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2015年7月24日 (金)

嫌なやつが20数年振りに帰って来た・・・尿路結石

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私の持病であった尿路結石、過去幾度となく悩まされ続けて来た。最後に発生してから20数年発生していなかったのでもう完全に卒業したものと思っていた。

所が、先日 716日の午後、カラオケの最中に左下腹部が痛み出し、しばらく辛抱していたのであるが、どんどん痛みが増して来たので途中で切り上げ、家に帰って来た。その判断が正しかったのか、家に着くと痛みが更に増し、遂に激痛の領域に入って来たのである。

すぐに、かかりつけの医者の所へ行こうとしたのであるが、木曜日の午後は休診であり、公済病院 (心筋梗塞で入院した所) へ連絡を取った所、すぐに来なさいとのことであり、たまたま家に来ていた家内の友人の車に乗せてもらって行った。

病院へ着くと急患室へ通され、すぐに点滴が始まった。と同時に痛み止めも処方され、点滴が続けられた。どれくらい続いたか定かでなかったが、気がつくと徐々に痛みが和らいできていた。どうやら点滴をしながら、CTスキャンで下腹部の撮影も行われたようであった。

完全に痛みが治まった2時間後、点滴が外され医師から説明を聞いた。左側の尿路 (腎臓から膀胱へ繋がっている尿管) の丁度真ん中当たりに、直径7ミリ位の石があるとのことであった。

時刻はもう既に夕方、痛みが治まったからと言って、すぐに家に帰ったとしても、夜中に再発する可能性があり、この日は入院することになった。

過去、私が聞きかじりで知っていた知識では、狭い尿路の中を石が移動する時、周囲とこすれて痛みが出たり、出血したりするというものであった。従い、点滴をすることにより、水分をたくさん供給し、尿路と石の間の緩衝剤として働き、痛みが緩和されるのである。

この理屈からすると、石が体の中に残って居る限り、点滴をし続け、少しでも石を尿路の下に、押し流すようにすべきであると思っていたにもかかわらず、早めに点滴が打ちきられ、何故かなと合点が行かなかった。

その晩の夕食は、おかゆ、焼き魚、野菜のおひたし、等々であった。そして痛み止めの飲み薬が処方された。痛み止めは胃を悪くすることが分かっていたが胃薬も同時に出ていたので、呑んで寝た。幸いその夜は何も異常は起こらず、熟睡出来た。

翌日、下腹部のレントゲンを取りその後、担当の医師による診察が行われた。レントゲン写真には、明瞭に石が写っていてスケールを当てると約7ミリであることが確認出来た。

医師の説明によると、腹痛が起こるメカニズムは、尿が石で堰き止められ、腎臓が腫れたり、炎症を起こしたりすることから起こるのだそうである。痛みが治まった後も、長く点滴を続けることは良くないので、点滴をすぐに打ち切ったとの説明であった。

尿路には、まだ石が残っており、このままでは何時再発するか分からない状態であり、どう処置されるのかな!と思っていた所、4種類の薬が出され、これを服用しながら石が下降し出るのを待つことになった。そして、午後退院、その後は2週間毎に、経過をみることになった。果たして、何時出ることやら!

4種類の薬とは、1.酸性に傾いた尿や血液を正常に調整し腎臓へ尿酸の沈着を防ぐ薬、2.尿路のけいれんや痛みを抑える薬、3.前立腺肥大で尿がでにくいのを改善する薬、4.痛い時に使用する座薬、等々である。

尿路結石に最初に罹ったのは35歳ごろであり、その後約5年おき毎に4回罹って来た。内2回は、海外出張中であり、その時々激痛に見舞われ、忘れようにも忘れられない記憶に残っているのである。

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