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2015年4月の記事

2015年4月23日 (木)

沖縄の基地問題どう解決したら良いのだろうか?

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沖縄の基地問題で政府と沖縄県との対立が深まっている。日本国民にとってなんともやりきれない思いを抱かせている問題である。双方の言い分に一理あり、どちらがどうのとすぐに言えない所に苛立ちを感じるのである。

この問題は、日本の安全保障に関わる問題であり、日本国民であれば全ての人が真剣に考えなければならない課題である。各メディアもどう扱ってよいのかはっきりした方向性を打ち出していないのが現状である。

沖縄の基地は地政学的に言って必要不可欠な基地である。軍事力により現状変更をいとわない覇権国家、言わずと知れた共産党一党独裁国家(中国)による絶えず挑発が行われている尖閣諸島に最も近い基地である。一触即発の危機は今も続いているのである。まさに米国海兵隊の駐留が必要な地域である。

尖閣諸島については、日本が絶えず領土保全監視活動を行い警告を発している、更に米国が日本の施政権が及ぶ地域については日米安全保障条約が適用されると明言しているため、中国も大きな問題となるような挑発ではなく、様子見的な挑発行動となっているのである。

一方、中国とフィリピンが領有権を争っている南シナ海の南沙諸島については、米軍のプレゼンスが無いことを見越し、フィリピンの警告を無視して、中国は埋め立てを行い軍事基地の建設を着々と進めているのである。

昨年(2014年)4月、オバマ大統領のマニラ訪問時に、米国とフィリピンは 「防衛協力強化協定」 に署名し発行しました。しかし、遺憾なことに昨年5月、フィリピンの左翼系の元議員やNGOが、この協定は外国軍隊の 「駐留」 を禁じた憲法に違反している、協定は議会の承認を要する、として最高裁判所へ提訴しており、協定は未だ機能するに至っていません。

南シナ海にとっても、米国のプレゼンスは必要ですが、プレゼンスの拠点が日本やグアムでは遠くて効果的なプレゼンスになりません。従い、今のところ中国のやりたい放題になっているようです。

翻って、沖縄基地問題に戻ると、現在どの新聞・テレビもタブーとして目を背ける中で、週刊文春だけがこのタブー問題に果敢に取り組み特集記事を載せているのである。この記事は、次号、次々号へと続くようである。

文春の記事は、沖縄を裏から見た事について言及しているのである。翁長知事と中国の工作機関との関係、沖縄の独立を画策する 「琉球民族独立総合研究学会」 に食指を動かす中国、中国との関係強化を図りながら反基地運動を進めるシンクタンク 「新外交イニシアティブ」、等々についてである。

真偽の程は分かりませんが、文春の記事によると、地元・辺野古地区の住民は八割が基地容認であり、反対しているのは辺野古の住民ではなく、本土や那覇から来た人ばかりで、マスコミはそういう現実を伝えていないとのことである。実際に文春の記者がゲート前で抗議活動をしている一団に、どこから来たのか聞くと、東京や神奈川、福井などと県外からが多かったとのことである。

そして、ボーリング調査をする作業船にカヌーで近づき作業の妨害をする中心になっているのが革マル派であり、これに続き革労協など他の過激派も沖縄に拠点を築こうと続々と本土から入り込んでいるとのことである。

いずれにしてもこの問題は、政府に任せるばかりでなく、野党を含めた超党派で対策案を考えるべきである。沖縄県外で米国のプレゼンスが効く場所に新たに基地を建設する案も考慮すべきかもしれないが、しかしこれでは一からのやり直しになり、今まで検討してきたことが全て水泡に帰し、普天間基地の移設は何時になるのか全くメドが立たなくなってしまう。沖縄県側としても本当にこれでよいのか?この点について再度民意を問う必要があるのではないかと思う。

死んだこの年を数えるようで申しわけないが、20064月政府と名護市は「普天間飛行場代替施設の建設に係わる基本合意書」を交わしたのである。所が、20099月鳩山政権が発足し、移設先は最低でも県外との発言により、名護市辺野古の案は宙に浮いたのである。鳩山政権は県外案を主張したが、国内外の了解を得ることが出来ず、結局最後元に戻す事にしたのであるが、結果は 「覆水盆に返らず」 となってしまったのである。

私の考えとしては、米軍のプレゼンスが効き、一般市民にとっても比較的安全な場所である名護市辺野古は、現時点では最適な場所ではないかと思う。政府が、仲井真前知事と合意した2019年までに普天間基地の運用停止する為には、工事を急がなければならない。従い、沖縄県に対しては申し訳ないが、名護市辺野古の案を了解してもらう、その代わり沖縄にある他の基地を極力減らす方向で政府・沖縄間の決着がつくことを願う次第である。

2015年4月 8日 (水)

日経コラム記事を読んで共感を覚えた話題

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201547日、日経夕刊一面のコラム “あすへの話題” の記事として、弁護士・元検事総長の但木敬一(ただきけいいち)氏の記事 「公の裁き」 が載っていた。これを読んでいると何か共感を覚えたので、是非皆さんにも読んでみてもらいたいと思いここで取り上げて見ました。既に、新聞で読まれた方には重複しますがご容赦願います。

ここに出て来る話は、小説・フィクションとして書かれた物語かと思わせるが、実際に起きた話である。まるで江戸時代の大岡裁きのような感じを受けたのである。昭和40年代の話であるが、情状酌量という事が見事に裁きとして取り上げられているのである。

以下は、但木敬一氏のコラム 「公の裁き」 の抜粋である。文字の色を変えて記述しています。

罪を犯して裁きの場に立たされる身はつらい。ただ稀には裁きを受けることで救われる人もいる。

舞台は昭和40年代の下町。仲の良い兄妹が平和に暮らしていた。兄はすでに家庭を持ち、生まれたばかりの子供もいた。妹は2ヶ月先に迫った結婚式を控え、両親の家で生活していた。

そこに3年近く行方知らずだった末弟がひょっこり帰ってきたのだが、仕事を探す気もなく、昼は2階でごろ寝、夜は大酒を飲んできては大騒ぎ。おまけに酒代をねだられた母親が断ると、引きずり回したり殴ったり。妹の縁談が壊れかねないと心配した兄は、末弟に仕事を見つけてやるから働けと繰り返すのだが、馬の耳に念仏。

一月ほどたった日曜日、両親が出かけた後、3人だけの家、兄が2階に上がり、寝ている弟にいつものように説教したが、弟は「うるせー」と寝返り顔を下にした。ついに我慢の限界を超え、近くに置いてあったバットで弟の後頭部を強打し、頭がい骨を割ってしまう。

2階の異様な雰囲気に気付いて上がってきた妹が目にした光景は、呆然と立ち尽くす兄とうめく弟。兄独り殺人者にはできないと、妹は枕元にあった果物ナイフで一突き、死体は床下に。

3年後幸せそうな2つの家族の父と母、つまりこの兄妹が弁護士に伴われて警察に自首してきた。「何回も何回も弟の夢を見ます。心の休まる日なんてありません。罰を受けないで、幸せな日なんて来ないんです。二人で泣きながら何日も話した末に、自首しようと決めたんです」。

あの時の二人は、私には仏のようにさえみえた。裁判の結果、兄懲役5年、妹懲役3年執行猶予5年。

というのが、この話である。昭和40年代といえば、大学を卒業して就職、就職したての新米であり、当時は会社の寮で暮らしていたので、ろくに新聞も読むこともなかったので、こんな事件があったとは全く知らなかった。

翻って、今は悠々自適、晴耕雨読の身であり、いろいろな媒体による情報・ニュースはくまなく見る方である。但し、苦手な分野があり、そちらにはほとんど目が向かない。それは、若い人々が絡む芸能ニュース、音楽で言えばJ-Pops、等々である。

いずれにしても、こうして平々凡々と自由な時間を悠々と過ごせるのは、後どれだけで残されているのだろうか?平和な世に生まれ、大きな災害にも巻き込まれることなく、大病に遭うことなく、ここまで来ることが出来たのは、人生の小さな勝ち星であると感謝しなければならないと思っているこの頃である。

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