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2015年10月の記事

2015年10月28日 (水)

オバマ氏やっと動き出す・・・遅きに失した南シナ海哨戒活動!


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20151027日、米国がやっと重い腰を上げて動き出した。中国が南シナ海で岩礁を埋め立て作った人口島、海洋権益を過度に主張し自国の領土であり、12カイリ以内に他国の侵入を認めないと言っていた領域である。

慎重派のオバマ氏、「話せば分かる」 とのスタンスのもと、中国の埋め立てに対して、国防省が提案していた早期の (今年5月頃) の哨戒活動にゴーサインを出さなかった。そして遂に、925日この問題を解決すべき米中会談が行われた。

オバマ氏は習近平氏に対して、「人口島は中国領と認めない」 のと 「航行の自由」 を求めて譲歩を迫った。所が、習近平氏は、南シナ海は太古の昔から中国領であると言って一歩も譲歩せず、話し合いは物別れに終わった。

オバマ氏は一計を案じ、ごく少人数なら本音で話し、接点を見つけられるかもしれないと考え、側近だけの私的な夕食会を用意した。オバマ氏は、かなりの時間をかけ、軍事施設の建設をやめるように求めた。しかし、習近平氏は、全く取り合わず、箸にも棒にもかからなかったのである。

習近平氏との会談が決裂したことで、オバマ氏は中国に融和的な姿勢をみせても協力は得られないと悟った。そして、夕食会の直後、憤ったオバマ氏は側近に命じ、南シナ海での哨戒活動にゴーサインを出したのである。

結果論であるが、ゴーサインを出すのが遅すぎた と感じている。もっと早い段階、即ち埋め立て作業進行中であれば、埋め立て作業そのものを中止さすことが出来たのではないかと思うのである。

今回の哨戒活動、米国以外の国では出来ないのである。本来、南シナ海の領有権を主張する、ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、等々の国がやれば良いのであるが、中国の軍事力に恫喝されて出来ないのである。

いずれにしても、南シナ海の 「航行の自由」 を守る事は、この領域を通過する全ての国にとって必要不可欠なことである。単に、南シナ海の周辺国だけの問題ではなく、北東アジア、東南アジア、オセアニア、等々の国々に取って必要な事である。

何故このように、中国が南シナ海を略奪・占拠し、埋め立てを許すようになったのか?といえば、フィリピンにあった米国の軍事基地がなくなり、南シナ海に対する米国のプレゼンスが効かなくなったことが一因であると思っている。

そして更に、基本的に中国は覇権国家であり、経済的な躍進に伴い、毎年10%を越す軍事費をつぎ込み、軍事力を増強する事が出来るようになり、周辺国に対してその力をひけらかし、一層その覇権範囲を拡げていこうとするようになったのである。

東シナ海に於いても、中国は同様に覇権主義を進めて来ている、それが日中中間線の少し内側に築いているガス田である。現在、16基まで海洋プラットフォームが増えている。これは単なるガス田開発だけを目的とするものだろうか?そのほとんどがヘリコプターの発着出来る施設も備えていて、軍事基地としても使用出来るのであり、日本政府は神経を尖らし、中止するように申し入れているが、その気配はないのである。

尖閣諸島についても、中国は依然として領海内を航行する挑発行為を繰り返している。日本が監視活動を継続し、その都度領海へ出るよう警告を発しているから、占拠されるようなことにはなっていないが、油断も隙もみせられないのが現状である。

日本国の領土・領海を守るには、米国を過度に当てにするのではなく、日本としてやれることはきちっとやって行くという姿勢を失わず示して行くことが、結果として日本国の防衛に繋がるのであると思う。

2015年10月24日 (土)

英国、中国マネーに屈服か・・・英国の権威は何処へ?


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20151021日、中国の習近平主席が英国を訪問、英国はエリザベス女王まで動員し、バッキンガム宮殿で最高級のもてなしを行った。議会制民主主義の発祥の地である英国が、最も非民主的、人権無視、宗教を認めない、南シナ海島嶼の略奪、サイバー攻撃、等々を平気で行う独裁・無法国家、中国に屈服し取り込まれた。

全てが経済優先、即ち中国の大判振る舞いを期待してのことである。いつから英国は、実利優先政策を取らねばならないほど落ちぶれたのだろうか?経済優先に固執するあまり、西側諸国にとって理不尽で不都合なことは、全て封印したのである。

即ち、人権問題、サイバー攻撃、南シナ海問題、等々会談では一切取り上げられなかった。習近平氏の米国訪問時、オバマ氏が躍起になって追求していた問題についてまったく素通りであった。米国の覇権に挑戦して影響力の拡大を目論む中国に対して西側 (特にG7) の結束力が失われて行くのが目に見えるように感じたのは、私だけなのだろうか?

1990年代頃までは、まだ英国の威信とか権威は残っていたと感じていた。199771日香港が中国に返還された時の条件として、一国二制度のもとに社会主義政策を将来50年間 (2047年迄) 実施せず 「高度の自治」 を与えるとなっていた。

所が、現在香港の自治は有名無実化、行政長官の人事は中国に牛耳られ、公正な選挙すら出来なくなっている。しかし、これに対して英国は一言も文句を言っていないのである。

かつての大英帝国の権威は何処へ行ったのだろうか?大英帝国の権威が残っていると感じたエピソードがある。私がまだ現役で働いていた1990年代の事である。

1993年オーストラリアのコードレス電話規格取得のため、オーストラリアへ出張した。その時、三洋オーストラリア(株)・ 三洋の現地子会社 に勤務していたエイドリアン氏がいた。彼は、現地の技術担当として働いていた。

私の出張中、彼が公私に渡りいろいろとアテンドをしてくれた。そして、彼が日本へ来たときは、私が逆に彼をアテンドしたのである。秋に日本へ来たときは、当時インテックス大阪で開催されていたエレクトロニクスショウにも連れて行き、食事等もいっしょにする仲になったのである。

彼との会話の中で知った事であるが、彼は英国人でオーストラリア人の奥さんと結婚し、オースオラリアに住み働いていた。パスポートは依然として英国のパスポートを持っていた。

海外の国へ行くとご存じの通り、入国時パスポートを提出して入国審査が行われる。その時、感じるのは国籍・人種によって審査される時間が長かったり、短かったりすることである。

いつも感じていたことであるが、入国審査を受ける時、直前にいる人が、イスラム系・アラブ系の人の場合非常に長い時間がかかることを知った。それを経験していたので列に並ぶ時、時間短縮を図るため、前にどんな国籍・人種の人が並んでいるのか確認し、列を選んで並ぶようになったのである。

私は、英国へ都合4回入国したが、入国審査はかなり時間をかけて行われた。これは特殊なケースかもしれないが、米国へ出張した時、現地で電話回線の信号を測定する目的で、ストレージスコープを持ち込んだ。その為、入国審査が最後に回され、手続きに1時間以上かかったことがあった。

そういうことが話題になった時、彼が言うには、英国のパスポートで入国審査を受ける時、ほとんどフリーパスで時間がかかった経験をしたことがないとのことであった。

そういえば、英国は多くの国の宗主国である。従い、宗主国の人がかつて支配していた国へ入国する時は、それなりの権威とか尊敬の念をもって見られるからなのか?あるいは、かつての大英帝国としての威厳がいまだ残っているからなのか?と勝手に想像していたのである。

しかし、今回の中国に対する対応を見る限り、英国の権威・威厳も地に落ちたと感ぜざるを得ないのである。最低でも、チベットとかウィグル族に対する人権問題、南シナ海問題、香港の自治権、等々については改善を要求するのが、民主主義・リーダー国の義務であると思うのである。ただ、カネ目的のみで 「赤い帝国」 にすり寄る姿は残念としか言いようがないのである。

2015年10月19日 (月)

ふるさと「島根・奥出雲の仁多米」が日経夕刊に・・・嬉しい驚き!

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20151013日、日経夕刊に我が故郷、「島根・奥出雲の仁多米」の話題が取り上げられていた。それによると、島根県奥出雲町が 「仁多米」 の産地として知名度を高めているとのことである。

2014年度、米・食味分析鑑定コンクールの国際部門で5年連続の金賞に輝いたのである。「東の魚沼(新潟県)、西の奥出雲(島根県)」。食味の優れたコシヒカリは消費者に高く評価されているとのことである。

おいしい仁多米が出来る条件として上げられているのは、1.標高300m以上の夏の昼夜の寒暖差、2.中国山地からの伏流水、3.化学肥料ではなく堆肥をたっぷり使用する農法、4.出荷する直前にモミ摺精米して直送する鮮度の高さ、等々が上げられている。

昭和の昔、1970年 (昭和45年) 頃までは、出雲横田、亀嵩といえば、雲州算盤の産地として算盤作りが一つの産業であり、かなりの人々がこれに従事していたのである。所が、1970年以降コンピューターの普及に伴い、算盤産業も徐々に廃れ、稲作が唯一の産業として残っている。その他の産業といえば、家内工業的に地元の食材を使って作られる産物のみである。

唯一残った産業 稲作が高く評価され、全国販売されているとは、まったく 嬉しい驚き! である。人口減による過疎化、高齢化、等が進みつつある中、町の運営を支える産業として少しでも長く続いて欲しいと願っている。生まれ故郷の町が限界集落化して消滅するようなことなど考えたくもないのである。

それどころか、何か新しい産業を起こすあるいは誘致する等々により、町をより活性化させ、今以上に発展させて行ってもらいたいものだと願っている。通信衛星を介した通信であれば、山間部であろうが高速通信が可能であり、IT産業の誘致、政府の外郭団体が請け負っている仕事でも誘致できるようになるのである。

昨今、地方創世が声高に叫ばれている。地方創世担当大臣まで設け、政府は本腰を上げて取り組んでいるようであるが、果たして何処まで効果が上がってきているのだろうか?効果の度合いを評価し発表する仕組みもないので、地方創世が叫ばれている割には、成果が上がっているのかどうか疑問に感じている。このように感じているのは、私だけだろうか?

私は、予てから地方創世を成功させるためには、国の統治機構を抜本的に変える必要があると主張して来た。即ち、現在の東京 「一極集中」 ではなく、「多極分散」 方式に変え、国の税金で成り立っている機構・組織を全国へ分散させることである。これについては、以前のブログを参照頂きたい。下記文字をクリックすると繋がります。

地方創世には、抜本的な 「統治機構改革」 が必要である。

地方創世については、ただ産業を勃興し地方の経済活性化のみを追求するのではなく、人口減少をどうして防いで行くのか?ということも検討する必要があるのではないだろうか?

人口減少対策の観点から、移民・難民の受け入れにつても真剣に検討する時期が来ているのではないだろうか?これは、思いつきですぐに実行出来る懸案ではなく、長いスパンをかけて検討すべき事案であり、今から検討に入っても実施できるのは、10数年先の話になるのではないかと思うからである。

2015年10月14日 (水)

ラグビーW杯・・・日本善戦するもベスト8の夢かなわず!


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20151012日、ラグビーW杯日本の戦いは終わった。正直言って、初戦の南ア戦に勝利した時は、必ず1次リーグを突破し、ベスト8へ進出できると信じていたのであるが、やはりそうは甘くなかったのである。

しかし、今回のW杯での戦いを見る限り、日本のラグビーは長足の進歩をしていると感じた。ラグビーは、サッカーほど不条理ナスポーツではなく、実力がものを云う世界であり、1次リーグの結果を見る限り、やはり実力のあるチームが順当に勝ち上がって来ていると感じたのである。

初戦で、日本が南アを破った時は、決してフロック勝ちではないと思っていたのであるが、南アのB組に於ける後からの戦いを見ると、南アの強さはひときわ目立っていた。即ち、対サモア戦 46:6 、対スコットランド戦 34:16 、対アメリカ戦 64:0 、の如くである。この強い南アを接戦ではあったが、よく逆転で破ったものだ、今から思うと奇跡に近い勝利であったと再認識させられた。

では何故、1次リーグで3勝もしたのにベスト8に進めなかったのか?これには落とし穴があったと感じた。即ち、ラグビーの伝統国を優遇する階層制があり、ティア1グループ、ティア2グループ、に予め分けられていて、試合の日程がティア1グループを優先するように組まれていたのである。

ティア1グループとは、ラグビーの伝統ある強豪国、ニュージランド、オーストラリア、ウェールズ、南ア、アイルランド、フランス、アルゼンチン、イングランド、スコットランド、の9ヶ国である。残りの11ヶ国はティア2グループである。

これにより、日本は初戦でティア1の南アと対戦、中3日於いて更にティア1のスコットランドと対戦すると言う厳しい日程であった。南アとの戦いは最強豪国相手であり、全力で当たらなければ勝てない熾烈な戦いであった。そして、南ア戦の消耗も充分に回復していない3日後、スコットランドと対戦したのである。

選手層の厚い強豪国であれば、格下相手に主力を休ませ、力を温存するという作戦を取ることも出来たのであるが、日本にはそんな余裕などなかった。相手のスコットランドは、日本戦が初戦であり、体力を充分温存、更に日本が南アを破ったことを知った後の戦いであり、日本を警戒し作戦を充分に練り、戦いに臨んで来たのである。

対スコットランド戦は、後半10分頃までは良いプレーをしていたのであるが、そこから疲れによる集中力が切れ、大量点を許してしまった。結果は、45:16 という大差になったが、点差ほど実力差はなかった。これは、スコットランドの記者も認めているところである。

今更、たらればの話ではないが、初戦でスコットランドと当たり勝利、2戦目で南アと当たり敗れるという形での3勝であれば、文句なしに一次リーグ突破出来たのである。大会前の目標であった3勝をあげながら、ベスト8進出できない初のチームとなり、南ア戦の世紀の番狂わせ に続き最強の敗者という新しい歴史をワールドカップに記し たのである。

最終戦の米国戦は、米国にとっては南アと当たった後中3日での日本戦となり、日程的に厳しい戦いとなった。ここまで1勝もしていない米国は、是非日本に勝利し1勝したい所であった。過去のW杯で日本と米国は2回対戦し、いずれも米国が勝利していた。

そこで、米国は一計を案じ、南ア戦では主将のワイルズを温存、対日本戦に焦点を合わせて来たのである。この結果、対南ア戦は、64:0 という一方的なスコアで敗れた。こうまでしても、対日本戦での勝利を得ようと必死の戦いを挑んで来たのである。

試合前に決まっていた1次リーグ敗退、だが日本のアメリカ戦にかけるモチベーションは高かった。「両チーム共に決勝トーナメントへは行けないが、プライドの戦いだ」、エディー・ジョーンズHCのかけ声は、この試合の意義を如実に表していた。

今回のW杯、明らかに日本はラグビーの歴史を大きく塗り替えた。どう塗り替えたのかと言えば、私はこう見るのである。即ち、ラグビーの強さによってABC、とグループ分けし、更にそのグループ毎に上、中、下、と分けるとすると、W杯の前の日本の定位置は、“C組の下であった。

しかし、今回の活躍でその位置は、“B組の下” まで上がって来たと評価する。即ち、以前の位置では1次リーグを突破しベスト8進出はかなわぬ位置であったが、歴史を塗り替えた後の位置では、ベスト8進出が可能な位置になったのである。ランクをCからBへ一つ上げたのである。

さあ次は2019年、4年後の日本でのW杯開催である。エディー・ジョーンズHCはもういない、誰がどのようにシナリオを描き選手強化を図って行くのだろうか?興味津々である。しかし、一方では前途多難な道が待ち受けている。今回進歩した日本のラグビーの位置 “B組の下” をキープし、更にステップアップして行かねばベスト8への道は切り開けない。ガンバレAll Japan

2015年10月10日 (土)

京都縦貫自動車道を利用し・・・天の橋立界隈へミニ旅行

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2015718日、京都縦貫自動車道が全線開通した。丹波IC(インターチェンジ)と京丹波わちIC間の18.7kmが未開通であったが、これが開通し全線開通となった。即ち、「大山崎JCT/IC」 から 「宮津・天の橋立IC」 迄の93.5kmが繋がったのである。

京都縦貫自動車道の全線開通により、私の自宅近くの第二京阪自動車道・交野北IC (自宅から約1km) から高速道路を乗り継ぐことにより、宮津・天の橋立ICまで 全て高速道路 で繋がることになった。

その詳細は、第二京阪・交野北IC → 第二京阪自動車道 → 京都・久御山JCT/IC  → 京滋バイパス → 大山崎JCT/IC → 京都縦貫自動車道 → 宮津・天の橋立ICであり、全行程約130kmである。

今まで天の橋立へは行ったことがなかったので、京都縦貫自動車道が開通したことを利用して、天の橋立界隈へミニ旅行 (108日~9日) を計画した。秋の天気の良いウィークデーを狙って出かけた。

予想通り、走行予定コースは渋滞もなくスムースに走れた。急ぐ旅でもなかったので、時速7080kmの法定スピードでゆっくりと走行車線を走った。途中のパーキングエリア兼道の駅 京丹波・「味夢の里」でお茶/トイレ休憩を入れても約2時間強で宮津・天の橋立ICへ到着した。

宮津・天の橋立ICを降りると、宮津湾、阿蘇海(天の橋立内側の海)をまわり展望台のある傘松公園へ向かった。傘松公園の下にある駐車場に車を止め、ケーブルカーで傘松公園へ上った。天気が良く、天の橋立の素晴らしい全景を堪能することが出来た。対岸の高台にある宿泊予定の宮津ロイヤルホテルの全景もきれいに見えた。

傘松公園内にあるレストランで昼食を取り、その後宮津湾沿いに走り、伊根の舟屋へ向かった。伊根の舟屋では、伊根湾めぐり遊覧船で伊根湾を周遊 (約25分) した。遊覧船には、カモメにやる餌 (かっぱえびせん) が売ってあり、観光客がそれを買いカモメに与えるのでおびただしい数のカモメが遊覧船について来ていた。

伊根湾周遊が終わると、再び来た道を戻り、天の橋立駅近くにある駐車場に車を止め、徒歩で廻旋橋、大天橋を渡り天の橋立の中に入って行った。3.6kmに渡る砂州に約5,000本の松(主にクロマツ)が植えられ、まさに白砂青松の景勝地を歩いた。

天の橋立、宮津湾内を流れる潮流と風によって運ばれた砂の堆積によって作られた砂州と言われているが、想像を絶する長い年月をかけて作られた 自然の造形物 、ただ 感嘆の驚き 以外なにものでもなかったのである。

天の橋立を見物が終わると、宮津湾を反対方向に走り、宮津ロイヤルホテルへ向かった。天の橋立が見下ろせる高台を切り開いて建てられていた。宿泊する部屋は、最上階 (7階) で天の橋立が見下ろせる部屋であった。夕方少し早めに着いた為、部屋から、沈む夕日が天の橋立の上に影を落とし光り輝く絶景 をカメラに納めることが出来た。

今回の旅行で写した写真・動画はこれから編集します。編集が終われば、You Tubeあるいはホームページへアップロードしますので参照頂ければと思います。その時は、また追って連絡致します。

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