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2016年9月の記事

2016年9月30日 (金)

始皇帝と大兵馬俑展・見学・・・その詳細と感想

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928日、大阪の国立国際美術館で開催されている 「始皇帝と大兵馬俑」 展を見学した。この兵馬俑展は、75日~102日の期間開催されている。従い、928日は最後の方であり、小雨がパラツキ蒸し暑い天気であったが、非常に多くの見学者が参加していた。それも80%以上はシニアの見学者であった。

入り口でICレコーダーに録音された音声ガイドとヘッドホンを借用し、展示物の前に番号が付してある所に来ると、レコーダーのテンキーで番号を入力するとその展示物の説明が聞けるようになっていた。

兵馬俑が作られたのは、ご存じのごとく紀元前約220年前 (今から約2200年前)であると記されているが、発見されたのは1974年であり、経っている年月からするとごく最近のことであると言っても過言ではないように感じた。

中国大陸に最初の統一王朝を打ち立てた秦の始皇帝、「最初の皇帝」を名乗り、その巨大な陵墓のほど近くに大量に埋められた地下軍団 「兵馬俑」 は、20世紀の最大の考古学的発見の一つであり、1974年の出土以来、続々と新しい知見と驚きをもたらし続けているようである。

今回大阪の展示場に展示されていた、いろいろな姿・形をした俑は全部合わせても6070体であったが、実際の規模は約8千体とのことであり、想像を絶するものであると推測される。

俑は、全て等身大の大きさで作られているとのことであるが、その背の高さに驚かされた。平均すると180cm~190cm位ある。秦の時代、実際に兵士となる人間は背の高い人々が選抜されて兵士になったのだろうか?この疑問は、以下の記述から答えが推測されるかもしれない。

辺境の一小国であった秦が巨大帝国にのし上がるまでには、ライバル国との熾烈な戦いに勝つ必要があった。その為には、国外の有能な人材を積極的に登用し 「富国強兵」 を推し進め、やがて魏や楚といった強国と競合するほどの勢力に成長して行った。

俑と共に埋葬されていた、始皇帝の愛車がモデル!? であるとされる1号銅馬車、2号銅馬車、が復元展示されていた。四頭立ての馬に引かれる2輪馬車で、サイズは実物の1/2。青銅製・彩色の精巧な馬車の模型であり、始皇帝の馬車をかたどったものと考えられている。既に、色はあせていたが、作られた当時は綺麗であったことが想像される。

1号銅馬車は、映画 「ベンハー」 に出て来る、ローマの競技場でベンハーが乗って競争を行う、四頭立て白馬の2輪競走馬車を思い浮かべさせるものであった。ローマ時代を遡ること220年前に既に考案されていたのには驚かされた。

その他、小物として多くの物品が展示されていた。秦公鐘・・・表面に秦初期の歴史を伝える銘文がある鐘、 玉剣・金剣鞘・・・北方草原とつながる豪華な短剣と金の鞘、 両詔権・・・始皇帝が作らせた重量の基準となる重り(権)の一つ、 取水口・L字形水道管・水道管・・・3点とも陶製で組み合わせ式の水道管、秦の発展を支えた高度なインフラ技術が窺えるものである。

展示物は原則撮影禁止となっていたが、最後の出口の所で真ん中の通路を挟んで俑が左右両方に2列に隊列している所のみ撮影が許可されていた。ここで写した写真を以下に載せます。文字をクリックすると繋がります。

国立国際美術館 「始皇帝と大兵馬俑」 展・・・写真集

尚、「始皇帝と大兵馬俑」 に関する Web 頁がありますので参考にしてもらえれば、始皇帝が夢見た 「永遠の世界」 がより良く理解出来ると思います。次の文字をクリックすると繋がります。

始皇帝と大兵馬俑・・・作品紹介とみどころ

始皇帝と大兵馬俑・・・コラム

2016年9月21日 (水)

敬老の日・日帰りバス旅行を楽しむ・・・その詳細と感想

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919日、敬老の日に日帰りバス旅行に出かけて来た。丁度台風16号が接近して来ていたので、これに遭遇するとどうなるのかな!と心配していたが、幸い台風 襲来の1日前であり、天候は曇りであったが、雨が少しパラツク程度で旅行そのものには全く影響なく終えることが出来た。

利用したのは、「たびぱる」 日帰りバスツアー。旅行のタイトルは、「松茸詰め放題!! 松茸鉄板焼き料理の昼食とラコリーナ近江八幡・約70万本のコスモス」 であった。

バスは、7時に近鉄・藤井寺駅前を出発、735分近鉄・八戸ノ里駅前、8JR・河内磐船駅前、850JR・高槻駅前でそれぞれ旅客をピックアップして、9時に高槻駅前を出発した。私が乗車したのは、河内磐船駅前からであった。

高槻駅前を出ると、大山崎インターで名神高速に乗り、東近江市へ向かい、名神八日市インターで降り4.5km程走り、R307道の駅 「あいとうマーガレットステーション」 に着いた。

道の駅 「あいとうマーガレットステーション」 で約70万本のコスモス園を見る予定であったが、季節は少し早く見られなかった。しかし、代わりに ひまわり園 を見ることが出来た。そして、ここで地元の野菜、果物 ぶどうベリーA、梨ジャム等々を買った。道の駅のHPへは、下記アドレスをクリックすると繋がります。

http://www.aito-ms.or.jp/?page_id=17

次に向かったのは、関ヶ原古戦場横に作られた レストラン・「花伊吹」。ここに着くと、10cm×15cm位の外に銀紙が貼ってある袋をもらい、準備してあった約5cm位の松茸を詰め放題に詰めた。先に袋に保冷剤を入れ、10数個の松茸を詰め終わると、粘着テープとホッチキスで密封し、持ち帰った後の処理方法を記した説明書と共に頂いた(料金は旅行代に込み)。

この後、レストラン 「花伊吹」 で松茸と近江牛の鉄板焼きの昼食。そして、併設されている土産物屋で買い物をして出発。レストラン「花伊吹」のHPへは、次のアドレスをクリックすると繋がります。

http://www.sekigahara-hanaibuki.com/

次に、一般道を走り、米原を経由して彦根に入り、彦根城を横に眺めながら通り過ぎて、琵琶湖を眺望する さざなみ街道 (湖岸道路) を走り、近江八幡市へ向かった。

近江八幡市に入ると、人気の ラコリーナ近江八幡 に着いた。ラコリーナ近江八幡とは、洋菓子を作るメーカ・たねやグループ (洋菓子のブランドはクラブ・ハリエ) のフラッグ・シップ店である。

大きな敷地の中に、いろいろな形をした建物があり、その中で洋菓子・スイーツを作り直接販売している。特に、バームクーヘン、カステラ、のコーナは人気があり、長蛇の列 (3040人の列)で買おうと思って並ぶとバスの出発時刻に間に合わなくなる恐れがあり並ぶのを止めた。

ラコリーナ近江八幡のコンセプトは、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、ホタル舞う小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。

このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、たねや農藝、本社、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなど、ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、長い年月をかけて手がける壮大な構想である。

ラコリーナ近江八幡のHPへは、次のアドレスをクリックすると繋がります。一度覗いて見て下さい。

http://taneya.jp/la_collina/about.html

ラコリーナ近江八幡を最後に、帰路へと向かった。帰りの高速道路は、所々渋滞があり、少し時間がかかり、河内磐船の駅前に着いたのは、夕方6時半頃だった。

旅行全体の流れとしては、バスの中では飲酒して騒ぐ人もいなく、静かな雰囲気の中で、添乗員の方の説明を聞きながら、ゆっくり景色を眺め走ると言う落ち着いた旅であった。バスの中で飲酒して、大騒ぎをするような旅は苦手である。

特に、さざなみ街道は時速40km位のスピードでの走行であり、添乗員の説明と共に琵琶湖の景色を堪能する事が出来て良かった。

2016年9月12日 (月)

広島カープ25年振りにセリーグ優勝・・・その足跡を振り返って見た


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910日、私が応援するプロ野球チーム広島カープが実に25年 (四半世紀) 振りにセリーグ優勝を飾った。長い間、優勝から遠ざかっていたので、私が生きている間に優勝することはないのかな!と思っていたのだが、今年は出だしから様子が違っていた。

522日の阪神戦に勝利し、トップに立つと交流戦でも好調を維持し、交流戦後半の西武戦、オリックス戦、で6連勝、続く阪神戦の3連勝、そしてヤクルト戦2連勝、と11連勝をした。ここで、2位との差が9ゲームと広がり、今年はこのままの調子を維持して、突っ走るのではないのかという予感がした。

しかし、一筋縄とは行かず、82日からの巨人との3連戦、広島はヤクルトに2連敗、巨人は5連勝、と言う状況での対戦となった。この3連戦、巨人は先に2勝し、差を4.5ゲームまで詰め、3戦目を迎えた。3戦目も巨人は試合を有利に進め、9回表まで76でリード、9回裏押さえの守護神・沢村が出て来て、2アウト ランナーなし、あと1人でゲームセット万事休す一歩手前まで追い詰められた。

ここで広島が敗れると、広島は5連敗、巨人は8連勝、となり差は3.5ゲームまで縮まる所であったが、この後 起死回生の一打が出たのである。即ち、菊池の同点ホームランが出た。そして、ランナー1人を於いて新井のレフトへのタイムリーツーベースで広島がサヨナラ勝ちとなり、この3連戦3連敗を免れゲーム差を5.5で終わらせたのである。即ち、今年最大の山場を凌いだと感じた。

何とか一息ついたカープは、8月の残り19試合を、154敗で乗り切り、8月末には2位との差を12ゲームまで拡げた。824日の巨人戦でマジック20を点灯させていたが、8月末にはマジックを順調に減らし10にしたのである。

9月に入ってもカープの好調さは維持され、96日~8日のマツダスタジアム中日3連戦、3連勝しマジックを一気に1と減らした。そして、迎えた910日、敵地東京ドームでの巨人戦に優勝をかけることとなった。

この試合、1回にいきなり坂本の2ランでリードされる展開となった。3回に敵失で1点を返すと、4回鈴木と松山の連続ホームランで一気に逆転した。続く5回には、鈴木の2打席連続となる2ランでリードを広げた。投げては、先発・黒田が63失点の今季9勝目。そして、今村、ジャクソン、と勝利の継投パターンに入り、最後は守護神・中崎が締め優勝を決めた。

ここで、過去の優勝を 私の年齢の推移 と共に少し振り返って見たい。

1975年(昭和50年) 私の年齢31歳の時球団創立25年目で初優勝 を飾った。この年のオールスター第1戦では、カープの主砲 山本浩二と衣笠祥雄 が共に1試合2本塁打を記録する 「赤ヘル旋風」 を巻き起こした。この時、ひょっとすると今年は何かがおこるのではないのだろうか?と感じた。

中日と阪神との熾烈な優勝争いの末、1015日巨人戦に勝利し初優勝した。結果的に、2位中日と4.5ゲーム差、3位阪神と6ゲーム差、の大混戦だった。この年の首位打者は山本浩二、最多勝は外木場義郎、盗塁王は大下剛史、等々の活躍が目立った。日本シリーズでは阪急ブレーブスと対戦するも42分で敗退した。

1979年(昭和54年) 私の年齢35歳の時2回目の優勝。この年は、開幕前から独走が予想されたが、開幕4連敗、序盤は苦戦が続いた。しかし、高橋慶彦の33試合連続安打等でチームに勢いがつき、8月一気に首位に立つとそのまま4年振りの2度目のリーグ制覇を達成。日本シリーズでは近鉄バッファローズと対戦43敗で下し、悲願の日本一 となった。第7戦では、江夏がノーアウト満塁という絶対絶命のピンチを無失点で切り抜け日本一に導いた (江夏の21球)。

1980年(昭和55年) 私の年齢36歳の時3回目の優勝。この年は、前年と打って変わり序盤から首位を独走し続け、2位以下に大差をつけて球団 初の連覇 を達成した。主砲 山本浩二34歳、打率336厘 (リーグ3位)、ホームラン44本 (リーグ1位)、打点112 (リーグ1位)、3冠王に近い大車輪の活躍であった。日本シリーズは、近鉄バッファローズと対戦、リーグ戦の勢いそのままに43敗で下し、日本シリーズ2連覇 を成し遂げた。

1984年(昭和59年) 私の年齢40歳の時4回目の優勝。4月に12連勝を記録し、開幕ダッシュに成功。その後、中日の猛追にあい、首位を明け渡し、8月終了時点で中日と1ゲーム差の2位となる。しかし、96日の阪神戦に勝利し、首位に返り咲くと、そのまま逃げ切り、4年振りのリーグ優勝。

この年は、75勝を上げ球団シーズン最多勝記録を達成。山本、衣笠、に加え山根和夫、北別府学、大野豊、等々投手が活躍、小早川毅彦が新人王となった。日本シリーズでは、阪急ブレーズと対戦43敗で 3度目の日本一 となった。

1986年(昭和61年) 私の年齢42歳の時5回目の優勝。阿南準郎が監督となった。阿南は、「山本浩二監督」 実現までのつなぎ と言われたが、就任1年目にリーグ優勝を果たした。前年とこの年は、チームに外国人選手は在籍しておらず、純国産打線で組んだ不動のオーダーであった。北別府が投手部門のタイトルを総なめにし、長富浩志投手が新人王となった。

日本シリーズでは、西武ライオンズと対戦し、初戦引き分けた後3連勝するも、その後4連敗した。史上初の第8戦まで縺れ込んだが341引き分けで敗れた。この年限りで、長年チームの4番を勤めてきた 主砲・山本浩二が引退 し、1990年代前半まで4番不足に悩まされるようになった。

1991年(平成3年) 私の年齢47歳の時6回目の優勝。1989年に待望の山本浩二監督が誕生した。1989年、1990年、はリーグ2位、そして3年目である1991年にリーグ優勝した。しかし、広島の長距離打者であった、山本浩二・衣笠祥雄(YK砲)の相次ぐ引退により、絶対的な4番がいなくなり長打不足に悩む1年であった。

打線が振るわない中、投手力を核とする守りの野球でリーグ優勝を決めた。投手陣では、2年目の佐々岡真司がMVP獲得、最多勝、最優秀防御率、達成。川口和久が 沢村賞獲得、最多奪三振、達成。北別府学が 最高勝率 達成。大野豊が最優秀救援投手となるなど、投手王国絶頂期6度目のリーグ制覇を達成した。

日本シリーズでは、西武ライオンズと対戦し、川口が4試合奮闘するなどし、先に王手をかけたが最終的には34敗で敗退した。

そして、チームはこの年以降、長期低迷時代 に入り、優勝から遠ざかることになった。

私が、現役でバリバリ仕事をしていた、31歳~47歳の間はカープも12年、45年おきに優勝をしていたので仕事の励みにもなっていた。所が、1991年から5年間カープ優勝の声を聞くこともなく、6年後の1997年海外勤務 (シンガポール勤務) が決定し、2006年迄の10年間日本を離れることになった。

シンガポール勤務の10年間 (1997年~2006年)、遂に一度もカープ優勝の朗報を聞くこともなく、海外勤務が終了し、2007年初めに帰国することになった。帰国してから、9年間もカープ優勝という声を聞くことなく過ぎ去って行ったが、10年目となる2016年、待ちに待ったセリーグ優勝 に到達したのである。

奇しくも、2016年は高校卒業55周年に当たり、記念同窓会を1116日~17日広島で行う予定であり、参加することになっている。この頃迄には、クライマックス・シリーズ、日本シリーズ、共に終了しているが、果たして結果はどうなっているのだろうか?日本シリーズ優勝と言う美酒を味わうことが出来るのだろうか?何とか期待したいと夢を描いている次第である。

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