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2014年5月の記事

2014年5月20日 (火)

青天の霹靂 「急性心筋梗塞 入院治療」 顛末記

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それは正に、青天の霹靂から始まった。過去、健康診断で心臓に関する疑義あるデーターは何もなかったのである。心電図、超音波エコー検査、レントゲン、等々全て異常がなかった。また、階段を昇った時、早足で歩いた時、等々に現れる動悸、息切れ、冷や汗、脈が乱れる、と言った心不全的な症状もほとんど皆無であったからである。

これは手術後、回復してから気づいたことであるが、最近疲れ易く、肩こり、背中のこり、等々が多く、マッサージとか栄養ドリンク剤に頼る日々が増えていたのである。年齢から来る衰えのせいであるだろうと気にしていなかった。どうやら、冠動脈の血流が滞り、これに起因していたからではないか?と思っている。それほど、手術後は心臓と云うエンジンをオーバーホールしたが如く快調に感じている。しかし、まだ2~3週間しか経っていないので確定は出来ないが!

ことの始まりは、4月30日(水)いつもの朝の通り朝食を終え、1時間ほど新聞を読んだ後、2階の自室に上がり、パソコンに電源を入れ、毎日行っているルーチンワークを始めようとした。所が、少し時間が経過した9時10分頃、左胸の端と右胸の端が少し痛むのに気がついた。たいしたことは無いだろう疲れかなと、拳で胸を少し叩けば直るだろうと悠長に構えていた。所が、痛みは引かず、少しずつ痛みが増して来て、胸全体へ痛みが広がって来たのである。

これはおかしい何か異常かなと感じ、1階に降りて家内にその旨を告げた。そしたら、「隣のご主人が今日は家におられるので、近所のかかりつけの医院まで車に乗せて行ってもらうように頼むわ」と手配してくれたので、急ぎ医院へかけつけることが出来た。

すぐに、心電図検査の準備に取り掛かり、ニトロペン舌下錠を舐めながら、検査をうけたのである。検査が終わりデーターを見る限り異常はなかった。少し痛みも引いたところで、次にレントゲン検査、超音波エコーによる胸の検査を行ってもらった。ここでも異常は出なかった。少し時間が経てば落ち着くだろうと、ニトロペン舌下錠と胸の血管を広げる薬をもらい一端家に帰ったのである。

昼食後、もらった薬を飲み休養していた。医院を出るとき、完全に痛みが引いていたわけではなく、軽減していた状態であったので、寝ていたら直ると期待していた。しかし、一向に直る気配はなく、むしろ余計に痛みが増して胸全体が強く痛み出したのである。それでも我慢し、午後の診察が始まる4時過ぎまで待って、医師へ状況を説明して指示を仰ごうと電話したのである。

開口一番、こちらから連絡を入れておくので、すぐに枚方公済病院(自宅から約3km)へ行きなさいとの指示であり、タクシーを呼び病院へ駆けつけたのである。

病院では、かかりつけの医師からの連絡を受けスタンバイをしていてくれて、行くとすぐに治療室へ通された。治療台に乗せられ、心電図、血圧計を接続した状態で、血管を拡げる点滴が始まった。しばらくすると、胸の痛みが軽減してきた。痛みがほぼなくなった状態で血液検査が行われた。

血液検査の結果、心臓血管の状態を示すパラメータが少し良くないので、カテーテルを入れて検査を行い、不都合な所が見つかれば、その場で手術を行うが良いか?その場合、2週間強の入院になるが良いか?と問われ、否応なしにOKですと返事したのである。

午後5時半頃、点滴を接続したままカテーテルを入れる準備が始まった。1.両足の付け根のヒゲを剃り、入念な消毒が行われた。2.手術中、トイレに行かなくても良いように、尿道から膀胱まで到達する管を挿入し、小水が直接管を通して尿袋に流れる処置がなされた。3.手術室へ移される。

午後6時頃、右足の付け根のカテーテルを挿入する部分に局部麻酔の注射がなされる。そしてカテーテルの挿入が始まった。カテーテルの挿入中痛みはなく、何か少し違和感を感じる程度であった。約10分位で挿入が終わり、カテーテルの先端部分が冠動脈の入り口に到達した。

カテーテルの先端から造影剤を噴射し、冠動脈のレントゲン撮影が始まった。背中に当てた受信板を通してモニターに心臓の血管が映し出された。レントゲンカメラは自由自在に動かせるタイプのものであり、いろいろな角度からの撮影が行われた。

冠動脈は大きく分けて3本あるが、そのうちの左回旋枝(左心室の側面、後ろ側を養っている)で少し中に入った所に約1cm位の長さで閉塞(99%閉塞)しかけている部分が見つかった。

ここから、PCI(経皮的冠動脈形成術)と言われる、カテーテルを通して狭くなった血管をバルーン(風船)で押し拡げる治療が始まったのである。どのくらい時間がかかったのか定かではないが、約1時間~1時間半位ではなかったかと思っている。

冠動脈に入って血管が枝分かれしている中で、所定の位置までカテーテルを誘導するのは難しい技術を要するのではと思いながら見ていた。スタッフ3~4人で手分けして作業する中、カテーテルの全操作(挿入から手術まで)をなされたのはベテランの女医(平成8年京都大学医学部卒)さんであった。カテーテルを回しながら所定の位置までうまく誘導されたのである。

そして、所定の位置まで到達すると、カテーテルの先端部に取り付けた、バルーン(風船)を膨らまし冠動脈の狭くなっている部分を押し拡げる治療が行われたのである。血管を押し拡げた後、その部分が再狭窄を起こさないか、しばらく様子を見た後、カテーテルは残した状態で手術が終了した。

バルーンで血管を押し拡げた部分の再狭窄を防ぐために、ステント(網目状の金属製チューブ)を入れる方法もとられるが、今回の私の場合、血管が細くその方法はとられなかった。ステントを入れると、血栓が金属の網目に付着しないように血栓をつくりにくくする薬(抗血小板薬)が処方されるが、重い副作用が出ることがあるため定期的な血液検査を行う必要があり、ステントを入れれば入れたで、ケアが大変でありどちらが良かったのか?何とも言えないと思った。

午後8時頃、手術が終了すると手術室から集中治療室へ移された。左腕に点滴3本、右腕に血圧計、指先に血流計、胸に心電図、右足付け根にカテーテル、尿道に尿を流す管、等々が接続された状態であり身動き出来ない状態であった。特に、カテーテルが入っている右足は動かすなと言われ窮屈であった。ビデオモニターには、心電図、血圧、脈拍、等々が常時表示された状態で、うつらうつらしながら一晩を過ごした。

翌5月1日、集中治療室の状態は継続のままである。朝5時頃、カテーテルを挿入された女医さんが来られカテーテルを抜いてくれた。抜く時まったく痛みは感じず、ちょっと一息ついた感じがした。後から気づいたことであるが、カテーテルを挿入した当たり30cm四方内出血状態であった。

5月1日11時頃、心電図と血圧計が取り外された。替わりに、胸の上部にパッドを貼り付け、胸の動きをモニターして無線で送る装置が取り付けられた。無線機は、首からぶら下げた状態である。

5月1日12時頃、手術後初めて食事を行った。昨日の昼食以来、何も食べていなかったので、出された食事は全部食べることが出来た。

5月1日午後2時、点滴2本、尿を流す管、胸のモニター、等々を装着した状態で集中治療室から一般病棟に移された。この状態を翌日朝まで継続した。

5月2日9時頃、尿を流す管、点滴1本が外される。点滴1本となったが、電子制御の機器でコントロールされていたため、まだ自由に動き回ること出来ず。

5月2日午後、点滴が全て終了し外された。無線機で送る心電モニターはつけたまま自由に動けるようになった。但し、リハビリとして室内のみの自由行動が許可される。小説を読む、ナンバープレース(以下ナンプレと呼ぶ)を行う、等々が出来るようになった。

5月3日、リハビリとして、室内のみの自由行動可能状態を継続。小説、軍師 「官兵衛」 第2巻を読む。

5月4日~5日、リハビリとして、病棟内自由行動の許可が出る。新聞、小説、を読む。テレビ、ナンプレを行って過ごす。

5月6日、リハビリとして、病棟内自由行動の状態を継続。午後、無線心電モニターも外され、この時点で全ての機器が体から外され完全に自由な状態になる。新聞、小説、を読む。テレビ、ナンプレを行って過ごす。

5月7日午前、連休が終わり、運動リハビリが始まる。10時30分運動リハビリ室に行き、リハビリを始める。1.血圧測定、2.体のストレッチ、3.自転車漕ぎスタート、心電モニター、脈拍計、血流計、を装着して60回転/分のスピードで10分間自転車を漕ぐ、脈拍が100前後となり、状態としてはややきついという状態を継続した。4.自転車漕ぎ終了、体のストレッチ、5.血圧測定、で一連の運動リハビリ約40分を終了する。

5月7日午後、心臓病DVD教室で 「心不全と長く付き合う」 というDVDを見る。夜、寝る前に睡眠時無呼吸症候群かどうかチェックするため、一晩中脈拍をモニターする器具を装着して寝る。結果は、問題なし。

5月8日午前、シャワーOKとなる。9時20分~40分シャワーを行う。10時00分~40分運動リハビリ実施。11時00分~40分AEDの使い方講習会と実技を練習する。午後、心臓病DVD教室で 「虚血性疾患と治療」 というDVDを見る。

5月9日、運動リハビリ、シャワー、運動療法講習会、心臓病DVD教室、というルーチンワークを実施。空いた時間は、新聞、テレビ、ナンプレ、等々で過ごす。

5月10日~11日、休日のためリハビリ、シャワー等々一切なし。新聞、テレビ、ナンプレ、週刊誌、短歌を作る、等々で過ごす。

5月12日午前中、運動負荷試験を受ける。心電モニター、脈拍計、血流計、を装着して自転車漕ぎをスタートする。自転車の負荷が徐々に増加して重くなり、もうこれ以上負荷が重くて漕げない所まで漕ぎストップする。運動強度を示すMETsの値は5と判定された。退院時の運動処方として、1.運動の種類・・・早足歩き、2.運動時の脈拍数・・・100拍/分、3.運動時間・・・60分、4.運動の回数・・・3~5回以上/週間、が示された。

5月12日午後、担当主治医と面談を行う。心筋梗塞部位、手術状況の詳細な説明を受ける。今回閉塞を起こした以外の所にも血管の細い所が多数見受けられるが、これは薬物療法と運動療法で対処して行けば良いのであまり心配する必要がないとの説明を受ける。そして、退院日程が決まった。5月15日(木)までリハビリを行い、16日(金)午前中に退院することになった。

5月13日~15日、ルーチンワークであるリハビリ、シャワー、心臓DVD教室、講習会、等々に参加。空いた時間は、新聞、テレビ、ナンプレ、週刊誌、短歌を作る、等々で過ごす。

5月16日午前中、支払いを済ませ退院時の薬、かかりつけの医者(開業医)への書類を渡され退院となった。

今回の冠動脈閉塞による心筋梗塞の原因であるが、私自身では長い間の生活習慣病の積み重ねによって発生したのではと分析している。と言うのは、私は40歳過ぎから高血圧で降圧剤を処方され飲み続けて来ていたのである。また、コレステロールも上限を越すことがあり、薬を飲むと下がるので下がると薬を止める。上がると薬を飲むを繰り返して来ていたのである。

フルタイムの仕事をリタイアしてシンガポールから帰国したのは2007年であった。日本へ帰国してからは、比較的節制した生活を心がけていたので、まさか心筋梗塞になるなどと夢にも思っていなかった。しかし、シンガポールに勤務中の10年間は、仕事の付き合い等もあり、およそ節制とはほど遠い生活をしていた。そして、毎年の健康診断では多くのパラメータが基準値をオーバーしている有様であった。

こうした過去の遺産により、血管に少しずつコレステロールが蓄積、さらに年齢と共に血管が収縮、等々が重なり血管が閉塞したのであると思っている。今回の治療により、閉塞していた所は修復されたが、危なそうな所が多々あるため、油断は出来ず、食事に気をつけ、薬物療法と運動療法を併用した生活を行って行く必要があると自覚している。

入院中に詠んだ短歌があります。興味ある方は、下記文字(アドレス)をクリックして参照頂ければ幸甚です。

2014_05_16_入院中に詠んだ短歌

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