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2015年3月の記事

2015年3月23日 (月)

大阪都構想は是か非か・・・長期的視点で判断すべき!

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大阪市選挙管理委員会は320日、大阪市を特別区に分割し再編する「大阪都構想」の是非を問う市民対象の住民投票を4月27日に告示し、5月17日に実施する日程を決めた。住民投票で賛成票が反対票を上回れば、大阪市は廃止され、5つの特別区が新たに設置される。

私は大阪市民ではないので大阪都構想に対する住民投票の権利は持っていない。しかし、大阪府民であり、今後の大阪がどうなって行くのかについては無関心ではいられないのである。

大阪都構想とは、大阪市と大阪府の二重行政による無駄を排除して、豊かな大阪を作ろうと大阪維新の会が中心となって進めているものである。即ち、政令指定都市である大阪市を解体し、5つの特別自治区を作り、全体としては大阪都として一人の知事が管轄するようにしようとするものである。ワン大阪構想である。

大阪市と大阪府の勢力争いは、過去何十年と続けられその結果、同様な施設がダブルで作られ、事業がダブルで行われ、二重行政と呼ばれるようになったのである。

都構想に賛成派、反対派の争いは、住民サービスに関するもの、新設される特別区の税配分に関するもの、特別区設置にかかるイニシャルコストに関するもの、二重行政解消により浮いてくるコストに関するもの、等々が大雑把な争点である。

これらの争点はいずれも短期的なメリット、デメリットについての論争であり、どちらか一方の言い分が正しく、他は正しくないと判断するのは難しく、私の見方はイーブンであるとみている。

本来の大阪都構想の目的何か? もっと長期的な視点に立って考えるべきであると思っている。現在、大阪市・大阪府が抱える問題点は何か、それは東京一極集中による大阪の相対的な地盤沈下である。

一般庶民は気がついていないかもしれないが、大阪の存在感は薄れる一方である。活気ある大阪を取り戻すためには何をすれば良いのか?という視点に立って大阪都構想を考えるべきであると思っている。

かって、大阪は日本の経済の中心であった。1950年(昭和25年)~1960年(昭和35年)の高度経済成長期には、御堂筋沿道でビル建設ラッシュがあったのである

1970年(昭和45年)~1980年(昭和55年)大阪万博開催に伴い、一等地であった御堂筋には、多くの金融機関が集積し、1980年代にそのピークを迎えた。とくに、淀屋橋~本町間には都市銀行、全国の地方銀行の本支店が集まり、関西一のビジネスゾーンとして繁栄した。当時は、御堂筋にオフィスを構えることがステータスであったのである。

これら昭和の大阪の繁栄を築く礎となったのは、第7代大阪市長 「関一(せきはじめ)」 の大規模な都市計画事業により建設された御堂筋に負う所が大きかったのである。「関一」 は、パリをはじめとするヨーロッパの都市を模範として、大阪発展百年の大計として1921年(大正10年)に御堂筋建設計画を打ち出したのである。

1930年(昭和5年)御堂筋の拡幅工事に着工、幅員44m、電柱の完全地中化、地下鉄同時開発、という当時では類を見ない壮大な工事であった。1937年(昭和12年)御堂筋完成、4列のいちょう並木が植えられ、ゆったりとした歩行者空間は当時の人々を驚かせたのである。

翻って、大阪都構想についてみると、長期的視点即ち大阪100年の大計という観点に立って考えて見ると大阪都構想は必要である。現状のまま、大阪市と大阪府が併存する形では将来の発展の見通しは立たないのである。

大阪都というワン大阪にすることによって、将来発展の図式は描けて来るのである。ワン大阪にすることによってどんな将来展望が描けるのかといえば、そのお手本となる例は海外にあるのである。

その一つの例が大ロンドンである。大ロンドンは、昔のロンドン市の周辺に位置した33の市や区を統合し大ロンドンを作ったのである。以前は、市や区で行政がバラバラであったが、一人の市長になり、いろいろな改革が実現することになったのである。この詳細は、テレビ大阪の番組、「池上彰の世界を知れば大阪が変わる」 で詳しく解説されているのでここでは述べない。

もう一つの例は、シンガポールという都市国家である。シンガポールという都市国家は、絶えず改革をし続けて来た国である。改革の手を緩めるという事は、国家存亡の危機に繋がるのである。学ぶべき事柄は、渋滞を防ぐ交通政策、チャンギ国際空港の改革(ジュエル・チャンギ・エアポート計画・・・テーマパーク・ショッピングモールの機能を持たせる)を進め絶えず世界No.1の地位を維持して行こうとする政策、IRIntegrated Resort・・・統合型リゾート)を中心とした観光政策、これらの詳細についても、テレビ大阪の番組、「池上彰の世界を知れば大阪が変わる」 で詳しく解説されているのでここでは述べない。

海外の例を参考にして、大阪では何をやるのか?であるが、私はグランド・デザイナーでもなんでもないので的を射たアイデアであるかどうかは別として、こういうことが考えられるのではないかと思っている。

1.関西国際空港を海外から関西への入口、のみならずハブ空港としての空港機能を充実させる。それこそチャンギ空港を参考としてアミューズメント機能を追加し、単なる待合室というのではなく、長時間居っても退屈させない場所にして行く。ハブ空港化するに当たり必要なら滑走路を更に1本追加し、ターミナルも増やす。

2.既に、橋本市長・松井知事により提案されている夢洲にIR・・・統合型リゾートを建設する。この中には、ホテル、劇場、会議場・展示場、博物館、ショッピッングモール、アミュズメントパーク、カジノ、等々が含まれる。全体構想としては、成功しているシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズを参考として行う。カジノ運営のノウハウについても学ぶ。

3.関西国際空港、夢洲IR、大阪都心(梅田・新大阪)、京都、を高速鉄道(リニア)で結び、短時間でアクセス出来るようにする。建設までに相当時間がかかるので、当面関西国際空港と夢洲IR間を高速ホーバクラフトで結ぶ。

4.交通戦略構想については、大ロンドンの例を参考に、脱車社会を目指す。中心部を走る車に混雑税を課す、地下鉄を24時間化する、自転車専用の高速道作る、レンタサイクルを整備・多数の駐輪場を建設してどこでも自由に返却出来るようにする。

等々が素人なりに考えた案である。こうした案を実現しようと思えば、大阪都構想は必要である。今回の大阪市民による投票で否決されるのであれば、ほぼ未来永劫に実現不可能であると思っている。そして、過去何十年と続いて来た二重行政解消という試みも一瞬にして水泡に帰すのである。

一方で、大阪都構想は統治機構改革の一歩でもある。大阪都構想に続くのは、道州制への移行である。道州制への移行の前哨戦として、大阪都構想を是非実現させ、成功させることが重要であると考えるのである。

2015年3月13日 (金)

『昭和40年男』 という雑誌・・ご存じでしょうか?ラジカセを特集!

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雑誌 『昭和40年男』 とは、昭和40年(~413月) 生まれの男性のための情報誌です。創刊号は200911月に発売、その後 奇数月の11日に発売され、最新号は311日に発売されたVol.30です。私もこういう雑誌が存在することなど全く知りませんでした。雑誌の概要説明Web.ページへは、以下の文字をクリックすると繋がります。

『昭和40年男』 という雑誌の紹介 Web.ページ

ことの始まりは、ある一通のメールを頂いたことから始まりました。1月28日、(株)クレタ 『昭和40年男』 編集部の副編集長という方から雑誌の取材にご協力いただけないかという申し入れから始まりました。

雑誌 『昭和40年男』 についての説明の後、次の昭和40年男3/11発売号にて ラジカセを大きく取り上げたいとの事でした。昭和40年男はラジカセでエアチェックしていた世代であり大変人気のある企画 であり、特集記事の一つとして、各メーカーのラジカセに関わっていた関係者の方に当時の話を聞き記事を作りたいので協力お願い出来ないか?ということからでした。

私のHPを見て当時 (昭和55年前後の頃) ラジカセの設計業務に携わっていた事を知り、この問い合わせに繋がったようです。何せ約35年前のことであり、 “当時のことはあまり覚えていないかもしれませんが、記憶に残り覚えている範囲でOKあれば取材に協力致します” と返事を返しました。その後、取材したいポイントがまとめて送られて来て、電話取材に応じたわけです。

35年前といえば、年齢も35歳前後で、当時設計に携わっていたラジカセモデルとしては、昭和54“MR-V8” 、昭和55年 “MR-U4SL(スリム)”、昭和56年 “MR-88”・・飛び出せテレコ88、等々であり、今思えば非常になつかしく郷愁にかられる想いを蘇らせてくれました。

『昭和40年男』 311日発売の最新号の概要説明Web.ページは以下の文字をクリックすると繋がります。

『昭和40年男』 3月11日発売の最新号の紹介Web.ページ

この最新号では、特集 “興奮のラジカセ” という事で各社のラジカセが取り上げられています。三洋のラジカセとしては、“MR-X20”・・BigBen、“MR-X920”、“MR-U4SF”、“MR-WU4”、“MR-Q4“、“MR-9600”、“MR-88”、等々が載っています。

ラジカセメーカーのページではなく、「ラジカセがヒップホップに与えた影響」 という対談記事の中のバックグラウンドに対談者が持って来たというラジカセとして、“MR-V8” が飾られています。対談の内容であるヒップホップに関しては、全くチンプンカンプンですが、写真の中にさらりと出て来る “MR-V8” が非常に気に入りました。3カ所も出て来ています。

世の中不思議なもので、思いがけない事が、思いがけなく起こるとはまさにこの事、遠い昭和の出来事がノスタルジックに想い出され、昭和40年男という雑誌の企画に感謝している次第です。

雑誌の最新号は、(株)クレタパブリッシング社から、「企画に協力頂き有り難うございました。」 ということで発売日に1冊送付頂きました。

『昭和40年男』3月11日発売号で紹介されている三洋ラジカセ

2015年3月 2日 (月)

「錦織圭」 遂に世界4位へ浮上・・・しかしまだまだ課題多し

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2015年に入ってから、錦織圭の中進撃が続いている、あえて快進撃とは呼ばない。何故、快進撃でないのか?まず、初戦の 全豪オープン(1/192/1はベスト4を期待していたが、ベスト8止まりであった。そして、ATP500メキシコ・オープン(2/133/1では、当然優勝と思っていたのであるが、準優勝止まりであったからである。

錦織の今の実力からすると、この二つの戦いで期待通りの成績が残せたはずである。もし期待通りの成績を残していたのであれば、順位は3位まで上がっていたのではないかと推測された。

特に、ATP500メキシコ・オープンの決勝の相手は、世界第9位ダビッド・フェレールで過去の対戦成績は7勝3敗、特に最近の5試合で5連勝している相手であり、勝って当たり前と思っていたので少し失望させられた。

この試合、第一セット錦織はミスが多いのとサービスキープが出来ず簡単に3-6で落としてしまった。第二セットに入っても調子は上がらず、いきなりサービスゲームを2つ連続で落とし0-3とリードされてしまった。この時点で今日はもう駄目かと思わせる出来であった。

しかし、第4ゲームで相手のサービスを破りブレークバック、そして第5ゲームでサービスキープ、そして徐々に調子を上げ、第10ゲーム終わった時点で5-5と追いついたのである。全体的に調子が今ひとつという中で、追いつくとはさすがに世界第5位という実力は伊達ではないなと思わされたのである。

さあこれから巻き返しだ!と期待したのであるが、第11ゲームに入って4度目のブレークを許してしまった。そして第12ゲーム相手にサービスキープされ一巻の終わりとなったのである。

この試合ミスが多いのとサーブも悪く、何故なのかなと思っていた所、どうやら前回の大会 ATP250メンフィス・オープン(2/92/15で優勝した後、インフルエンザにかかり大会前は充分に練習が出来なかったことが起因していたようである。

インフルエンザにかかり練習が出来ていなっかた割には、よくここまで勝ち上がって来られたと評価出来る面もあるが、課題として残るのは、ファーストサービスが入る確率をもっと上げなければならないことである。

世界順位が15位以下の選手相手であれば、ファーストサービスが入らなくても何とか凌いで勝つことは出来るが、ベスト10位以内の選手との対戦に於いては、ファーストサービスが入る確率を70%以上に上げて行かないと容易に勝つことは出来ないのである。従い、今後の課題としては、ファーストサービスの入る確率を上げ、如何に試合を有利に進めて行くようにするかということである。

それにしても、世界4位ということは凄いことである。どの試合に於いてもシードは世界ランク順に決まるため、5位~8位のランクであれば準々決勝で4位以上の格上と当たる。しかし、ランク4位以上となれば、第4シード以内に入ることになり、ジョコビッチ、フェデラー、ナダル、と云った強敵と当たるのは準決勝以降となるのである。

従い、トーナメントの前半は比較的くみしやすい相手との対戦となるため、体力を消耗することなく勝ち上がることが出来、後半の上位選手との戦いに体力を温存して臨めることになるからである。

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