「2020年東京五輪決定」 に対する私の想い
2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。朝のテレビ放送を見ていて、素直な気持ち大喜び、拍手喝采万歳をしたのである。事前の予想、特にロンドンのブックメーカー(賭屋)の予想では、3月18日時点で東京のオッズが1.67倍、イスタンブールが3.5倍、マドリードが4.0倍、であった。直前でもこの流れは大きく変化せず、東京が1.5倍、イスタンブールとマドリードが共に4.0倍であった。内心ブックメーカの予想は当てには出来ないとは思っていたが!
案の定、直前に行われるプレゼンの前に立ちはだかったのが福島原発の汚染水漏洩問題である。各国メディアが急にクローズアップし出したのである。プレゼンの第一陣の説明のあと、メディアからの質問はこの問題に集中した。所が、日本側から明快な説明がなされず、より不安を与える結果となっていた。そして、スペインのメディアは非常に強気で、第一回の投票でマドリードが過半数を制するという報道もあり、またまた東京は涙を飲むのかなと非常に弱気になったのである。
所が、投票結果は東京の圧勝であった。何故こうなったのかいろいろなメディアの報道を読んでいると、安倍首相のプレゼンと質疑応答に対する明快な回答がオリンピック委員を納得させたとの論評が多かった。ロイター通信によると、ジャック・ロゲ会長は調印式で、安倍首相自ら「安心して任せてもらえる」と発言したことに触れ、「自分は整形外科医でもあり、投票権を持たなかったとはいえ、この言葉は響いた」と報道している。
前置きが長くなったが、本論に入る。私は、今年満70才(古希)である。オリンピックが行われる7年後は満77才(喜寿)である。偶然に慶事が重なる人生の新たな生きる目標が出来たのである。
私は、3年程前から体調を崩し、健康にあまり自身が持てない状況が続いていた。2011年の秋に行った橫田高校卒業50周年記念同窓会の後のブログ(2011年11月22日発行)、そして昨年行った古希記念同窓会の後のブログ(2012年6月16日発行)を読んで見るとその時の体調が左右しているのか、非常に弱気な内容となっている。
古希記念同窓会の後、次は喜寿記念同窓会で再びお会いしましょう!と言って別れた。この時は、まだ弱気な状態であったので、果たして喜寿までたどりつくことが出来るのかなと疑心暗鬼の状態であった。
体調を崩してから、医者にかかりいろいろな検査を行い結果に基づき処方をしてもらっていた。一方、腰痛と座骨神経痛も併発し整骨院へも通い続けていた。当初はあまり改善する兆しは見えなかったが、「継続は力なり」のことわざの如く、1年半経過した昨年の後半から少しづつ改善に向かい始めた。そして、昨年末で整骨院への通院を止めても大丈夫という確信が持てる程、回復したのである。
これに伴い、自分の健康に対する不安が少し解消され、自信がもてるようになって来た。そして、この分だと喜寿までたどり着く事が出来るのかな!と気分が変化して来た。私に取っての健康とは、物理的に人の助けを必要とせず自立して生活が出来ること。更には、知的生産活動を継続して行うことが出来ること。この二つをクリアする事である。
人生の次の目標は、私が定義する健康状態を維持して、次の一里塚(マイルストーン)「喜寿」まで到達することである。そこまで到達した暁のご褒美のような存在として現れたのが今回決定した「東京オリンピック」である。今後は、「東京オリンピック」も人生の次の一里塚の併行目標として加えて行きたいというのが現下の「2020年東京オリンピック」に対する想いである。
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東京五輪が決定した2020年という年は、トウエンティー、トウエンティーで大変キリの良い縁起の良い年であります。
(1)、2=ふたつの「ふ」、0=零で⇒「フレー、フレー東京」
(2)、2020は「ふ、れ」で⇒「ふれ合い」、「ふれ合い」を大切にする年。
(3)、2020は20歳がふたつで⇒「ハタチ、ハタチ」で若者が大活躍する年。
(4)、2020はふたつの輪が流行り⇒2輪車つまり自転車スポーツと関連産業の発展する年。
とまあ自分勝手に夢の期待と想像をしています。
投稿: 福井 啓美 | 2013年9月10日 (火) 18時34分
貴殿のウェブを拝見し、その洞察力には敬意を表します。2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定したことに関する気持ちが文面から伝わってきます。
小生が一番心配していたのは東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響でした。昭和45~46年にかけて東京電力最初の原子力発電所(福島第一1号機)の起動試験(百数十項目に亘る性能確認)に参加してその性能を確認してまとめました。この時試験を担当したのは、設計者の米国GE社と建設担当のGETCO、東芝、日立、当然ながら東電と特別参加の私など総勢500名ほどでした。そんな訳で1号機には特に愛着がありました。2011年3月11日の東日本大震災の津波が発電所を襲うのをTVで見ていて、全交流電源喪失を聞きましたが、1号機は生き残ると考えていました。それには非常用復水器という電源なしで炉心を冷やす冷却水が循環できるからです。しかし残念ながらこの装置の働きや作動原理を(現在の東電の人たちが)理解しておらず、せっかく作動したものの手動で停止させたからです。平時の運転はできても、異常時(電源喪失というプラントにとって最も過酷な緊急時)には基本を知っていないと対応できない。事故後2時間ほど経った時、発電所正門付近でキセノンとかクリプトンという希ガスが検出されたとTVが報じた時、炉心の燃料が壊れていると直感しました。このことは1979年に起こった米国のスリーマイルアイランド2号機の事故を理解しておれば当然分かります。これ以上は年寄りのグチになりますので終わりにします。
次に、健康管理についてですが、まだ若いので、一度体調を崩したのを好機ととらえ「一病息災」で前に進みましょう。まだまだ、お伝えしたいことがありますが、次の機会にいたします。なお、小生は小学校・中学校・高校・大学の同窓会などはすべて参加するようにしています。また、お会いいたしましょう。
先日、高校、大学時代の同級生と旅行をした際、松江から参加した友人が「奥出雲」という焼酎を持参しごちそうになりました。
投稿: 大輝 茂 | 2013年9月10日 (火) 18時21分
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催が決定した。一人の日本人として大変嬉しく喜んでいる。
東京五輪決定も勿論大きなニュースだが、今後7年間の日本にとって大きな夢と目標が出来たことで大変
喜ばしいことである。経済効果が3兆円とも言われているが、私はもっとそれ以上10兆円?以上ではないかと
考える。東京に決定した理由は色々考えられるが、個人的意見としては、マドリード、イスタンブールと比較して
いわゆる「消去法」から東京に決定したと考える。勿論、喜んでばかりはいられません。日本としては大きな課題点
=福島原発を初めとした震災復興問題、冷え切った中韓外交問題、エネルギー問題、税と社会保障改革問題等等
の問題山積みであることは確かである。
投稿: 福井 啓美 | 2013年9月10日 (火) 11時31分