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2015年2月の記事

2015年2月18日 (水)

「歌は世につれ、世は歌につれ」 は今も生きているのだろうか?

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昭和の演歌黄金時代(昭和30年~50年)には、「歌は世につれ、世は歌につれ」 という言葉がまさに地で行っていたという感を抱いていた。昭和の後半(昭和50年~終盤)からJ-Popsが台頭してきて、演歌の比率が下がって行くに従い、この言葉も影を薄めてきたように感じていました。

私は、カラオケが好きで洋友会のカラオケクラブに所属し、月に1回は例会に参加し、仲間と一緒に楽しんでいます。毎回8曲程度歌っていますが、毎月同じ歌を歌うのではなく、違う歌を歌うようにしています。これは私だけではなく、メンバーそれぞれがよく勉強をしてきて毎月違う歌を歌っています。

毎月違う歌を歌うためには、それなりに努力し、自分が知っている過去の古い曲を思い出す、さらに自分の好みの新しい曲を発掘する等々を行い、ICレコーダーに録音し、毎日のウオーキング時、繰り返し聞き、練習して臨んでいます。

新しい曲を見つけ出すには、テレビの音楽番組、ラジオの番組、等々を見聞きしながら発掘しています。昼間、パソコンを操作している時は、BGMとしてラジオを流しています。

ラジオ大阪の番組を聞きながら、発掘した演歌があります。歌の題名は 「兄妹峠」 という曲です。歌っているは、昨年64歳でデビューした 「本城みのる」 という歌手です。この曲は、まだテレビでは見聞きしたことはありません。

この曲のメロディーは典型的な演歌調です。私が、注目しているのは歌の歌詞です。最近の世相をよく映し出しているのではないかと感じたからです。作詞は 「仁井谷俊也」、作曲は 「聖川湧」 です。

最近の世相を映し出しているとして取り上げるキーワードは、「母子家庭」 「認知症」 です。こういう言葉は、昭和の時代にはほとんど聞かれなかった言葉だからです。 「兄妹峠」 の歌詞は次の通りです。

1. 母の手ひとつで 育てられ 数えた苦労は 山の数 人の無情の 兄妹峠 泣くな泣くなと その手を引いて 叱れば俺らも あああ 泣けたっけ             

2. 農村(ふるさと)追われた あの頃は 知らない旅空 わら葺き屋 凌ぐ雨露 兄妹峠 朝は早よから 夕星小星 働きづくめで あああ 生きてきた

3. 吹雪に嵐に 耐え抜いて しあわせ人並み 腹八分 春の陽が射す 兄妹峠 どなたですかと 聞いてる母に 親孝行(こうこう)しような あああ ふたりして

最近、母子家庭、父子家庭、の比率が増えていると感じています。何%位かはわかりませんが、退職後非常勤講師として3年間門真市の小学校で5年生・6年生対象の理科支援員をしていました。その時、担任から聞いた話ですが、母子家庭・父子家庭を併せた子供の数は3割を越すとの話でした。(地域特有かどうかわかりませんが) 母子家庭の場合、貧困率も高く、生活も不規則になりがちで、学校での態度も荒れがちになるという特徴がありました。

一方、高齢化が進み、認知症患者も急増しているようです。65~69歳では1.5%ですが、年齢が5歳上がる毎に約2倍に増え、85歳以上では27.3%となり、4人に1人が認知症であるとされています。おそらく私と同世代の方々であれば回りを見渡し、あちらこちらにおられると気づかれているのではないかと思います。

本題に帰って、「兄妹峠」 の歌詞をかみしめて見ると、母子家庭で苦労して育てられ、世間へ出ても働きずくめの人生、やっと一人前になり、ほっと一息つき後ろを振り返り、母親に目を向け親孝行しようと思ったところ、母親は認知症になっていた、という平成の世の物語である。まさに 「歌は世につれ」 という言葉が蘇って来たのではないかと感じた次第である。

2015年2月 5日 (木)

後藤さん殺害・・・何故過去の教訓は生かされなかったのか?

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21日、イスラム国に人質として拘束されていた日本人フリージャーナリストの後藤健二さんが殺害された。過去にこうした事件は幾度となく繰り返されてきたのである。何故、過去の教訓は生かされなかったのだろうか?

後藤健二さん、湯川遙菜さんがイスラム国に人質として誘拐され、釈放の条件としてイスラム国は日本政府に2億ドル(240億円)の身代金を要求してきた。法外な身代金であることと、身代金を支払うということ自体、テロとの戦いに屈したことになるので、とうてい支払うことは出来ないだろうと推測していた。

予想通り、日本政府は1円・1ドルたりとも払わないと決断し通告したのである。すると、イスラム国は身代金の代わりにヨルダンにとらえられているテロの実行犯である、サジダ・リシャウィ死刑囚と後藤さんの交換を要求してきたのである。

ヨルダン側は、イスラム国に拘束されているヨルダン軍のパイロットのムアーズ・ カサースベさんとヨルダンに捕らわれている他の死刑囚を含めた2:2の交換を提案したのであるが、この時既にパイロットは殺害されていたので、イスラム国は後藤さんとリシャウイ死刑囚との交換に固執したのである。ヨルダンにとって、この要求は理不尽であり到底飲める案ではなく拒否した結果、後藤さんは殺害されたのである。

ここで私が問題視するのは、過去にもこのような事件、即ちどこの企業・団体にも所属しないフリーのジャーナリスト・ボランティアが勝手に危険地帯に入り込み拘束され身代金を要求される事件である。どこかの企業・団体に所属していたのであれば、所属長がいて決して危険な所へ行くなど許可しないはずである。

フリーであるが故に、どこかに所属しているジャーナリスト・ボランティアには出来ない取材活動あるいは支援活動等々が出来るのであるが、それも自分自身の身柄が安全であってこそ生きてくるということを自覚すべきであると思う。

事件当初、後藤さんがイスラム国に入ることに関して “誰もそんな危険地帯へ行くな!” と注意しなかったのかなと不思議に感じていたのである。後藤さん自身ビデオで “自己責任で危険地帯へ入って取材を行う” と発言していたのである。

自己責任で入るというのであれば許されるのかという事であるが、一端事件が起これば自己責任で責任を取ることなど出来ず、結果的に多くの人々に迷惑をかけることになるのである。それでも行くということは危機管理意識が欠如しているのか、自分は民間人でジャーナリストであるからまさかそんな危険目に遭うことなどないと甘く見ていたのではないのか、と推測するのである。

これは、後藤さん殺害後に知ったことであるが、日本政府即ち外務省は後藤さんの渡航計画を事前にキャッチし、電話で2回、直接面会して1回、渡航中止を要請したとのことであった。それでも、後藤さんはそれを振り切ってイスラム国へ入ったのである。

悔やまれるのは、政府は何故もっと強い態度で勧告出来なかったかである。即ち、危険地帯へ入るというのであれば渡航計画自体を強制的に中止させるという手段を取らなかったかである。法治国家であるが故にそんな強制的な事は出来ないということであるのだろうか?

しかし、この手の事件はこれからも必ず起こると思われる。これを機会に、日本政府が危険地帯であると認定する地域へは、いかなる個人・団体とも政府の許可なしには入ることは出来ないという法的処置をすべきであると感じたのである。

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