始皇帝と大兵馬俑展・見学・・・その詳細と感想
9月28日、大阪の国立国際美術館で開催されている 「始皇帝と大兵馬俑」 展を見学した。この兵馬俑展は、7月5日~10月2日の期間開催されている。従い、9月28日は最後の方であり、小雨がパラツキ蒸し暑い天気であったが、非常に多くの見学者が参加していた。それも80%以上はシニアの見学者であった。
入り口でICレコーダーに録音された音声ガイドとヘッドホンを借用し、展示物の前に番号が付してある所に来ると、レコーダーのテンキーで番号を入力するとその展示物の説明が聞けるようになっていた。
兵馬俑が作られたのは、ご存じのごとく紀元前約220年前
(今から約2200年前)であると記されているが、発見されたのは1974年であり、経っている年月からするとごく最近のことであると言っても過言ではないように感じた。
中国大陸に最初の統一王朝を打ち立てた秦の始皇帝、「最初の皇帝」を名乗り、その巨大な陵墓のほど近くに大量に埋められた地下軍団
「兵馬俑」 は、20世紀の最大の考古学的発見の一つであり、1974年の出土以来、続々と新しい知見と驚きをもたらし続けているようである。
今回大阪の展示場に展示されていた、いろいろな姿・形をした俑は全部合わせても60~70体であったが、実際の規模は約8千体とのことであり、想像を絶するものであると推測される。
俑は、全て等身大の大きさで作られているとのことであるが、その背の高さに驚かされた。平均すると180cm~190cm位ある。秦の時代、実際に兵士となる人間は背の高い人々が選抜されて兵士になったのだろうか?この疑問は、以下の記述から答えが推測されるかもしれない。
辺境の一小国であった秦が巨大帝国にのし上がるまでには、ライバル国との熾烈な戦いに勝つ必要があった。その為には、国外の有能な人材を積極的に登用し 「富国強兵」 を推し進め、やがて魏や楚といった強国と競合するほどの勢力に成長して行った。
俑と共に埋葬されていた、始皇帝の愛車がモデル!? であるとされる1号銅馬車、2号銅馬車、が復元展示されていた。四頭立ての馬に引かれる2輪馬車で、サイズは実物の1/2。青銅製・彩色の精巧な馬車の模型であり、始皇帝の馬車をかたどったものと考えられている。既に、色はあせていたが、作られた当時は綺麗であったことが想像される。
1号銅馬車は、映画
「ベンハー」 に出て来る、ローマの競技場でベンハーが乗って競争を行う、四頭立て白馬の2輪競走馬車を思い浮かべさせるものであった。ローマ時代を遡ること220年前に既に考案されていたのには驚かされた。
その他、小物として多くの物品が展示されていた。秦公鐘・・・表面に秦初期の歴史を伝える銘文がある鐘、
玉剣・金剣鞘・・・北方草原とつながる豪華な短剣と金の鞘、 両詔権・・・始皇帝が作らせた重量の基準となる重り(権)の一つ、 取水口・L字形水道管・水道管・・・3点とも陶製で組み合わせ式の水道管、秦の発展を支えた高度なインフラ技術が窺えるものである。
展示物は原則撮影禁止となっていたが、最後の出口の所で真ん中の通路を挟んで俑が左右両方に2列に隊列している所のみ撮影が許可されていた。ここで写した写真を以下に載せます。文字をクリックすると繋がります。
尚、「始皇帝と大兵馬俑」 に関する Web 頁がありますので参考にしてもらえれば、始皇帝が夢見た
「永遠の世界」 がより良く理解出来ると思います。次の文字をクリックすると繋がります。
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