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2016年9月12日 (月)

広島カープ25年振りにセリーグ優勝・・・その足跡を振り返って見た


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910日、私が応援するプロ野球チーム広島カープが実に25年 (四半世紀) 振りにセリーグ優勝を飾った。長い間、優勝から遠ざかっていたので、私が生きている間に優勝することはないのかな!と思っていたのだが、今年は出だしから様子が違っていた。

522日の阪神戦に勝利し、トップに立つと交流戦でも好調を維持し、交流戦後半の西武戦、オリックス戦、で6連勝、続く阪神戦の3連勝、そしてヤクルト戦2連勝、と11連勝をした。ここで、2位との差が9ゲームと広がり、今年はこのままの調子を維持して、突っ走るのではないのかという予感がした。

しかし、一筋縄とは行かず、82日からの巨人との3連戦、広島はヤクルトに2連敗、巨人は5連勝、と言う状況での対戦となった。この3連戦、巨人は先に2勝し、差を4.5ゲームまで詰め、3戦目を迎えた。3戦目も巨人は試合を有利に進め、9回表まで76でリード、9回裏押さえの守護神・沢村が出て来て、2アウト ランナーなし、あと1人でゲームセット万事休す一歩手前まで追い詰められた。

ここで広島が敗れると、広島は5連敗、巨人は8連勝、となり差は3.5ゲームまで縮まる所であったが、この後 起死回生の一打が出たのである。即ち、菊池の同点ホームランが出た。そして、ランナー1人を於いて新井のレフトへのタイムリーツーベースで広島がサヨナラ勝ちとなり、この3連戦3連敗を免れゲーム差を5.5で終わらせたのである。即ち、今年最大の山場を凌いだと感じた。

何とか一息ついたカープは、8月の残り19試合を、154敗で乗り切り、8月末には2位との差を12ゲームまで拡げた。824日の巨人戦でマジック20を点灯させていたが、8月末にはマジックを順調に減らし10にしたのである。

9月に入ってもカープの好調さは維持され、96日~8日のマツダスタジアム中日3連戦、3連勝しマジックを一気に1と減らした。そして、迎えた910日、敵地東京ドームでの巨人戦に優勝をかけることとなった。

この試合、1回にいきなり坂本の2ランでリードされる展開となった。3回に敵失で1点を返すと、4回鈴木と松山の連続ホームランで一気に逆転した。続く5回には、鈴木の2打席連続となる2ランでリードを広げた。投げては、先発・黒田が63失点の今季9勝目。そして、今村、ジャクソン、と勝利の継投パターンに入り、最後は守護神・中崎が締め優勝を決めた。

ここで、過去の優勝を 私の年齢の推移 と共に少し振り返って見たい。

1975年(昭和50年) 私の年齢31歳の時球団創立25年目で初優勝 を飾った。この年のオールスター第1戦では、カープの主砲 山本浩二と衣笠祥雄 が共に1試合2本塁打を記録する 「赤ヘル旋風」 を巻き起こした。この時、ひょっとすると今年は何かがおこるのではないのだろうか?と感じた。

中日と阪神との熾烈な優勝争いの末、1015日巨人戦に勝利し初優勝した。結果的に、2位中日と4.5ゲーム差、3位阪神と6ゲーム差、の大混戦だった。この年の首位打者は山本浩二、最多勝は外木場義郎、盗塁王は大下剛史、等々の活躍が目立った。日本シリーズでは阪急ブレーブスと対戦するも42分で敗退した。

1979年(昭和54年) 私の年齢35歳の時2回目の優勝。この年は、開幕前から独走が予想されたが、開幕4連敗、序盤は苦戦が続いた。しかし、高橋慶彦の33試合連続安打等でチームに勢いがつき、8月一気に首位に立つとそのまま4年振りの2度目のリーグ制覇を達成。日本シリーズでは近鉄バッファローズと対戦43敗で下し、悲願の日本一 となった。第7戦では、江夏がノーアウト満塁という絶対絶命のピンチを無失点で切り抜け日本一に導いた (江夏の21球)。

1980年(昭和55年) 私の年齢36歳の時3回目の優勝。この年は、前年と打って変わり序盤から首位を独走し続け、2位以下に大差をつけて球団 初の連覇 を達成した。主砲 山本浩二34歳、打率336厘 (リーグ3位)、ホームラン44本 (リーグ1位)、打点112 (リーグ1位)、3冠王に近い大車輪の活躍であった。日本シリーズは、近鉄バッファローズと対戦、リーグ戦の勢いそのままに43敗で下し、日本シリーズ2連覇 を成し遂げた。

1984年(昭和59年) 私の年齢40歳の時4回目の優勝。4月に12連勝を記録し、開幕ダッシュに成功。その後、中日の猛追にあい、首位を明け渡し、8月終了時点で中日と1ゲーム差の2位となる。しかし、96日の阪神戦に勝利し、首位に返り咲くと、そのまま逃げ切り、4年振りのリーグ優勝。

この年は、75勝を上げ球団シーズン最多勝記録を達成。山本、衣笠、に加え山根和夫、北別府学、大野豊、等々投手が活躍、小早川毅彦が新人王となった。日本シリーズでは、阪急ブレーズと対戦43敗で 3度目の日本一 となった。

1986年(昭和61年) 私の年齢42歳の時5回目の優勝。阿南準郎が監督となった。阿南は、「山本浩二監督」 実現までのつなぎ と言われたが、就任1年目にリーグ優勝を果たした。前年とこの年は、チームに外国人選手は在籍しておらず、純国産打線で組んだ不動のオーダーであった。北別府が投手部門のタイトルを総なめにし、長富浩志投手が新人王となった。

日本シリーズでは、西武ライオンズと対戦し、初戦引き分けた後3連勝するも、その後4連敗した。史上初の第8戦まで縺れ込んだが341引き分けで敗れた。この年限りで、長年チームの4番を勤めてきた 主砲・山本浩二が引退 し、1990年代前半まで4番不足に悩まされるようになった。

1991年(平成3年) 私の年齢47歳の時6回目の優勝。1989年に待望の山本浩二監督が誕生した。1989年、1990年、はリーグ2位、そして3年目である1991年にリーグ優勝した。しかし、広島の長距離打者であった、山本浩二・衣笠祥雄(YK砲)の相次ぐ引退により、絶対的な4番がいなくなり長打不足に悩む1年であった。

打線が振るわない中、投手力を核とする守りの野球でリーグ優勝を決めた。投手陣では、2年目の佐々岡真司がMVP獲得、最多勝、最優秀防御率、達成。川口和久が 沢村賞獲得、最多奪三振、達成。北別府学が 最高勝率 達成。大野豊が最優秀救援投手となるなど、投手王国絶頂期6度目のリーグ制覇を達成した。

日本シリーズでは、西武ライオンズと対戦し、川口が4試合奮闘するなどし、先に王手をかけたが最終的には34敗で敗退した。

そして、チームはこの年以降、長期低迷時代 に入り、優勝から遠ざかることになった。

私が、現役でバリバリ仕事をしていた、31歳~47歳の間はカープも12年、45年おきに優勝をしていたので仕事の励みにもなっていた。所が、1991年から5年間カープ優勝の声を聞くこともなく、6年後の1997年海外勤務 (シンガポール勤務) が決定し、2006年迄の10年間日本を離れることになった。

シンガポール勤務の10年間 (1997年~2006年)、遂に一度もカープ優勝の朗報を聞くこともなく、海外勤務が終了し、2007年初めに帰国することになった。帰国してから、9年間もカープ優勝という声を聞くことなく過ぎ去って行ったが、10年目となる2016年、待ちに待ったセリーグ優勝 に到達したのである。

奇しくも、2016年は高校卒業55周年に当たり、記念同窓会を1116日~17日広島で行う予定であり、参加することになっている。この頃迄には、クライマックス・シリーズ、日本シリーズ、共に終了しているが、果たして結果はどうなっているのだろうか?日本シリーズ優勝と言う美酒を味わうことが出来るのだろうか?何とか期待したいと夢を描いている次第である。

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