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2014年11月の記事

2014年11月25日 (火)

一過性脳虚血発作の疑いで入院・・・結果は?

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117日(金)夜9時前、風呂の洗い椅子から立ち上がろうとすると右足にしびれを感じ、力が入らない脱力感に襲われすっと立ち上がれなかった。何か様子がおかしいなと思いながらバスタブに手をついて立ち上がった。しばらくすると違和感は次第に和らいできたが、右足が重く感じられ少し足を引きずって歩く状態になった。

今年の927日(土)、住道の喫茶店で以前三洋電機で同僚であった友人と出会った。会社を退職してから会っていなかったのでいろいろと話が弾み約30分位話し込んだ。彼は、私より3歳若かったが脳梗塞になり後遺症が残り杖をついて歩いていたのである。好きなゴルフが出来なくなったとぼやいていた。

まったく偶然であるが、この時彼が脳梗塞になったときの状況を詳しく説明してくれたのである。その時の説明によると、最初に右足に違和感を感じた時には、まさか脳梗塞の前兆などとは夢にも思わなかったので、そのうちに直るだろう位に思って様子を見ていたそうである。そして明くる日になってから病院へ行ったそうである。

病院へ行った時には、時既に遅く脳梗塞が進み後遺症が残る状態になってしまっていたとの事であった。最初に症状が出たときに病院へ行き、適切な治療を受けていたのであれば、後遺症が残ることなく回復していただろうと医師からは告げられたそうである。事象が発生してから4時間以内に最初の処置を受ければ良かったと、すぐに病院へ行かなかったことを悔やんでいたのである。

そこで私の場合、2ヶ月半前に聞いた話の内容が非常に印象強く残っていたので、ひょっとしたら友人が言っていた現象そのものではないのかと直感したのである。ぐずぐずしてはおれないと思い家内に連絡し、すぐに救急車を手配してもらい、病院へ駆けつけたのである。気も動転していたのか、救急車の中で測った血圧は200近い値であった。

病院へ着くと、問診と現在の状況を確認され、早速MRIで頭部の検査が始まった。MRI測定の結果はすぐに出て、特に異常は見つからなかったが、入院して詳細な検査を受けることになった。この時から連続して点滴を行い、脳の血液をさらさらにして流れやすくする処置がなされた。

入院したのが週末であったので、翌週の火曜日(11日)まで待って検査が行われた。再度の頭部MRI検査、頸動脈の超音波検査、心電図、等々であった。頸動脈には、かなりコレステロールが付着していたが、今すぐ血管を詰まらせるほどではなく、特に今すぐ問題にするほどではないとの見解であった。翌日点滴が外され、その次の日(13日木曜日)の午後退院することになった。

退院した翌日(金曜日)、かかりつけの医者の所へ行き、入院した病院(星ヶ丘医療センター)からのレターを渡し、詳細を報告した。そして、午後は車を運転し散髪にも行ったのである。所が、この夜9時頃テレビを見ている時、急に症状が再発したのである。最初に起きた発作よりきつく感じるものであった。同じ病院へ電話した所、すぐに来なさいとの指示でタクシーを呼び駆けつけたのである。

最初の時と同じく今度もすぐに頭部MRI検査が行われた。異常は見つからなかった。その晩は点滴をして再度の入院となった。翌週、月曜日(17日)今度は別の角度から検査が行われた。腰椎のMRI監査、血圧脈波検査、血液検査、尿検査、等々であった。今度も異常は見つからなかった。火曜日(18日)点滴が外された。すぐに退院したのでは、また同じ事が起こるのではないかと懸念され、点滴を外した後、しばらく様子を見るため週末まで入院を継続した。

点滴を外した後、3日間異常がなかったので4日目の金曜日(21日)午後退院となった。一応退院とはなったものの自分自身、確かな確信をもっての退院ではなく疑心暗鬼を伴う退院であった。

長年続く高血圧、高脂血症、老化による血管の収縮、等々に起因する、心筋梗塞、脳梗塞、等々何時起きてもおかしくない体の状態であることを改めて認識させられているのである。高血圧、コレステロール、血液をさらさらにする薬、等々処方され服用しているのであるが、特に血圧は思うようにコントロール出来ていないのが問題であると思っている。しばらくは通院して様子を見ることになっているので、どうコントロールすべきか次回医師と相談しようと思っている。

今回の入院時、病院でもらった病気の説明書を添付しますので、興味のある方は読んでみて下さい。

1. 一過性脳虚血性発作(TIA     2.脳梗塞     3.脳卒中とは

2014年11月 5日 (水)

日銀の追加金融緩和をどう評価すべきか?

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1031日(金)、日銀は金融政策決定会合で追加の金融緩和を決めた。今回の決定については、金融政策決定会合に於いて政策委員の意見は割れ賛成5反対4のギリギリの判断であったようである。

しかし、市場ではほとんどの関係者が予測をしていなかったこと、更に2日前に米国FRBがリーマンショク後(20089月)に始めた量的緩和を完全に終了したことのタイミングと重なり、市場は大きく反応し世界中にサプライズを与え、日本の金融緩和であるにもかかわらず、世界中の株価を押し上げたのである。一方、日本の市場に潤沢なマネーが供給されることになることから円安も急激に進んだのである。

1031()、午後の株価そして為替の推移が如何に急激なものであったかは下記のグラフを参照すれば一目瞭然である。

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しからば何故このタイミングでこれだけの追加金融緩和を行わなければならなかったのかの背景を探って見ると、今年の4月に行われた消費税増税後の景気回復であるが、46月は増税前の駆け込み需要により落ち込むと予測されていたが、その落ち込みが予想より大きく年率換算でGDP-7%を越す値となったこと。

更に79月には追加の経済対策の効果が現れ、ある程度回復基調に戻ると見込んでいたのであるが、冷夏という天候不順に加えて数度の台風襲来による景気の足踏み、即ちアベノミクスが踊り場に差し掛かり消費者物価指数も1%台半ばで停滞し、このままでは 「2年程度で2%の物価目標を達成する」 というシナリオが崩れ始め出していたのである。

こうした経済の足踏み状態を脱却して、再びアベノミクスに力を与え景気を刺激し、物価上昇目標を正規の軌道に戻そうとしたのである。

所が、金融緩和には副作用がつきもので、急激な円安が進みその副作用が懸念されるのである。現在の経済構造では円安が輸出拡大(国内所得の拡大)に結びつかず、物価を上昇させるのみで、結果として実質賃金に下押し圧力がかかることが懸念されるのである。

また、現在の日本の金融緩和レベルは、GDP比でみると日本が7割、米国2割強、欧州1割強、と日本が突出しているため、量的緩和を手じまう時のハードルが高くなるのである。

今回の金融緩和を実施するのかどうかについては、上述した副作用を懸念し、政策委員の間で意見が割れ、賛成5、反対4、となったものと推測する。現在の日銀総裁黒田東彦氏は、名うてのリフレ派であり、副作用を恐れず追加の金融緩和をリードして今回の実現になったと理解している。

ここで思い起こされるのが、リーマンショック後の日銀の対応であった。当時の総裁白川方明氏はリフレ派ではなく、リーマンショック後米国が大幅な金融緩和を実施したにも拘わらず日銀は動かなかった(事なかれ主義を貫いた)為、経済の実態を反映しない超円高が約5年間も続き日本経済は瀕死の状態に陥ったのである。

この超円高を克服するため、日本企業は国内生産を諦め、こぞって海外へ工場を移したのである。この時の影響が現在も残り、円安が進んでも日本に工場が少ないため輸出にドライブがかからず、貿易収支は赤字を継続しているのである。

結論として、副作用を恐れるがあまり、日銀が今回の追加緩和を行わなかった場合を想定してみると、アベノミクスは増税後の景気下振れから脱却することなく、ダラダラと下降線を下り続けるのではないかと思われる。しかし、今回の緩和により、株価が押し上げられ資産効果が生み出されたことにより、景気の一本調子の下りに対して、ストップをかけるクッション的役割を果たしたのではないかと思っている。従い、今回の追加緩和は大いに評価できるものと思っている。副作用の一つである輸出にドライブがかからない問題については円安が定着することにより徐々に改善されて行くものと思っている。

景気の下り坂に対して、日銀がストップをかける役割を果たしたのであるから、これからの景気回復に対しては政府側がアベノミクスの3本目の矢である、規制緩和を実行し民間投資を喚起する成長戦略を確実に推進して行くことが求められるのである。TPP交渉もアベノミクスを推進するキーであることから早期の妥結を望むものである。

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