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2014年7月の記事

2014年7月25日 (金)

「会社が消えた日」を読んで、その過程を検証してみた

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20146月、日経BP社から 「会社が消えた日」 という本が出版された。消えた会社とは、言わずと知れた三洋電機株式会社である。私はこの会社に37年間勤務し、2006年末10年間の海外勤務を最後に退職したのである。

三洋電機の危機が叫ばれ始めた頃、即ち200410月の中越地震により、新潟三洋電子の半導体工場が被災、地震保険に入っていなかったことから損害がそのまま損失として計上され20053月期の決算は大幅な減収減益となった頃、私は海外にいたので将来的に、まさか会社が消えてなくなると言うようなことなど 全く想像出来なかった のである。

と言うのは、私が担当していた携帯電話は米国のスプリント社からOEM受注を受け、マレーシアの工場で生産し出荷していた。このスプリント社向けのOEM受注は、写メール付き携帯電話の発売により2003年に大ブレーク、対前年比307%の伸びとなったのである。その後も、約150%/年の伸びが続き、2006年には約700万台/年という凄い数量になっていたのである。

日本の主立った携帯電話メーカーが世界の進化から取り残され 「ガラパゴス化」 する中で三洋の携帯電話は孤軍奮闘し頑張っていたのである。2003年には、大東市住道工場の構内に携帯電話専用工場も建てられ、最盛期には三洋電機の営業利益の半分を稼ぎ出す存在となっていたのである。この状況下では、半導体工場が一つ位つぶれたことで 「会社が消えてなくなる」 など全く考えられなかったのである。

しかし、この本 「会社が消えた日」 を読み経過をたどってみると、三洋はもっと早い段階から蝕まれ、少しずつ傾き始めていたのである。タイタニック号が静かに少しずつ沈んでいったように、三洋電機も約11年(2001年~2011年)をかけて沈んで行ったのである。

三洋が傾き始めた原因は何であったのか?一言で言えば、経営陣の判断誤りである。その経営誤りをチェックする機能もなかったのである。内部の取締役は、創業家のCEO井植敏氏に対して適正な設備投資であるかどうかの意見具申や不正決算であることに気づいていたにも拘わらず何も言えなかったのである。

今、盛んに社外取締役の重要性が唱えられている。それは、経営に対して第三者的立場から忌憚のない意見具申が出来る体制が求められているからである。即ち、不正決算のような間違いがあればはっきり 「それは間違いです。」 と言える社外取締役が求められているのである。

三洋が傾き始めたのは、何時で何が原因であったかと云えば、ITバブルがはじけた2001年在庫の評価損計上や工場の減損処理を適切に行わず、結果不正決算になったのが始まりである。この不正決算は以後6年間20063月期まで続いたのである。200712月にこれを認め、20013月期~20063月期までの6年間の単独決算を自主訂正している。

ITバブルがはじけた翌年、20023月期の電機大手の会社は軒並み大幅な赤字決算となったのである。松下-4,310億円、日立-4,838億円、東芝-2,540億円、富士通-3,825億円、NEC-3,120億円、三菱-779億円、等々である。黒字決算となったのは、当時3Sと言われた、三洋、シャープ、ソニーの3社であった。三洋の場合、CEOの一言 「赤字にするな!」 の結果、不正決算で黒字となったのである。

この黒字決算にしたことが幸か不幸か、世間・マスコミは三洋電機を 「勝ち組」 と呼び、井植敏CEOを 「ナニワのジャック・ウェルチ(GECEOで伝説の経営者と言われた)」 と呼びもてはやしたのである。ちょうどこの頃、携帯電話、デジカメ、リチウムイオン電池、等々の事業は好調であり、気をよくしたCEOは見果てぬ夢を見、売上金額2兆円強の企業を10兆円企業にすると豪語していたのである。そして、半導体、液晶パネルに巨額の投資をしたのである。所が、巨額の投資は実を結ばず、残ったのは12,000億円という途方もない有利子負債と不良在庫であった。12,000億円の有利子負債が残ると言うことは、それ以前の投資の失敗も重なったのではないかと私は推測している。

本来の姿としては、20023月期の決算は同業他社と同じく、在庫処理を適正に行い 全ての膿を出し尽くす絶好の機会 であったにも拘わらず、それを行わず在庫を残し黒字決算にしたことが、ケチのつき始めで世間からもてはやされたことにより、次の経営判断ミスに繋がったのである。即ち、既にこの頃日本の半導体(汎用半導体)事業は斜陽化していたにもかかわらず巨額の投資が行われ、それが全て雲散霧消化してしまったのである。当然こうした経営判断は、取締役会議で討議されるはずであるが、ここらのいきさつは私には分からない。CEOの独断で行われたのかどうかも?

三洋電機破綻のトリガーとなったのは、20041023日、午後556分に発生した新潟中越地震による半導体工場の被災が甚大でと言う説明がなされているが、実際には震災が起こる前に経営は事実上破綻していたのである。

新潟中越地震の翌年20053月期の決算は、中越地震による損失870億円を計上したことも重なり-1,715億円という赤字決算となった。この結果、20056月井植敏CEOは辞任、野中ともよ氏が会長兼CEOに就任、息子の井植敏雅氏が社長COOに就任したのである。

新しくCEOに就任した、野中ともよ氏は財務内容を知り愕然としたのである。即ち、自己資本に見合わぬ過剰な有利子負債、不自然に積み上がった在庫、不良在庫の評価損計上、工場の減損処理を実施すれば債務超過に陥る危険があったのである。従い、翌年20063月期の決算も大幅な赤字2,056億円を計上したのである。

経営に対して全く先行きが見えない中、20062月末資本増強のため新株式(優先株式)を発行し、金融3社、大和証券SMBC、ゴールドマン・サックス、三井住友銀行、から3,000億円の出資を受けたのである。

ここから先は、金融3社に経営の実権を握られ、事業の切り売りが始まったのである。200710月携帯電話事業は京セラに売却され、1,683人の三洋電機社員が京セラに籍を移したのである。

三洋電機は、携帯電話の他に魅力的な事業として二次電池(特に自動車用リチウムイオン電池)、太陽電池、を持っていた。この二つの技術が欲しかったのがパナソニックである。トヨタも三洋の自動車用リチウムイオン電池に関心を持っていた。残りの三洋電機買収先にこの2社が上げられたが、トヨタにとっては電池技術のためだけに三洋電機を買収するには無理があり、結局パナソニックが買収に動き、株式の公開買い付け(TOB)を実施し、20091210日に三洋の発行済み株式の50.2%を取得したのである。

そして、パナソニックは20107月三洋電機を完全子会社にするためのTOBを実施10月に完了、20113月に三洋電機の上場が廃止され、41日で三洋電機はパナソニックの完全子会社になり消えて行ったのである。

三洋電機が消えてなくなる迄に非常に長い時間を要しゆっくり沈んでいったように思えたが、ことの起こりはほんの一瞬の経営判断の誤りに端を発し、これが致命傷となり消えて行ったのである。

2014年7月15日 (火)

W杯サッカーが終わっての雑感

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世界を揺るがす2つのビッグスポーツイベント(オリンピックとW杯サッカー)の一つであるW杯サッカーが終了した。即ちお祭り騒ぎが終了したのである。

私の心の中では、日本が敗れた段階でお祭り騒ぎは終了し、後はどのチームが勝とうが関係ないわ!といった冷めた目で見ていたのである。試合を中継あるいは録画等々で見ることはなくダイジェスト版を見ていただけである。従い、試合内容の技術的なコメントは出来ないのであるが、雑感として感じたことを述べてみる。

全体として感じたことは、ヨーロッパ対中南米の戦いであったと感じている。4強に残ったのはまさに、ヨーロッパと南米の2ヶ国ずつであった。決勝に残ったドイツとアルゼンチンは、偶然かどうか分からないがスポーツといえばサッカーが最も盛んな国である。両国にとってサッカーは国技であるといっても過言でない位の位置を占めているのである。

ドイツとアルゼンチン両国には共通する文化があると同時に、全く相反するものとして国家財政が上げられる。

文化といえば、共通するのは音楽、即ちタンゴの国である。アルゼンチンは言わずと知れたアルゼンチンタンゴの発祥の地であり、今でも最大の文化と云えばアルゼンチンタンゴである。一方、ドイツはクラシックのメッカであると共にコンチネンタルタンゴの盛んな国である。アルフレッド・ハウゼ楽団(ドイツ)とマランド楽団(オランダ)に代表されるヨーヨッパスタイルのタンゴを完成させた国である。私は、どちらかと言えばコンチネンタルタンゴが好きである。

サッカーの決勝戦の相手が決定してから、3日間の日程の余裕があったので、W杯サッカーの余興として決勝戦の前に行われる国家斉唱に加えて、それぞれの国から大音楽団を呼んで、コンチネンタルタンゴ数曲とアルゼンチンタンゴ数曲の競演を行うというようなイベントでも企画されたのであれば、両国に関係のないファン、サッカーファンでない人々にとっても興味をそそるものとなったのではないかと思ったのである。

ドイツのメルケル首相も参加し観戦していたことであり、財政状況の余裕のあるドイツがスポンサーとなってやってくれれば、世界中の人々の間でドイツの名声は一段と高められたのではないだろうか!と夢想したのである。

もう一つの両国の特徴は、国家の財政状況である。ドイツは、世界で最も健全な財政を誇る国である。ドイツの財政状況は、ここ2~3年黒字で絶好調である。ドイツの人口は約8000万人であるが、2012年度の税収は約60兆円、2017年度の税収は約70兆円を突破するだろうと見込まれている。税収増加のカギは、企業の競争力と経済成長である。ちなみに、ドイツの法人税率は30%であるが、消費税率は19%である。

一方、アルゼンチンはここ20年間財政赤字が続いているのである。昨年度は、92%の赤字、今年は179%の赤字が見込まれ崩壊寸前であり、国家破綻に追い込まれるのは必然といった状況である。

翻って、日本の現状はと云えば皆様ご存じの如く20年以上財政赤字が続き、累積債務残高(国+地方の合計)は1200兆円(GDP比232%)を越しているのである。2014年度の歳入は約50兆円、歳出は約95兆円であり、90%の赤字である。どうしようもない状態である。消費税を8%にしようが、10%にしようが「焼け石に水」である。このまま行けばいつか破綻するときが来ると分かっていても手が打てないのである。

国民も赤字状態に慣れきってしまって、なるようにしかならないという諦観状態に陥っている。アベノミクスは最後のチャンスと思い期待をかけたいのであるが、目標が遠すぎて改善の実感がわいてこない。それでもアベノミクスを応援する意外、今道は残されていないのである。

2014年7月 1日 (火)

終活・・・海外ファンドを終息さす時が来た

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終活の一般的な定義は、人生の最終章をよりよく生きるため、葬儀や墓、遺言遺産相続などを元気なうちに考えて準備することである。それをスムーズに進めるための手順書としてエンディングノートなるものが考案され発売されている。

終活を行うことによって、自分の家族、周囲の人々、関係する組織、等々に余分な迷惑、余分な手間暇をかけないようにすることである。そして、ハッピエンドを迎えることである。

しかし、私にとっての終活とは、一般的な定義に言われるような項目を実施することも含まれるが、いの一番に行わなければならないことは、私自身でないと処理出来ないことを行うことである。

それは、描いた夢を追求する活動として行って来た海外ファンドへの投資を終息させることである。私のホームページで述べているヨーロッパのファンドへの「投資活動」を全て終わらせることである。ライフワークの一つとして進めて来たつもりであるが、急性心筋梗塞のような明日をも知れない自体が発生したとき、これを誰が処理してくれるのだろうか?誰も処理してくれる人はいないのである。

この点を私の身内から指摘され、重い腰を上げ退院と共に、全てのファンドを処分する決心をし、売却手続きに入ったのである。即ち、「描いた夢を終息さす時が来た」 のである。この先、どれだけ長く生きれるか分からない状態で継続することは出来ず、ライフワークといえども一足先に終息 さす時を迎えたのである。

今回、処理するに当たり時価がどうのこうの言わずに成り行き任せで早急に売却することを最優先し、約2週間位で決着させようと思っていたのであるが、意外と時間がかかり最終決着まで約5週間強を要したのである。5月25日に、リダンプション申請書を送り、全ての入金確認が出来たのが、本日7月1日である。

やはり、海外のファンドをエージェントを通さず独力で取引を行うには、それなりの労力(先方とのやり取り)が必要であり、人には勧められないな!ということを実感した次第である。しかし、無事処理出来、終活の一つが完了、ひと安心したのである。

今回売却したファンドは、2004年4月と2006年1月に投資したファンドである。途中、2011年1月に約1/5を売却したが、約8年~10年以上保持していたのである。当初の目論見では、年平均利回り20%以上(ファンドの過去のトラックレコードから判断)、20%の複利で10年以上継続すれば元金は5倍に増えると 「捕らぬ狸の皮算用」 をして投資したが、結果はその通りにならなかったのである。

投資してから4年半位は期待通り、年平均リターン20%前後で推移していたのである。所が世の中、「先の変化までは読むのは難しく」、2008年9月15日国際的な金融危機リーマンショックが発生したのである。

リーマンショック金融危機の際、各国が大規模な金融支援や財政出動による景気対策をした結果、かなり財政赤字を膨らませてしまい、その国が発行している国債の信用度が下がり、債務不履行に陥るのではないかという国債暴落危機(ソブリンリスク)が広がったのである。

このソブリンリスクは、ギリシャから始まってアイルランド、ポルトガル、イタリア、スペイン、等々ヨーロッパの国々に広がり収束するまで数年かかり、2012年頃まで続いたのである。

お陰で、順調に推移していたファンドの伸びも、リーマンショック後はほぼ横ばいとなり、回復の兆しが見えていない。このことが、売却を決心した一つの要因にもなっているのである。

参考までに、今回売却したファンドのパフォーマンスグラフを添付します。下記文字をクリックすると見ることが出来ます。

Man AHL diversified Plc パフォーマンスグラフ

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