リーマン破綻後、日本を襲った円高とは何であったのか?
リーマン・ショックが起こって5年が経過した。今、何故当時日本は円高に対して有効な手を打つことが出来なかったのか?過去5年間のデータを見て振り返ってみたい。
2008年9月15日、米国の投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻した。これに伴い世界金融危機(世界同時不況)が発生し、日本を急激な円高が襲った。そして、日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日の終値12,214円であったのが、10月28日には6,995円まで下落した。この後約5年間、日本経済は超円高とデフレに悩まされ低迷が続いた。
リーマン・ショックという経済危機は米国発のものであり、日本は円高に巻き込まれるような経済状況(輸出過多で円高もやむを得ない)でなかったにも関わらず、経済の実態を外れた円高に巻き込まれ苦しんだのである。当時、この不合理さに納得出来ず、ブログでもこの疑問点(諸悪の根源 「円高」 対策は何故出来ないのか?)を述べている。
この5年間、日本企業は大変な苦しみを味わった。超優良企業と云われた、トヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニック、等々でも営業赤字を計上するようになったのである。不当な超円高が是正されない限り、国内で生産を行っていたのでは採算が合わず、賃金の安い国へ海外進出する以外に有効な手立てはなかった。為替介入は米国から厳しく封じられていた。
この5年間に、大企業の国内生産基地であった地方の工場は閉鎖され海外へと移されて行った。この結果、非常に多くの雇用が失われた。アベノミクスにより、円高が是正された現在でも、これを元に戻すこと(覆水盆に返らず)は出来ていない。
ここで、過去5年間の為替推移と資金の供給量をグラフで見てみると、米国はリーマン・ショック発生直後(一番下のグラフ)、市場へのドル供給量を2.5倍に増やしている。これに呼応してドル安が急激に進んでいる。このドルの量的緩和が5年間続けられ現在もまだ続いている。
リーマン・ショック不況発生と同時に急激なドル安となったため、米国の輸出は伸び不況を緩和することに役立ったのである。米国発の不況のツケを海外へ回す手法、即ち外需による景気テコ入れを行ったのである。ここで重要なのは、FRB議長であるバーナンキは、1930年代の大不況の研究者でもあり、次元の違う量的緩和を行えば急激なドル安が起こると読んでいたのである。
一方、日本の日銀内ではゼロ金利政策でかなりの円を市場に供給しているので、これ以上量的緩和を行っても円安になると云うことには懐疑的であった。日本のエコノミストも誰一人として異次元の量的緩和を行うべしと唱えるものもいなかったのである。そして、ついに2011年10月末円は75円35銭の最高値を更新したのである。
超円高がこのまま続けば、日本経済は円高とデフレで早晩立ちゆかなくなると危惧される中、2012年に入り数名のエコノミスト(エール大学の浜田宏一教授等々)から日銀はもっと量的緩和を行うべきであるという意見が出始めたのである。
民主党政権で何ら円高に対する手を打てなかった中、安倍政権が発足しアベノミクスを唱え異次元の金融緩和を進めた結果、あっという間に円高は解消され1ドル=100円近辺になったのである。
あれだけ苦しんでいた円高が為替介入もなく、あっという間に解消されるとは、まさにマジックである。しかし、結果論であるが、円もドルも品物であると考えれば、需要と供給のバランスで物価が決定されるように、円の供給が少なければ円は上がり、供給が多ければ円は下がるのである。自明の理である。
リーマン・ショック発生直後に、米国に相当するくらいの金融緩和を行っていたのであれば、5年間も円高で苦しむことはなかったのではないのか?今頃、過去のグラフの推移をみて気づいていても「コロンブスの卵」であると感じている。
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