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2014年8月の記事

2014年8月20日 (水)

地方創世には、抜本的な「統治機構改革」が必要である

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日本創世会議(座長・増田寛也元総務相)は、人口の減少と東京圏への集中がこのまま続けば、日本の半数の市町村が行政サービスの維持が難しくなり消えてしまうと推計し、消滅可能性がある896の自治体を公表した。「消滅する」 と名指しされた自治体には、「増田ショック」 が広がっている。

特に問題となるのは、出産年齢の中心である2039歳の若い女性が仕事を求めて、三大都市圏(特に多いのが東京圏)に流出することにより、地方の人口減が止まらなくなることである。

政府は、新成長戦略の中心に「女性の活躍」と、地方の人口減少や経済の立て直す 「地方創世」 に向けた取り組みを強化しようとしている。首相は、次の内閣改造時に地方創世担当相の設置を表明し、自ら本部長となる 「まち・ひと・しごと創世本部」 を発足させようとしている。

それでは今現在、具体的な内容として何が考えられているのであろうか?以下のような事が上げられている。

1. 地方の若年層流出を防ぐには、地元企業に就職しやすい環境が必要なため、採用に積極的な企業に対する税制上の優遇措置などを検討している。

2. 地元企業でも女性が継続して働きやすい環境を整備するため、待機児童の解消に加えて学童保 育の充実も急ピッチで進めようとしている。

3. 地方活性化策としては、生まれ故郷や応援したい自治体に寄付をすると税金が軽減される 「ふるさと納税」 の拡充を検討している。

ここに上げられているような、通り一遍の施策で一極集中に歯止めをかけ、 「地方創世」 を成し遂げることなんか到底出来るとは思えないのである。こんなことで出来るのであれば一極集中など起こらないはずである。

2020年に東京オリンピックを控え、東京は大きく変わろうとしている。オリンピックをテコに世界最先端の環境都市を構築、交通網を整備し、金融や観光など様々な分野で世界から人を引き寄せる仕掛けを作ろうとしている。更に、選手村となる晴海は大会後には1万2千人が暮らす街に変え、緑あふれる空間に約20棟のマンションを建築し、人をのみ込もうとしている。まさにアリ地獄である。

東京都は、東京一極集中を問題視するのではなく、一極集中をますます進めるような策を次から次へと行おうとしているのである。桝添知事は、東京に 「和風迎賓館」 を建築しようとする構想を表明している。このため、京都にある 「和風迎賓館」 の視察に行き、出来れば東京オリンピック迄に間に合わせたい意向のようである。

政府が、「地方創世」 を進めようとかけ声をかけているが、一方では更なる一極集中が進む施策が行われているのである。こんなことでは、一極集中の流に歯止めをかけることなど夢の中の夢である。 

私が提言したいのは、もっと大局的見地、即ち国家百年の大計に立って国家の仕組みを根本的に変えることから始めないと一極集中、地方の衰退の流は変えられないと考えるのである。

基本的なコンセプトは、国の統治機構を現在のような 「一極集中」 ではなく、「多極分散」 方式に変えることである。民間の企業にお願いして、税金を安くするから地方へ移ってもらおうという他人任せの発想ではなく、国の税金で成り立っている機構・組織を全国へ分散させることである。

地方に中核都市をたくさん作り、人口分散が現実となれば、民間企業も自ずと地方重視の姿勢に変わって来るのである。そこで、地方優遇税制という手をうてば雪崩を打って地方へ移るようになるのである。

多極分散化のやり方には、いろいろなオプションがあると思う。一つの方法として、道州制を採用するのであれば、外交、防衛、治安、を担当する省庁は首都に残し、それ以外の省庁は解体し、機能を全て道州へ分散して移すのである。当然ながら、道州間の人口、税収、等々はバランスを取り、絶えず均等になる仕組みを考えることは言うまでもないのである。

更に、次のオプションとして、道州制を採用しない現状のままの都道府県制を継続するのであれば、首都に残す3つの省庁以外は全て丸ごと地方へ移すのである。人口の少ない過疎の県に優先して移すのである。1つの省庁を例えば北海道に移すのであれば、そのバックアップを九州のどこかの県に設けるのである。

そして、大学についても現在3大都市圏に集中しているのを、強制的に全国へ均等に分散させることも考えるべきである。

こんなことをすれば、連絡(会議を含む)の効率が悪くなるのではと危惧されるが、現在の発達した通信手段を使えば問題ないと思う。即ち、専用の通信衛星を打ち上げ、他国の干渉とかハッカーが入り込める余地を作らない、衛星通信手段を構築する。通信衛星だけでは、太陽の変動による磁気嵐等々で通信できないことが想定される。

これを防ぐため、もう一つの通信手段をパラレルに設ける。即ち、高速道路網あるいは鉄道網を利用して、有線による光ファイバー網を構築する。これも専用線としてハッカーが入り込めないようにするのである。地震等々自然災害が発生した時でも2系統の通信手段を確保しておけば、通信に困ることはないと思う。

一極集中を防ぐ、一つの手段として提案したいのは、御所を再び京都に戻すことである。京都は、昔から日本の伝統を受け継ぐ千年の古都であり、御所として最もふさわしい場所であると思っている。海外の元首を迎え接待するにも和風迎賓館が使用出来、新しく建築物を作る必要もないのである。京都に御所を移すことによりどれだけ効果があるのか?と思われが、多極分散化の象徴となり徐々に効果が出て来ると確信するものである。

もう一つのねらいは、京都、奈良、伊勢神宮、出雲大社、といった日本の伝統文化を受け継ぐ地域を有機的に結びつけ、天皇が定期的にこれらの地域を巡回するようにし、伝統文化を明確に後生に伝える仕組みを構築すべきである。

ここで述べている、多極分散型社会へ変革さすことについては、以前から私の持論であり、2006年秋に行われた横田高校同窓会の近況報告の中でも触れているのである。長年の懸案事項であり、実現して欲しいと願っているものである。

将来の国家の在り方について、グランドデザインが描ける優秀なプランナー・コディネーターが現れ、これらの議論を取り上げ実現へと導いてくれることを願うのである。想定しているのは、若き日の 「堺屋太一氏」 のような官僚である。何とか 「真夏の夜の夢物語」 で終わらせて欲しくないと願っているものである。

2014年8月 4日 (月)

身近な先輩の自分史を読んで感じたこと

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先月720日、甥の結婚式出席のため、鳥取県西伯郡大山町にあるプリムローズガーデン(森と水の教会)を訪れた。その帰りに故郷奥出雲町横田へ寄った。かねて横田へ帰省した時は、渡したい物があるので是非寄ってほしいと言われていた親戚の家を訪問した。

そこには、教員を退職し現在一人暮らしの女のM先生が老後を悠々自適、晴耕雨読、と言った感じで生活されていた。私より6歳年上であるが、とても元気でいきいきと生活されていた。訪問すると、応接室に通され抹茶を入れて頂き、何十年も訪れていなかったのでアルバムを見ながら世間話をした。

その後、居間に通されM先生の著作である2冊の本をサイン入りで頂いた。1冊は、「蝉のこえ」 という自分史である。もう1冊は、「あしたの花」 という句集である。この句集は、平成11年句会に入会され、その後平成23年までの12年間に読まれた句から、321句を選び1冊にまとめられたものである。

M先生は、約20年前に山陰中央新報社主催の文化教室、自分史講座を受講されていたのである。この自分史 「蝉のこえ」 を発刊するに当たり、文化教室の先生であった人から 「刊行によせて」 という前書きが記されていた。この前書きによると、「受講生の皆さんは熱心であったが、自分史などというものは、そう簡単に書けるものではない。多くの人はギブ・アップするものである。」 の記述があり、M先生もギブ・アップされたのではないかと思われていたようである。

この自分史 「蝉のこえ」 は、時系列的に出来事を羅列するのではなく、強く印象に残っている人生の一コマ一コマをエッセイ風にその時々にあった題を付して述べられているのである。

これを読んで直感したことは、自分史とはこういう風に書けば、ただ単純に記録というだけでなく、興味を持っておもしろく後生の人々も読めるのではないかな!と思ったのである。

過去の自分史とは、何らかの意味で成功した個人の立志伝的なものが多かったが、最近の自分史は平凡に生きてきた人々が一生懸命生きてきた証しとして、生き様を綴ったものが増えて来ている。自分の生き様を後生の親族あるいは関係者に伝えることにより参考にしてもらい、後生の人々も一生懸命生きて行ってほしいという願いが込められているのではないかと感じるのである。

そう解釈して読むと、M先生は人生の大半を終えられたいま、自分が生きてきた人生の集大成として、自分史をまとめ上げられるという大仕事を成し遂げられたのであると思っている。

自分史を書くとすれば、年齢的には70歳代前半に書き始め、終わるのが理想的ではないかと思っている。70歳代前半であれば、記憶力、思考力、洞察力、と言った能力がまだまだそれほど衰えていないからである。

日本人男性の平均寿命も伸びて80歳を越す迄になったが、私の現在の健康状況を鑑みると、とても80歳まで生きられるとは思っていない。何とか、健康で自立した状態で喜寿まで生きることが出来ればというのが関の山である。従い、70歳代前半が重要であると感じている。

私が自分史を書こうとすれば、今まさに旬の時期であるが、何故かしら今すぐに書く気にならない、いや熱が入らない。私は、ホームページで 「活動記録」 という項目を設け、時系列で出来事を記述しているが、この出来事の中で特に印象に残っている項目を選び出し、文章を追加して行くことから始めてみようかと思っている。そのうち何か良いアイデアが浮かんで来るかもしれない。

10月26日 以下の記事を追加

10月22日付けの日本経済新聞夕刊に、自分史に関する記事が載っていました。題名は、“シニア「自分史」に熱”で、人生にけじめをつけるために書く人が増えているようです。以下の文字をクリックすると記事に繋がります。興味ある人は、読んで見て下さい。

日経記事 “シニア「自分史」に熱”

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