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2013年11月10日 (日)

青春時代の一側面を思い出させる、スター歌手逝く

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私が最も多感であった少年時代から青年時代にかけて、強烈な思い出を残してくれた当時のアイドル歌手「島倉千代子」が亡くなった。島倉千代子がデビューして3~4年間に歌った歌が最も印象に残っている。澄んで透き通るような高音の魅力にとりつかれ、当時ラジオで良く聞いたのを覚えている。

印象に残っているのは、1955年のデビュー曲「この世の花」、同じ年の「りんどう峠」、1956年の「東京の人さようなら」、1957年の「逢いたいなァあの人に」、「東京だよおっ母さん」、1958年の「からたち日記」、「思い出さん今日は」等々である。

これらの歌は、いずれも島倉千代子が10代に歌った曲である。私の歳に重ねると、ちょうど小学校6年生~中学校3年生の頃である。当時は、テレビもなく歌を聴くとすればラジオからだけであったが、何故かしら、島倉千代子の訃報を聞いた途端に、この頃の思い出が急に強く甦って来た。

当時、我が家には親父が手作りした部品むき出しのラジオがあり、エアバリコンを回しながら選曲し歌謡曲を良く聴いていた。住んでいたのは、東京からは遠く離れた島根県の東部、奥出雲の横田であったにもかかわらず、夕方6時頃から9時頃にかけて、電離層による電波の反射状況が良かったのか、東京の文化放送とか日本放送が受信でき、鮮明に良く聞こえていた。昼間は受信できなかったが。

私の親父の職業は、時計屋と兼業で農業を行っていた。もともと機械とか電気をいじるのが大好きで、私が小学校の高学年のころから時計屋をやりながら、趣味でラジオを作っていた。40センチ(横幅)×30センチ(奥行)×5センチ(高さ)位のシャーシを買って来て、それを加工して真空管、コイル、バリコン、トランス、等々を取り付けていた。そして、シャーシの裏側には、ラグ版に抵抗、コンデンサー等々を取り付け配線を行っていた。

子供の頃の好奇心で、親父がラジオを作るのを側に座ってじっと見ていた。今でも鮮明に覚えているのは、パワー真空管の名前である。2A3という名称で直径が4センチ位ある大きな真空管を使用していた。パワーもそこそこ出ていたのでスピーカは口径が30センチの大型でボックスも特注して作ったものであった。

親のDNAを引き継いだのか、私も大学生の頃下宿でラジオを作っていた。当時は、FMのステレオ放送が始まったばかりで、FMチューナとステレオアダプターを作り聴いていた。AM放送に比較し忠実度が良いFM放送を楽しむというより、ステレオになるということ自体がうれしかった。この頃は、真空管も小さくなりミニチュア管を使用していた。トランジスターは、まだあまり普及していなく、市販もほとんどされていなかった。

島倉千代子の思い出に立ち返ると、後年私がシンガポールへ赴任するとき、島倉千代子のCDを借りてきて、C90のカセットテープに26曲録音し持参し、シンガポールで車を運転するときによく聴いていた。この時のカセットテープは、シンガポールから帰任時持ち帰ったので、現在も手元に残っている。島倉千代子初期の頃から、昭和60年頃までのヒット曲が入っている。島倉千代子の訃報を聞き、今またこのテープを取り出して来て、初期の頃のなつかしい曲を聴いている。

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コメント

2013年11月14日(木)、今月8日に亡くなった島倉千代子の告別式が行われた。この席上で亡くなる3日前に自宅に録音機材を持ち込み収録したと云う最後の曲「からたちの小径」が披露された。そして最後の肉声「できる限りの声で歌いました。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」も流された。まさに歌手として、魂を一生歌に注ぎ込んできた厚い想いが伝わって来て、歌手魂を見せつけられた思いであった。ちょうどこの日は木曜日でもあり、テレビ東京「木曜8時のコンサート」の放送日であった。この日は通常の番組を急遽変更し、島倉千代子特集「ありがとう島倉千代子さん」と銘打って、島倉千代子の過去の録画を集めて番組が構成されていた。内容は、島倉千代子が40歳代に歌った歌が最も多く、映像・音楽ともに全盛期のものであり、見応えがあった。特に声は、張りのある高音がよく伸びており満足するものであった。この番組を録画し、後でCMの部分を全て消去、永久保存版のDVDを作成した。私が生きている限り生涯の友として保存し見て行くことになるだろう。

島倉千代子さんもう少し生きていてほしかった。じつは私と同年でした。2,3歳上かと思っていたけど。もうあの姿や声をテレビでも見れなくなったのだと思うと、残念です。私も同じように、高校生の時5球スーパーを作って、裸のままのラジオを机の上に置いて聞いていました。夜は島根の空でも「ラジオ東京」の中波放送が聞こえていました。しかし当時は北京放送局の電波がそれよりも強くて、混信を受けながら、彼女がドラマのテーマソングとして歌う「この世の花」を聞いていました。とてもきれいな高音に特徴がある歌手だという印象が有りました。同年代に活躍された人がまた一人鬼籍入りされた。自分は?といろいろと考えさせられます。
何も考えずに、今ある時間を、自分の周りの人た達と大切に過ごしたいですね。

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