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2016年3月の記事

2016年3月26日 (土)

貴重品入り財布紛失顛末記・・・今後この教訓をどう生かすべきか?

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この話は、今月37日(月) に京都府・亀岡市に住む私の友人H氏が実際に遭遇し、困った話である。実際に誰にでも起こり得る話であり、今後の参考としてもらう為、H氏了解のもと一般公開致します。そして、日本の公的機関従事者に紛失物処理の仕方の改善を促したいというH氏の強い思いも含め、ブログ読者諸氏にも賛同を得ることを目的とするものです。

H氏は、所用で大阪歯科医大付属病院 (京阪・天満橋駅付近) へ行くため、この日午前10時過ぎに京都淀競馬場のある、京阪淀駅近くのパーキングに車を止めて、午前10時半頃 京阪大阪行きの電車に乗り込みました。

しばらくして、財布が上着のポケットにないことに気づき、電車に乗り込む途中で紛失したのか? あるいは車の中に置き忘れたのか? と思い枚方駅で折り返し、車の中を探しまたしが見つかりません。仕方なく、H氏のみ再び電車に乗り大阪天満橋へ向かいました。一緒に来ていた、奥さんが午後2時半頃 淀駅管轄の署へ紛失届けを出したのです。

所で、その財布の中には、自動車免許証、国民健康保険証、クレジットカード5枚、診察券類、等々重要なカード一切が入れて有り、もし悪意のある人に拾われたらと、午後4時頃110番に問い合わせした所、「届け出はなく」 がっかり。

そこで、クレジットカードの悪用を防ぐため、カード類の無効手続きを行い、明くる日午前中は市役所へ、午後は自動車免許試験場へ行き、それぞれ保険証、免許証の紛失 と 再発行 手続きを行ったのです。

所が、紛失した財布は、善意のある人が京阪電車の車中で拾い、勤務先に近い大阪市の都島署に出勤途中に届けてくれていたのです。その日の午前11時頃だったようです。

届け出た人は、「大事な物が入っているから、一刻も早く落とし主の所へ戻るように」 と忙しい出勤途中の時間を割いて都島署へ立ち寄り届け出てくれていたのです。

しかし、財布の中には連絡先が分かる電話番号を書いたものは入れて有りませんでした。また、自宅の固定電話は番号を公開していなかったので、104に問い合わせても不明、ということでした。

固定電話を公開していない場合、NTTでは犯罪捜査上必要な場合のみ、捜査令状が出された時は教えるが、それ以外は教えない事になっている。個人情報保護の建前上法はそうなっているとの事でした。

紛失した3日後の39日、都島署から文書で 「落とし物が届いている。心当たりがあれば連絡せよ、印鑑、身分証明するものを持って取りに来い」 との連絡があり、一件落着になった分けです。

今回の事件で判明した事ですが、現在の落とし物取り扱いでは、落とし主の届け先拾い主の届け先同じ管轄署内 でなければ、まずそれらが出会うことはないという事です。即ち、帰ってこないという現実です。

亀岡署へ聞くと、「京都では、出来るだけ照合するようにしているが、他府県にまたがる場合の一括管理システムはない。また、府県によってまちまちと思う。」 との事であった。

また、落とし物は行政の管轄とのこと。そこで、H氏は 「今回のように、免許証、保険証、クレジットカード、いずれはマイナンバーカード、等々最重要カード類が一括で落とされることが生じることは十分あり得る。落とし主への迅速な連絡が必須の時代であり、是非システムの問題として考えて欲しい。」 と要望したのです。

一方、H氏自身としては、財布に入れるものを考え直すことと、万が一落とした場合の事を考え、連絡先を書いたものを入れておくべき事を学んだ、と述懐しているのである。

私自身、財布の中身を振り返って見ると、H氏が入れているものに加えて、ETCカード、JAFカード、自動車保険契約者携帯カード、ICOCAカード、等々更に多くのカードを入れており、他人事ではないと痛感しました。

そして、H氏は次のような思いも述べているのです。 「世の中、悪意の人より、善意の人の方が多いと思っていますが、例え100人中1人でもいる悪意のある人に拾われた場合、警察に問い合わせ 「届け出がない」 と言われたら、悪意のある人に拾われたと考えざるを得ません。

こうした誤解を生じさせない為にも、都道府県毎に一括管理システムを構築し、更に他府県に対してはそのセンターへ情報を提供するシステムとする。そして、住所のある管轄署へ届け出れば、すぐに検索が出来る体制にすべきである。現在のようなIT全盛時代であれば、やろうと思えばすぐにでも出来るはずである。

まさに、その通りであると思う。是非、落とし物を管轄する公的機関に従事する方々に、今回の事件内容を知ってもらい、一考を促したいと思います。従い、後でこのブログのアドレスを関係機関へ連絡したいと思っています。

2016年3月23日 (水)

在阪AMラジオ3局・・FM補完放送を開始・・・結果は非常に良い

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2016319日(土)正午から、在阪AMラジオ3局は 「FM補完放送」 を正式に開始した。即ち、毎日放送(MBSラジオ)、朝日放送(ABCラジオ)、大阪放送(ラジオ大阪)、の3局はFM波でAMラジオ放送と同一内容の放送を開始したのである。

FM補完中継局は、AM放送局の放送区域において、災害、難聴対策のためにFM放送用周波数を用いて、AM放送の補完放送を行う中継局である。通称 「ワイドFM」 と呼ばれ、VHF-Low帯域9095MHz の周波数を使用してAM放送と同一の番組を放送する。

受信機は、かつてワイドFM受信機と呼ばれた 76MHz~108MHz が受信出来るものであれば、受信出来るのである。私が所有している ラジオ、ステレオ、は全て対応しているので受信出来、重宝している。

何故、今更AM放送をFM放送で聞かねばならないの?という疑問があると思うが、これに対する答えとしては、二つの理由が上げられる。

一つ目の理由は、私が現在住んでいるのは、京都府に近い交野市である。在阪AMラジオ3局の送信アンテナがあるのは、大阪府の南部の方、高石市、堺市、にあるため距離が遠いのと生駒山系に遮られ、受信しにくい のである。FM補完放送の送信アンテナは生駒山に設置されているため、受信し易いのである。更に、FMであり 音質が良い ことである。

二つ目の理由は、大阪にある民放FM4局、即ち FM大阪、FM-802、FM COCOLO、e-radio、の放送内容は非常に良く似通っていて、ディスクジョッキーによる音楽を中心とする番組が多く、音楽の内容は西洋のポップス、J-ポップス、ロック、等々であり、演歌・クラシック 等々は全くない のである。どうして、こうも良く似た放送内容になるのか理解出来ないが、おそらく聴取率の関係だろうと推測する。

そして、ディスクジョッキーの内容も若者中心で老年者には合わないことである。一方、在阪AMラジオ3局が放送する内容は、昔なじみの放送内容で、音楽は演歌を中心とする日本の曲が多く、自分の好みに合うことからである。しかし、NHK・FMは、日本の曲、演歌、等々も放送するので、的を絞って聞いている。

ラジオ番組は、ラジオ大阪、MBSラジオ、NHK第1、等々を中心に “ながら族的” に聞いている。ラジオ大阪、MBSラジオ、が共に非常に良く受信出来るようになったことに加えて音質が良く、非常に満足している。

2016年3月 6日 (日)

奥出雲町・・・東京五輪ホッケー競技キャンプ地に立候補・・・応援しよう

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35日、関西奥出雲会の役員会が開催され出席した。関西奥出雲会は、関西に住んでいる島根県・奥出雲町 出身者で構成した会で、その趣旨は 「ふるさとを同じくする会員は共に絆を深め、郷土愛を高め、ふるさとの発展を応援すると共に会員相互の親睦を深めること」 として2009年に設立され、その後毎年総会・懇親会を開催している。

今日は、関西奥出雲会を宣伝するためにペンを取った分けではなく、関西奥出雲会・役員会の席で話題として取り上げられた 「奥出雲町が東京五輪ホッケー競技のキャンプ地に立候補した」 という話題を取り上げ紹介し、故郷の発展 地方創世 に少しでも役立つのであればとの思いで取り上げ、応援しようと思ったからである。

そもそも、奥出雲町がホッケー競技を町技とするようになったのは、1982年 (昭和57年)、第37回国民体育大会が島根県で開催された時、ホッケーがマイナーな競技であることから、過疎地である奥出雲町が競技場に選定されたことから始まったのである。

それ以来、小中高一貫したホッケーの指導体制が構築され、人工芝ホッケー場も整備され、ホッケーの町として歩み始めたのである。そのかいあって奥出雲町にある横田高校 (私の母校) も徐々に力を付け、全国でも有数のホッケー強豪校に育った。そして、その名が全国に知れ渡るようになったのである。

横田高校・男子は、ホッケーで全国制覇15回、特に2008年 (平成20年) には三冠 (全国選抜・全国高校総体・国体) を達成。一方女子は、ホッケーで全国制覇8回を達成、する程強くなり、オリンピック選手をも生み出すに至っている。

現在、奥出雲町の人口は、約13000人程度で完全な過疎の町であるが、ホッケーが町おこしの起爆剤的な役割を担っている。そうは言うものの、ホッケーで人口が増えるわけでもなく、産業が盛んになるわけでもない。あくまでも精神的な起爆剤であり、町に活力を与えるものに過ぎない。

産業と言えば、以前にもこのブログで取り上げたが、「島根・奥出雲の仁多米」 がメインの産業である。これ以外に多くの人が従事する産業はない。従い、このまま何も手を打つことなく、自然の流れに任せたままでは、いずれ少子高齢化が進み過疎化に拍車がかかると危惧されるのである。

そうした心配をする中での、「東京五輪ホッケー競技のキャンプ地に立候補」 というニュースであり、このキャンプ地誘致活動を通して、少しでも奥出雲町の良さを全国に知ってもらい、地方創世に役立ててほしいという願いから取り上げたのである。

このブログの読者を通して、少しでもキャンプ地誘致活動の手助けにでもなればと思っている次第です。

2016年3月 1日 (火)

2016年2月に行われたスポーツ・イベントに関する雑感


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最初に私ごとで申し訳ありませんが、25日、突然の訃報が入って来ました。約30年間同じ職場で回路設計という仕事を一緒にして来た同僚、後輩で私より6歳も若く、定年後の第二の人生もこれからというのに残念・無念!であっただろうな と悔やみました。

29日ご霊前へお参りし、故人を偲び、私のHPに彼との交流の追悼集を載せました。個人的な話はこれくらいにして、今回も2月に行われたスポーツ・イベントについてその感想を述べてみます。

1.松山英樹・・・米ツアー2勝目・・・いよいよ大器開花か?

27日、米国男子ゴルフのフェニックス・オープンがアリゾナ州スコッツデールで行われ、日本の松山英樹がプレーオフでリッキー・ファウラー (世界4位) を4ホール目で制して逆転優勝を飾った。23歳の松山は、20146月のメモリアル・トーナメント以来、2季ぶりの米ツアー2勝目を飾った。

日本人の米ツアー優勝は通算7度で、複数回優勝しているのは、2001年~20013年に3年連続で優勝している丸山茂樹に次いで2人目となった。他は、1983年に青木功が1回、2008年に今田竜二が1回している。米ツアーで優勝するということは、これだけ至難なことである。ましてや、グランド・スラム (マスターズ・トナメント、全米プロゴルフ選手権、全英オープン、全米オープン) となると、「何をかいわんや!」 である。

今回の優勝により松山英樹の世界ランクは、15位から12位に上がり、トップ10まで後一息という所まで迫って来た。おそらく今年中には、トップ10入りが叶うのではないかと予想する。まさにゴルフ界の錦織圭である。どちらが先に、グランド・スラムのどれか一つを取るのだろうか。ゴルフの松山か?テニスの錦織か?興味津々となって来た。

前回、松山英樹が優勝した時、かつてゴルフの帝王と呼ばれたジャック・ニクラウスがコメントしていた言葉がいよいよ現実味を帯びて来た。この時、ニクラウスは 「この先10年、15年先に渡って世界でベストプレーヤーの一人となる選手の始まりだ。」 と称賛していたのである。前回のブログへは、下記の文字をクリックすると繋がります。

松山英樹・・・世界のトップ10入り可能なヒーロ出現か?

所が、次週行われたAT&Tペブルビーチ・プロアマ戦の予選ラウンド2日目で岩田寛がいきなりトップに立ったのである。岩田寛というゴルファーはほとんど知らず、何処の馬の骨 (失礼) が出て来たのかなと思っていた。まさか優勝戦線に絡むなどとは夢にも思っていなかったが、最終的に4位に入った。この時点では天晴れと感じた。

今回4位に入ったのを受けて、岩田寛の世界順位は121位から91位へ上がった。世界順位100位を越す選手がいきなりツアーで優勝出来るほど世の中甘くなく、多分偶然では?と感じていた。次週での戦いで、本当の真価が現れるだろうと思った。

案の定、次週218日から始まった、ノーザントラスト・オープン (カリフォルニア州・パシフィックパリセーズ) では、第2ラウンド終わった時点で、通算6オーバーの148127位タイとなり、予選落ちしたのである。

一方、松山は優勝した次週、岩田が活躍したゲームでは風邪を引き休養、そしてノーザントラスト・オープンに臨んだのである。初日は、「まだちょっと足がふらつく」 という中、2アンダー27位タイで出たのである。3日目が終わった時点で通算9アンダー10位タイ、首位との差は3打差まで迫ったのであるが、結局最後通算8アンダー11位タイで終わった。ノーザントラスト・オープンの結果、松山は世界順位を1つ上げ11位、岩田は3つ順位を落とし94位となった。

ノーザントラスト・オープン開幕前の予想で、松山は優勝候補のトップとして上げられていたのであるが、米国ツアーで2試合連続優勝することは、やはり至難の技であると言う結果になった。しかし、今年 チャンスはまだまだ巡ってくるだろう、これからの試合に期待したい。

特に、47日ジョージア州オーガスタで始まる、今年最初のグランド・スラム マスターズ・トナメントにベスト・コンディションで臨み、優勝争いに絡む活躍を期待したい。松山英樹ガンバレ!

2.錦織圭・・・メンフィスOPで今季初V4連覇達成・・・当然と感じた

214日、男子テニスのメンフィス・オープン (ATP250) の決勝戦が行われ、世界ランキング7位で第1シードの錦織圭が世界145位で18歳の新鋭テーラー・フリッツをストレートで破り、大会史上初の4連覇を達成した。錦織は今季初優勝でツアー通算11勝目を上げた。

テネシー州メンフィスはロックンロールの名手エルビス・プレスリーが育った町で、「エルビス・プレスリー記念館」 があり、メンフィスOPの優勝トロフィーはエルビス・プレスリーにちなんでギターの形をしたトロフィーとなっている。

メンフィス・オープンはATP (男子プロテニス協会)250であり、ATPツアーのランクからすると、4番目に位置する低いランクの大会である。ランクの低い大会であるが故に、錦織はシード順位、第1位に格付けされて臨んだ戦いであった。

従い、シード順位から判断すると、勝って当たり前の戦いであり、やりにくい面もあったのではないかと推測した。しかし、プロの戦いであり、順位に大差があると言っても実際の試合を見ると、決して楽に勝ち上がれる試合は少ないと感じた。

それもそのはず、順位が下位の選手は負けてもともと一か八かの勝負を挑んでくるのである。特に、ビッグサーバーと言われる長身の選手と当たる時は、サービスを崩すのが難しい時があり要注意である。

準決勝で当たったサム・クエリーがまさにその選手である。長身198センチから繰り出すサービスは強烈であり、苦戦し1セットを落としたが、何とか振り切った。メンフィス・オープンでセットを落としたのはこの試合だけであった。

次に、222日からメキシコ・オープン (ATP500) が始まった。錦織は、世界ランキングを一つ上げ6位で第2シードとして臨んだ。2試合連続の優勝を期待したのであるが、2回戦でメンフィス・オープンで破ったサム・クエリーと当たり、ストレート負けしたのである。

錦織は、この試合を振り返り敗因の90%は自分にあったと認めていた。サービスミスを連発したのと、リターンゲームでチャンスがなく、このゲームは錦織に全く風が吹かなかった。多々ある試合の中にはこういうゲームもあるのかな!と感じた。

それだけ、プロのツアーで2試合連続優勝することは難しいことである。しかし、上には上がいて、現在圧倒的な世界1位に君臨するノバク・ジョコビッチは連続優勝を難なくやってのけているのである。特に、2015年はグランド・スラム3つを勝ち取っている (全豪・全英・全米) 落としたのは全仏のみで、それも準優勝である。何という強さであろうか!

このことを思えば、錦織はまだまだ腕を磨く必要がある。そしてトップ3という境地へ一歩でも近づき、更に上へと進むことが求められる。即ち、グランド・スラムのどれか一つでも勝ち取るには、ジョコビッチという高い壁があり、これを乗り越えてないことには到達出来ないのである。まだまだ先は長い、錦織圭ガンバレ!

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