フォト
無料ブログはココログ

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月の記事

2016年5月30日 (月)

第26回 シルバー会 に出席した 感想

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

528日、実に47年振りに名古屋市を訪れた。かつて私は、19664月~19699月迄の3年半この街に住んでいた。千種区大久手にあった新白砂電機 (以下 シルバー と呼ぶ) に勤めていたからである。

シルバーを退職して、三洋電機に転職し大東市に移ってから、名古屋市へ行く用事がなくなり、それ以来ずっとご無沙汰をしていた。シルバーを辞めてから、数年間いや数十年間は、何かしら自分の心の中に 「後ろめたさ」 のような感情が残っていたのでよけいに避けていたのかもしれない。

所が、昨年11月ニューヨーク在住のM氏から突然のメールを頂き、シルバーのその後の状況についていろいろ教えて頂いた上に、シルバーOB会 (こう云う会が存在することすら全く知らなかった) への出席のお誘いを頂いたのである。この経緯については、以下のブログに詳しく記述しています。下記文字をクリックすると繋がります。

“瓢箪から駒が出る”に遭遇・・人生終盤の喜びに繋がることを望む

M氏からのお誘いにより、かたくなに閉じていた私の心の中のモヤモヤした感情が解きほぐされ、47年も経って今更 「何を気にしているのだ」 という気持ちが強くなり、積極的に参加しようという気持ちに変わって行ったのである。

逆に、積極的に参加することにより、昔の仲間と旧交を温めたいという気持ちが強くなり、待ち遠しく感じるようになった。昔の仲間と言っても20歳代前半 “人生前途洋々の時代” にお会いし、その後全く会っていない人々である。今度お会いする時は、47年経過した70歳代前半に年取った老人である。

さぞかし皆、変わっているだろうな!と推測し、果たしてすんなり誰それである ということが分かるのかな!と一抹の不安を持ちながらシルバー会に臨んだのである。

確かに、同期入社の方々であるにも関わらず、一瞬誰かなと思ったのである。髪が黒々として、顔にしわなどがない青年時代の印象から、頭が薄くなり白髪交じりで、顔のしわが増えるという、物理的変化があり、47年の歳月をもろに感じた。まさに、現代の浦島太郎 物語を地で行っていると思ったのである。

しかし、同期入社の方々数名 (全員) については、何かしら昔の面影が残っていて、すぐに 「お互いにお互いを」 認識することが出来、再会を喜び合うことが出来た。そして、会話を交わす中で、皆それぞれいろいろな道に進み活躍されていたことを知り、今回参加したことの意義を感じたのである。

今回のシルバー会への参加の切っ掛けを作って頂いた、ニューヨーク在住のM氏にもお会いすることが出来、嬉しく思うと共に感謝した次第である。M氏は、既に傘寿を通り過ぎ、しかも2度の心筋梗塞に罹り、心臓に3個のステントが入っているとのことであるが、非常に元気そうであり、今後とも長生きをされ、余生を楽しまれることを望むのである。

その他、先輩方々にもお会いしたが、こちらは良く知っていたつもりであったにも関わらず、先方は全く覚えていないという方々、一方良く知っているよ!と覚えていて頂いた方々、悲喜こもごも な一面もあった。

いずれにしても、今回のシルバー会への参加は、私に取って 人生終盤期の喜び に繋がる 無形の宝物 になったと感じた次第である。以下の文字をクリックすると、第26回シルバー会の写真集に繋がります。

第26回 シルバー会 写真集 於:ホテル・ルブラ王山 

2016年5月19日 (木)

錦織圭・・・5月に行われた2つのATP1000の戦い・・・を振り返る


にほんブログ村

1.ムチュア・マドリード・オープン・・・準決勝で王者ジョコビッチに競り負け

430日~58日にかけてATP1000 ムチュア・マドリード・オープン が開催された。昨年のこの戦いでは、優勝したアンディー・マレーに準決勝で敗れている。ATP1000マスターズの戦いで何とか優勝を狙っているのであるが、準決勝、決勝、までは進めるがそこから先が遠い錦織である。今年の戦いはこの壁を破れるのだろうか?

錦織圭は、第6シードとして4日目の2回戦から登場、第1シードは王者ノバク・ジョコビッチ、第2シードはアンディー・マレーである。錦織の2回戦の相手は、世界ランク31位のファビオ・フォニーニ (イタリア) である。フォニーニは昨年クレーコートで2回ナダルを破っているだけに油断できない相手である。

フォニーニは 「レッドクレーは自分の庭」 と豪語しているだけあって、一筋縄では行かない厳しい戦いとなった。終盤、錦織 今年は初戦敗退か?と思わせる展開でしたが、苦しみながらも何とか粘って6-23-67-5、で勝ちきりました。

3回戦は、第10シードで世界ランク12位のリシャール・ガスケ (フランス) 、過去6回戦って一度も勝ったことがない難敵である。ガスケのプレースタイルはヨーロッパ流の後ろに下がって長いラリー戦に持ち込むことである。錦織は、これを嫌って積極的に前に出て主導権を握り、素早い仕掛けで攻略し、遂に難敵ガスケを6-47-5、のストレートで破り、初勝利となったのである。

準々決勝は、今年321日~44日にかけて行われたマイアミ・オープン準決勝で当たった世界ランク21位のニック・キリオス (オーストラリア) との対戦となった。言わずと知れたオーストラリア期待の星でビッグーサーバーである。

1セットは、相手の強力なサーブに苦しみタイブレークの末敗れた。第2セットもタイブレークになったが、今度は相手のサーブの球種とコースを読み、好リターンからラリー戦に持ち込み7-1で取った。そして、第3セットは、第4ゲームで粘り強いラリーから初めてブレークに成功、結果6-77-66-3、の勝利となった。

準決勝は、第1シードで世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ (セルビア) 、過去の対戦成績は27敗であるが、6連敗中で特に最近はボコボコにやられていて、全く歯が立っていない。果たして、今回少しでも善戦出来るのだろうか?

結果は、3-66-7、のストレート負けで7連敗となった。しかし、今回の試合を見ていると、ラリーでは互角に戦っていると感じた。錦織も、「チャンスはあった。本当に細かい所の差だと思う。」 とコメントしている通り、わずかなミスを突かれて落とす場面が多かった。

2セットは、ゲームカウント4-5で、ポイント0-40から驚異の粘りを見せ、ジョコビッチから初めてブレークを奪った。3大会連続の決勝進出を阻まれたが、「だいぶ近づいている気がした」 という通り、ジョコビッチも 「ラリーに苦しめられ、接戦だった。」 と力を認めていた。次は、イタリア国際 (ローマ) に舞台を移しての戦いになる。

2.BNL・イタリア国際・・・準決勝で王者ジョコビッチに善戦するも一歩及ばず

58日~515日にかけてATP1000 BNL・イタリア国際 (ローマ) が開催された。昨年のこの戦いでは、優勝したノバク・ジョコビッチと準々決勝で当たり敗れている。先週の戦いで、ジョコビッチに対して少し感触を良くしているので、何処まで近づけるのか興味津々である。

錦織圭は、第6シードとして3日目の2回戦から登場、錦織の2回戦の相手は、世界ランク24位のビクトル・トロイツキ (セルビア) である。連戦の疲れか、第1セットは動きが鈍く5-7、であっさり取られる。それでも、第2セットからは世界6位の底力を見せつけ6-26-3、で下した。

3回戦は、第11シードで世界ランク12位のリシャール・ガスケ (フランス) 、先週のマドリード・オープンで6連敗から初めて勝利した難敵との再戦となったが、苦手意識は微塵も感ぜられることなく、6-16-4、の圧勝となった。

準々決勝は、第13シードで世界ランク15位のドミニク・ティエム(オーストリア)、ティエムは3回戦でロジャー・フェデラーを破って勝ち上がって来た、今季急成長する22歳の若手である。錦織は、序盤で先にブレークを許したが、緩急を使ったラリーで主導権を取り戻し第1セット 6-3 で先取。第2セットは、5-5 の第11ゲームをブレークし、攻め急いでミスが目立つティエムを 7-5 で振り切った。

準決勝は、先週と同様 第1シードで世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ (セルビア)との対戦となった。先週の戦いである程度活路を見つけ出していた錦織は、「光は見えている。先週みたいに我慢しながら、チャンスを見てアグレッシブにプレーするのがベスト」 とコメントしていたが果たしてどうなったのか?

1セット、ジョコビッチは靴裏についた赤土を落とすため、誤ってラケットで自分の足首を叩いて、メディカルタイムアウトを取った。コートに戻って来たジョコビッチの動きは少しぎこちなかった。この間、錦織は集中力を切らさず第3ゲームでブレークに成功した。

その後、主導権を握った錦織はドロップショットやバックハンドのダウンザラインでジョコビッチを翻弄し、第7ゲームもブレークし、第1セットを取った。錦織がジョコビッチからセットを取るのは、1年前の同大会準々決勝以来の久々であった。

しかし、第2セットに入ると、ジョコビッチの動きは明らかに良くなって来た。第2セット中盤で勝負に出たジョコビッチは、ベースラインにとどまり、サービスラインぎりぎりのショットを続け、錦織を後ろに下がらせ、ドロップショットを決めるなどで主導権を奪い返し、第10ゲームをブレークし第2セットを4-6で奪い返した。

最終セットも拮抗した展開ながら、ジョコビッチが第2ゲームをブレークし、ゲームカウント0-3 とリードする。しかし、錦織も粘り第7ゲームでブレークバックし、タイブレークに持ち込んだ。

タイブレークでは3-3 の局面で錦織がこの日初めてのダブルフォルト犯した。結果的には、このダブルフォルトが勝敗を分ける結果となり、5-7 でタイブレークを落とした。最終スコアは、6-24-66-7、であったが、試合後のスタッツを見ると、ジョコビッチ112ポイント、錦織111ポイントと僅か1ポイントの差であり、ほぼ互角の戦いであったのである。

今回は、錦織が王者ジョコビッチにかなり肉薄し善戦をしたのであるが、少しの差と運で敗れた。この結果と経験を糧に次のグランド・スラム全仏オープンで頑張り、是非グランド・スラムの一つを取って欲しいと願うのである。

2016年5月16日 (月)

梅田ロフト5F・大ラジカセ展・・・見学結果と感想

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

513日、しばらく出かけていなかった梅田へ久しぶりに出かけた。目的は、ロフトの5Fで開催されている 「大ラジカセ展」を見学することであった。大東洋友会のメール連絡で、ラジカセ展が開催されているとの案内を頂いていたので、チャンスを見計らって出かけたのである。

事前にSANYOのラジカセが10点ほど展示されているとの情報を頂いていたので、多分私が回路設計を担当した機種も展示されているのではないだろうか?と思い期待して出かけたのである。

回路設計を担当したと言っても、今から約35年~37年位 前の話である。しかし、自分が担当した機種は、設計スタートから設計終了し、量産が始まる迄 約10ヶ月間位 その機種のみに専念している為、今でも良く覚えているのである。どんな問題が有り、解決するのに如何に苦労したのか、等々忘れずに記憶に残っているのである。

従い、当時の担当モデル実物を見ることが出来るのは、自分が育てた子供に会いに行くのに似た感覚を覚えるのである。案の定、担当したモデルは3機種 展示されていた。それは、1979年設計の 「MR-V8」、1980年設計の「MRU4SL」、1981年設計の 「MR-88」 である。

それぞれのモデルを見ると当時の記憶が蘇って来たのである。「MR-V8」 に関しては、量産に入っても細々としたトラブルが絶えず、量産工場であった奈良の杉谷電機へ行き、付きっ切りで対策したのである。

丁度、お盆を挟む時季であったが、休みを取るどころか、自宅から会社へ通勤するのではなく、生駒山の裏道 国道168号線を走って、毎日約10日間位 通って量産対応したのである。新製品の売れ行きが良く、商品の出荷催促に対応するため1tロットが終わるまで息が抜けなかったのである。

MRU4SL」 については、プリント基板を初めてCAD対応設計するため、プリント基板会社であるCMK埼玉工場へ出張してCAD入力した。ついでに秩父の山奥にある生産ラインを見学して帰って来た記憶が鮮明に残っている。

このモデルは、名前の通りスリムである為、スピーカの音決めが難しく、部品事業部のスピーカ担当の方に、繰り返し何度も試作をして頂き、薄型モデルにも関わらず良い音に仕上げることが出来た。そして、発売まもなく当時の週刊誌 「平凡パンチ」 に、「薄型ラジカセであるにも関わらず音が良い」 という評判で取り上げられたのである。

MR-88」 は、商品企画段階から話題を呼ぶ仕様のモデルであった。当時ヘッドホンステレオが流行していたが、このモデルはヘッドホンステレオ部分を子機として持ち、親機にはカンガルーポケットがあり、子機をこのポケットに収納できる仕様になっていた。

子機を親機に収納した状態では、普通のラジカセとして使用出来、子機を親機から取り出すと、子機自体ヘッドホンステレオとして使用出来る。即ち、合体した状態で、ラジオからテープへ録音すると、録音された音楽を子機を取り出すことにより、子機でヘッドホンステレオとして聞くことが出来るのである。子機を取り出した親機はスレレオのラジオ受信機として使用可能という商品である。

仕様が複雑であったため、開発段階から種々のトラブルに悩まされ、非常に苦労して開発した記憶が残っている。その詳細は、「三洋技報 1982年 夏号 “MR-88論文” 」 として掲載されているのでここでは省く。文字をクリックすると繋がります。

大ラジカセ展全体の印象としては、入り口の右側の壁に、大ラジカセ展の案内文字の横に三洋を代表する Boombox と呼ばれる大型ラジカセMR-X920の拡大写真が貼られていて、びっくりさせられた。

そのほか三洋モデルとしては、1970年代初期商品、1979年~1985年頃のヒット商品 「おしゃれなテレコ」 U4スリーズ、1985年以降の WCD付きの商品、テレビ付きの商品、等々を含め13機種が出展されていた。どのモデルを見ても、古きよき時代の郷愁をさそうものであった。以下の文字をクリックすると、今回の大ラジカセ展の写真集に繋がります。

大ラジカセ展、三洋ブランド・ラジカセをピックアップした写真集 

丁度この頃、即ち1975年後半~1982年前半の7年間は、ラジカセの他、LED時計付ラジオ (RM-550030周年記念商品の1つに認定された)、薄型ラジオ (iPhone 6とほぼ同サイズ)、LCD時計付薄型ラジオ、等々の回路設計を担当していた時期であり、今から思うと 「私の人生で 3番目に生き生きし、輝いていた時期」 であったと思うのである。1982年後半から電話機の設計に移ったのである。電話機設計時代については、別の機会に述べて見たい。

2016年5月 1日 (日)

錦織圭・・・バルセロナ・オープン3連覇逃す・・・を振り返る


にほんブログ村

418日~24日にかけてATP500 バルセロナ・オープン が開催された。錦織圭に取って今年初めてのクレーコートでの戦いである。そして、過去2014年、2015年と2連覇をしていて、今年は3連覇がかかる試合でもある。その試合を振り返って見る。

錦織圭は、第2シードとして3日目の2回戦から登場、ちなみに第1シードはクレーの王者ラファエル・ナダルである。2回戦の相手は、世界ランク102位のティエモ・デバッカ (オランダ) であり、6-46-2、で快勝しクレー初戦を無難に終え、大会3連覇へ、順調に滑り出した。

3回戦は、第13シードで世界ランク33位のジェレミー・シャルディー (フランス) 、過去32敗の相手だが、2敗はいずれもクレーコートで喫していた。相手は強気で攻めて来て、強打の打ち合い、速いテンポのラリーとなったが、要所でのショットの多彩さと精度の高さで錦織が上回り、6-37-5、のストレート勝ちとなった。

準々決勝は、第11シードで世界ランク30位のアレクサンドル・ドルゴポルフ (ウクライナ) との対戦となった。ドルゴポルフは1歳年上の同世代、ジュニア時代にはダブルスを組んだこともあり、公私ともに良く知っている仲だ。第1セットは、互角の戦いが続き、第10ゲームでセットポイントを握られながら凌いだ。

11ゲーム相手の足下やコースを突いたショットで追い込み、ミスを誘いブレーク。 続く第12ゲームも同様の展開でこのセット7-5で奪うと、流は一気に傾き、第2セットは6-0での完勝となった。

準決勝は、第6シードで世界ランク22位のブノワ・ペア (フランス) 、過去の対戦成績は22敗であるが、直近の2戦はハードコートで2連敗と苦杯をなめさせられている難敵である。特に、昨年の全米オープンでは1回戦で負けた因縁の相手でもあり、厳しい試合になるだろうと予測された。

事前のコメントで錦織は、「自分も去年より強くなっているし、クレーコートでの試合になればまた違う」 と自信をのぞかせていた。その言葉通り、好機で一気に畳みかけ、第1セットは第5、第9、ゲームをブレーク。第2セットはラリーで相手を振り回して主導権を渡さず、危なげなく押し切り、結果6-36-2、のストレート勝ちとなった。

決勝の相手は、第1シードで世界ランク5位のラファエル・ナダル (スペイン) 、言わずと知れた 「赤土の王者」 でクレーコート81連勝という、とんでもない記録を持つ選手である。そして、3月のBNPパリバ・オープン準々決勝で当たり敗れている相手でもある。錦織がいま以上にランクを上げて行くには、是非破らねばならない当面のライバルである。

錦織は、ナダルと互角の勝負を演じたが、第1セットは4-5からサービスゲームをブレークされ落とした。第2セットも互いに2ゲームずつブレークした後、5-6の第12ゲームをブレークされ敗れた。結果は、4-65-7、の敗戦であった。

結果以上に、実際の試合は互角に渡り合っていた。惜しかったのは、第1セット第7ゲーム、3ポイントを連取し、3つのブレークポイントを得た。そこからリターンを積極的にたたいて攻めたが、全てミスで終わりチャンスを逃した。ここでブレークに成功していれば、試合の流れは変わったと思われたが、相手の粘りに屈したのである。

錦織は、試合後のコメントで、「ナダルとやるときは、彼のしぶとい守りで決めきれない。自分のテニス以上に攻撃的にプレーして、その分ミスも出た。」 とミスの多さを悔やんでいた。それでも、クレーの王者と互角に渡り合ったのは事実で 「辛抱強くなり、安定感が増した」 と自己分析していた。

クレーコートでのシーズン最大の目標は、グランド・スラムの一つである、全仏オープンである。522日~65日にかけて行われる、是非トップ5の選手を破ってグランド・スラムの一つを獲得して欲しいと願うのである。

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »