入すると自動的に計算される仕組みとなっている。

終了報告は目標終了し次第に必要事項を記入し、FAXEメール、郵送、のいずれかで報告する。目標を達成していなくても、終了目標月が来たら結果をまとめ、終了報告日 (日程厳守) までに報告する。

私は昨年4月に脚に異変が起こり、一時歩行がひどく困難な状態になりました。すぐに整形外科へ行き診断してもらった所、軽い脊柱管狭窄症と診断され、その後は医者の指示に従い、ストレッチ、筋トレ、歩行訓練、を行って来ました。

3ヶ月後の7月には何とか歩けるようになり、カラオケの例会等に参加し始めました。現在も、これを続けていて、少しずつ歩行距離を伸ばして来ています。

通常の歩数計 (洋友会配布の物ではなく) で家の中で生活するために歩く距離をも含めた一日の歩数は、約6,500歩~7,500歩です。

洋友会配布の歩数計は、きちっと歩いた分のみをカウントするので、通常の歩数計でカウントした値と比較すると約2,000歩位差がでます。従い、私の現在の歩行実力は一日5,000歩位ではないだろうかと推測し、<東海道五十三次コース>「初級」で申請 (一日5,000歩コース) しました。

事務局が手間暇かけて準備してくれた、健康づくりのチャレンジキャンペーンであり、目標達成に応えて行こうと思っています。自分の体調とも相談しながらあまり無理せずにこつこつと努力して行く良い機会であると感謝しています。さあ頑張ってやって行こう!

2018年9月11日 (火)

関西稲陵会・創立60周年記念総会・に参加した雑感

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201899日(日)、例年通り 関西稲陵会 (島根県立横田高校・関西OB会)が道頓堀ホテルで開催された。今年は、関西稲陵会創立60周年記念総会と銘打っての開催であった。

関西稲陵会が開催される直前、94日に関西地方は大型の台風21号がど真ん中を通過すると言う自然災害に襲われていた。台風21号は大型の台風で、関西国際空港での最大瞬間風速は58.1mを記録して甚大な被害を与えた。

台風による強風被害・高潮被害に加えて、関空へ航空機燃料を陸揚げしたタンカー「宝運丸」 (長さ89m、2,591トン) が東へ2.4km移動した所で、約25トンのイカリを下ろして停泊していたところ、強風で北に流され、連絡橋に衝突すると言う事故が発生した。

この結果、連絡橋の橋桁が大きくズレ片側の車走行車線が使用出来なくなった。ズレタ橋桁は、鉄道路線にも影響を与え、すぐには復旧が難しい状態となった。これにより、関空は海外路線が実質長期使用出来ない状態となり、インバウンドの観光客に影響を与え、海外からの観光客が激減しているのである。

関西稲陵会に出席するため、大阪環状線から近鉄線に乗り換え、近鉄難波駅で降りて、上の通路に上がると、地下通路の人通りの様子が明らかに違うのである。御堂筋から道頓堀通りに入ると、ここでもいつものインバウンド客でごった返しているイメージとかけ離れ、何か閑散としていたのである。

道頓堀ホテルも、いつもはインバウンドの観光客であふれかえっていたのであるが、9月9日の日はインバウンドの客がほとんどいなく、以前の海外観光客がいない時の状態に戻って来ていると感じさせられたのである。

台風21号が関西空港にダメージを与え、それによるインバウンドの観光客が激減していると言う事を肌で感じさせられたのである。同じ大阪と言っても、私が住んでいる交野市ではこう言うことを感じることはないからである。

話が少し横道にそれてしまったが、本来の道筋に戻して、関西稲陵会60周年記念総会について述べる。今回、関西稲陵会記念誌が発行された。

それを読むと、一口で創立60周年と言うけれども、設立当初の諸先輩方々の 紆余曲折の苦労と努力 が実を結び、その結果何とかここまでこぎ着けられたのだな!との思いを感じたのである。

私が、関西稲陵会に参加し始めたのは、関西稲陵会の道筋がはっきり見えてきた、平成元年 創立30周年記念総会1989910日) の時からです。

平成5年 (1993年) から一時学年幹事をしていましたが、平成9年 (1997年) 海外赴任が決まり、平成18年 (2006年) までの10年間日本にいなかったので、関西稲陵会へ出席することは出来ませんでした。

海外赴任が終了した平成19年 (2007年) から、再び関西稲陵会へ出席し始めました。それからでも既に12年が経過しました。平成19年 (2007年) 以降については、私のホームページの稲陵会という項目で詳細を記述しています。次の文字をクリックすると繋がります。参照頂ければ幸甚です。

          関西稲陵会ホームページ記事

我々42期生は、参加各期のメンバーの中で 常に最も多い参加者 となっています。これもひとえに学年幹事を長い間務めて頂いている杠正明幹事の熱意のたまものであるといつも彼に感謝をしています。

そして、42期生と言う同期の絆の強さ がここまでこう言う結果に結びついているのではないだろうか!と思っています。稲陵会のみならず、42期生のみで行う同窓会についても、卒業20周年、30周年、35周年、40周年、45周年、50周年、55周年、と開催されて来ています。2021年には卒業60周年の同窓会が予定されています。

開催場所も、出雲横田2回、松江2回、大阪2回、広島1回、といろいろな場所で行われています。次の60回目はどこで行うのかまだ決定していませんが、何とか元気で出席したいものであると思っています。

世の中、少子高齢化で横田高校も生徒の数が減る一方となって来ていますが、何とかこれを克服して頂き、長く関西稲陵会が続けられることを願うものです。最後に、集合写真を二つ載せます。文字をクリックすると繋がります。参照頂ければ幸甚です。

         参加者全員の集合写真

         42期生の集合写真

2018年8月19日 (日)

駐車中の車に当てられる事故発生・・・修理費用は相手の保険でカバー

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201884日、近くの関西スーパーへ車で買い物に出かけた。私も家内も店に入り、買い物をしている最中に、店の店員から、次のアナウンスが流れた、「車のナンバー “大阪 *** *** ” を所有されている方すぐに駐車場へ来て下さい。事故が発生しています。」

アナウンスされているのは自分の車だと気づき、急いで駐車している場所へ行った。私が止めている駐車スペースの右横 (正面から見て) へ駐車しようとしてバックして来た車の左後方部が、私の車の右前方部へ当たっていた。

事故自体は、そんなに大きな事故ではなく、私の車の右前方部のフロントパネル、側面のパネル、が傷ついてゆがみへこんでいた。車は、昨年の2月に購入した “トヨタ・パッソ” でまだ1年半しか経ってなく新車に近い状態であり、相手もこの点気遣ってくれていた。

事故を起こした相手の車は、ダイハツのライトバン “パイザー” でかなり古い車 (10年以上経っている) のように見えた。相手は、親切な人で過去に自分も当て逃げされた苦い経験があるのでと、誤って事故に対応してくれた。

早速、店の人に依頼して警察を呼んでもらった。30分ほどでパトカーに乗った2人の警察官が来て、事情聴取をしてくれた。一人は相手の車、もう一人は私の車の聴取をしてくれた。車の事故の状況、免許証、車検証、自賠責保険証、等々である。

駐車中の車に当てられたのであり、全面的に相手の過失であり、相手の保険で修理を行うことになった。事故当日は、土曜日であり、翌々日の月曜日に相手の保険会社の担当者から電話連絡が入って来た。

修理は何処に出されますか?担当者はどなたですか?修理中の代車は必要ですか?等々の問い合わせがあり、修理先と担当者、代車は必要である、等々を連絡した。

86日の月曜日、修理を出す 「トヨタカローラ大阪・交野店」 へ連絡し、午後車を持ち込んだ。そして状況を説明後、修理にどのくらいの日数を要するか確認した。811日~15日の間は夏休みがあり、約2週間位かかるとの事だった。そして、修理の間に乗る代車を借りた。

818日午後、修理を出しているトヨタから、修理が終了した旨の連絡を受け、車を引き取りに行った。代車を借りている間は、自分の車ではなく事故を起こさないように気を遣って乗っていた。修理が終わり、やれやれと思ったのである。

今回の事故を、振り返って見ると、自分が全く知らない間に起きた事故であり、当て逃げされそのまま逃げられていたら、どうにもならなかった。不幸中の幸い、事故の相手の方が良心的な方であり助かった。

事故自体は小さな物損事故であり、例え目撃者がいたとしても、わざわざ届け出て事故に関われば、その分無駄な時間を費やすことになり、見過ごされても仕方がない。こう言う事故に遭わないようにする、何か良い方法はないものだろうか?と感じた次第である。

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