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2016年11月の記事

2016年11月19日 (土)

高校卒業55周年記念同窓会に出席した感想

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20161116日~17日に渡って開催された島根・奥出雲 横田高校・42期生 卒業55周年記念同窓会に無事全行程参加することが出来ホット一息つくと同時にご尽力頂いた幹事の方々に感謝致しています。

今回の同窓会は、いつもの開催地ではなく場所変えて広島市で行われた。懇親会の後、ホテルの近くにある広島県民文化センター(鯉城会館)に場所移し、「広島神楽」 定期公演の出し物を鑑賞をした。

そして、翌日は平和公園・船乗り場(元安橋桟橋)発の 『ひろしま世界遺産航路 リバークルーズ』 で宮島へ向かい、厳島神社、大聖院、紅葉谷、等々の観光、お別れ昼食会は宮島の 「錦水館」 で行い、終了後再びリバークルーズで荷物を預けていたホテルに帰り、午後245分頃解散となった。

我々、横田高校42期生は過去、5年ごとに記念同窓会を開催して来た。前回の50周年記念同窓会は、20111120日~21日に行われたが、その後2014年に大病を二つした為、この後の同窓会への出席はとうてい無理だろうと思っていた。

所が、あれから2年が経過し、体調も少し落ち着き安定して来た。しかし、寄る年波には勝てず老化現象の方は進む一方であったが、今回の同窓会には何とか出席出来るのではないだろうか?と自問自答しながら出席の返事を返した。

会場に着き参加の受付を済ませ、資料をもらうと参加者は40名と前回と比較し22名少なく、更に物故者も36名と前回より10名も増えていた。68歳→73歳へ移る5年間というのは、人生にとって厳しさが増す頃であると感じた。同窓生のみに限らず、一緒に働いていた会社の同僚の亡くなる年齢でも72歳前後に一山あり、同じ事が言えるのかな!と思った。

出席者が減っている事に関しては、近況・所感 等々を読むと、本人が具合悪く出席出来ないのと、家族の面倒を見なければならず出席出来ない、という理由が非常に多く、やむを得ない年齢に差し掛かっているのかな!と感じるのである。

話変わって、懇親会のあと見学した 「広島神楽」 の出し物は、今まで見たことがない演目であり、第一幕は「三浦」、第二幕は「鍾馗」、であった。

「三浦」は、下野国の那須野ヶ原に悪狐が立ちこもり、庶民を苦しめていた。そこで時の天子が伊豆の大将、三浦之助と上総之助に悪狐を退治するように勅命を下し退治する物語である。

「鍾馗」は、中国や日本に伝わる魔除けの神様です。須佐之男命の化身が鍾馗大神と名乗り、民の命を奪おうとする姿なき大疫神(疫病の神)と戦い、左手に持つ「茅の輪」で捕らえ、右手の剣で退治する物語である。

この二つの演目については、予めレジメを読み理解していたつもりであったが、実際の神楽を見る限りストーリー通りに進んでいるのかどうか?良くわからなかった。事前の予備知識なしでは、理解しづらいのでは?と感じた。

翌日の宮島観光は、天候にも恵まれ非常に良かった。厳島神社へ来たのは、小学校の修学旅行以来であり、社殿の中を見学するのは、初めての感覚と同じであった。紅葉谷は、紅葉真っ盛りの時期であり、快晴の中赤く染まった紅葉が非常に鮮やかに感じられた。

お別れ昼食会、最後の挨拶で次回60周年記念同窓会も行おうと言う呼びかけがあり、満場盛大な拍手で終わったが、その時の年齢は満78歳であり、果たして元気でついて行けるのだろうか?自信なく感じた次第であった。

2016年11月14日 (月)

2016年11月16日・・・横田高校卒業55周年記念同窓会・寄稿文

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島根・奥出雲 横田高校・第42期生196名は1962年(昭和37年)3月、友情と絆を育み、夢と希望を持って、卒業し次のステップへと巣立って行きました。爾来55年が経過、 2016年秋を迎え、青年であった若者も今や老年(73歳)となり、人生の最終章へと進んで来ています。

55年という歳月が経過する中、残念ながら道半ば、夢半ばで逝かれた方々が既に36名の多き を数えるに至っています。ましてや、50歳代前半or 50歳代中半、という人生の最盛期に逝かれた方々は悔いが残る人生ではなかったのでは!と推察致します。

今回の55周年記念同窓会に出席される方々は、それぞれの人生を順風満帆に渡って来られ、これから先もまだまだ青春時代 (健康寿命を維持している限りは青春だ) として生きて行かれることだろうと思います。

しかし、これから先の人生は、新しいことを始める、新しい遠い旅に出かける、新しい出会が待っている、ということよりもむしろ 「過去の出会い」 あるいは 「自分が築いて来た無形の財産」 を振り返り、記憶を蘇らせ、楽しかった頃、を懐かしみながら歩んで行けば良いのではないだろうか!と思っています。

そこで、私に取って強烈なイメージと共に記憶に残っている事柄 あるいは 無形の財産・宝物を上げてみました。

1.シンガポールへ赴任してから5年目に当たる2001年は、喜び・感動・感激・驚愕 に値する事柄が多く発生し、今でも強烈な印象で残っている1年でした。

1月 旧正月休みで帰国時、前年の秋急逝した竹馬の友 「小川孝美君」 のご佛前へ礼拝・・・残念無念

4月 長女の結婚式 出席で休暇を取り帰国、同時に 勤続30周年記念旅行券 で旅行・・・喜び・感動・感激

8月 父の7回忌 で帰国、帰りのJAL便の機内誌で 「イチローのレーザービーム」 記事を読む・・・・感動・驚愕

9月 仕事の出張で帰国、帰星前夜 「同時多発テロ勃発」 かつて訪れた ワールド・トレード・センタービル崩壊 ・・・驚愕

11月 横田高校卒業40周年記念同窓会 出席で帰国・・・感動・感激

2.1997年~2006年 (53歳~63歳) に渡る10年間の異国での生活体験。赴任した国はシンガポール、元々望んでいた国であり、赴任することに何の躊躇もなかった。改めて振り返ってみると、自然環境、社会環境、生活環境、の素晴らしさに感謝する10年間であった。少し例を上げてみると、

自然環境ではシンガポール島は岩盤の上に出来た島であり地震がない。赤道直下であるため台風が来ない。最高気温34℃、最低気温24℃、気温差が僅か10℃の常夏であり、半袖シャツで一年中通せると言う長所。逆に、四季がないと言う短所でもあった。

社会環境では、道路網が発達し整備されているが、車の絶対数が制限されているため、交通渋滞がなくスムースに流れる。車通勤はもとより、シンガポール島内を通してマレーシアのジョホール・バルにある工場とシンガポール空港間を結ぶロジスティック (部材の輸入と完成品の輸出) に多いに役だった。自家用車の値段が高いのが欠点であった。

生活環境では、複数の日系百貨店の地下に日本の食材が自由に手に入るスーパマーケットがあり、ほとんど日本に いる時と変わらない生活が出来た。外食環境も良く、昼食は日本食レストランに行くのが楽しみだった。まさに、シンガポールでの生活体験は、宝物として残る無形の財産となっている。

3.20135月、大学時代の同窓会に初めて出席した。今まで、大学の同窓会には出席したことがなかった。今回、2年先輩の 槇原昇氏 から 「伊藤先生を囲む会」 への案内状を頂いた。伊藤先生は、当時助手であったが、私の直接の指導教官でもあり、既にご高齢でもあることから、今回出席しなければ悔いが残ると感じ、出席したのである。

幸い、伊藤先生とは実に50年振り (半世紀振り) に再会 することが出来た。良く覚えていて頂き、感謝・感激したのである。多分、大学の同窓会も今回が、初めてで最後になるのではと思っているので、印象深く記憶に残っている。

詳細は、“初めて出席した大学同窓会の感想” に記述、文字をクリックすると繋がります。

4.201410月、関西よこた会、関西奥出雲会、の設立・運営にご尽力された 米田守之氏が73歳という若さでご逝去。尼崎市の市会議員、市会議長、等々をなされている傍ら、関西の都市と 「ふるさと横田・奥出雲」 との交流の架け橋を作られ 「ふるさと発展に寄与」 されていた。

私は、米田氏と実家が近く良く知っていたので、いろいろと声をかけてもらい手伝いをさせてもらった。その財産として、関西よこた会 「20年の歩み」、「20周年記念総会」 というDVDが残っている。

また、この両会で米田氏と共にご尽力頂いたのは、坪倉修吉先生 であり忘れることは出来ないのである。坪倉修吉先生米寿祝い (20132月) を行った時も米田氏がコーディネターとして活躍された。この時の財産として 「その足跡をふりかえる」、「お祝いの会 記録ビデオ」 というDVDを残したのである。

5.20165月、実に47年振りに名古屋を訪れた。かつて私は、19664月~19699月迄の3年半この街に住んでいた。千種区大久手にあった新白砂電機 (以下 シルバー と呼ぶ) に勤めていたからである。シルバーを退職して、三洋電機に転職し大東市に移ってから、ご無沙汰をしていた。

所が、2015年の暮れ、“瓢箪から駒が出る” (文字をクリックすると繋がります) に遭遇、シルバーのその後の状況を知った。会社は既になくなっていたが、元の社員の結束と繋がりは強く、今でも年に一回 「シルバーOB会」 が開催されているので、出席しないかと言うお誘いを頂いたのである。最初、少し途惑いを感じたが、こんなチャンスは二度と来ないだろうと思い、出席した。まさに、現代の浦島太郎物語に似た人生終盤期の無形の宝物となったのである。

詳細は、“シルバー会に出席した感想” に記述、文字をクリックすると繋がります。

さて、ここまでの人生、何とか自分が思い描いて来た人生スゴロクのように生きて来られた。しかし、これから先の人生どう生きて行けば良いのだろうか?体力的な衰えが目立つこの頃であり、いつ寿命が来てもおかしくない。従い、これから先は一年一年が勝負であり、一年無事で過ごせたら、又次の一年と、命を繋いで生きて行くしかないと思っている。

そうした生き方をする中にも、生きて行くキーワードがあり、それは 「健康寿命の維持」 と 「知的生産活動」 である。この二つを失ってまで長生きはしたくないと思っている。この二つのキーワードを維持して生きられるのは、あと数年ではないのだろうか?残りの人生を大切にしたいと思うこの頃である。

2016年11月10日 (木)

米国大統領選・トランプ氏予想外の勝利・・・トランプ・ショックに戦々恐々

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118日、米国大統領選が行われ、全米各州で即日開票され、共和党候補の不動産王ドナルド・トランプ氏が女性初を目指した民主党候補のヒラリー・クリントン氏を大接戦の末破り、米国第45代大統領となることが確定した。

当初の予想では、ヒラリー・クリントン氏が勝つだろうと予想していた。各種世論調査では、クリントン氏が約10ポイントリードしていたが、1028FBIのジェームズ・コミー長官がヒラリー・クリントン氏の国務長官在任中の私用メール問題を再捜査すると発表したことからケチがつき始め、その差がわずか1ポイントまで縮まり、勝負はどちらに転ぶか分からない状態となってしまった。

投票日の2日前になって、捜査が終了したと発表されたのであるが、流は大きく元に戻ることなく、投票へと進んで行き、結果は大方のメディアが予想もしない大番狂わせを巻き起こしてしまった。

おそらく、世界中のメディア、人々の予想を狂わせたのではないかと推測する。日本でも当然大多数の人々がクリントン氏の勝利を確信し、選挙戦は平穏無事に終わるだろうと高を括っていたと思う。

所が、開票が進み中盤まで進んで来たところで、何か事前の予想と少し違うなと言う予感を抱いた。選挙戦の行方を左右すると言われていた、オハイオ州とフロリダ州の開票が済んでいない状況下で、この二つの州をクリントン氏が取ればまだ見込みはあるなと思っていたのであるが、二つとも僅差でトランプ氏の方へ転んでしまい、この時点でクリントン氏の勝利はないと諦めたのである。

トランプ氏に戦々恐々とするのは、選挙戦中から彼が発言していた、安全保障の問題、経済問題、移民問題、等々が日本そして米国の同盟国にとって、好ましくない方向へ進んで行くのではないだろうかと推測されるからである。

米国国民にとっては、米国第一主義、偉大な米国の復活、即ち 貿易保護主義、他国の安全保障より自国の安全を最優先するやり方の方が、耳障りよく聞こえたのではないだろうか?

特に、白人低所得者層に取っては、ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)と言われることの方が逆に白人を差別するものであると取り、トランプ氏への投票に拍車をかけたのではないだろうか?

日本国に取っても、安全保障の問題、貿易問題(特にTPP)、は国の死活に関わる問題であり、実際にトランプ政権が発足したらどのように進展して行くのか?注視して行き、必要に応じて適切な対応を取って欲しいと願うのである。

2016年11月 1日 (火)

松山英樹 10月ゴルフ・ビッグタイトル2つ獲得・・・いよいよ本領発揮か?


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10月に入ってプロ野球のCSそして日本シリーズ、更にゴルフの日本オープンゴルフ選手権(狭山GC)、そして世界選手権シリーズ(上海・余山国際GC)、とビッグゲームが続いた。野球については、広島カープが25年振りに日本シリーズに進出したが、広島での初戦、2戦目と勝ったが、後が続かず24敗と敗れ残念な結果に終わった。今日はこの話題には触れず、ゴルフの話題を取り上げる。

ゴルフの松山英樹は今年24歳であるが、今月に入ってビッグタイトル2つを獲得した。2つのビッグタイトルを挟む間の週に米国男子ツアーCIMBクラシック(マレーシア)で2位と健闘していた。このマレシアでのゲーム終了時点で松山の世界順位は待望のトップ10入りとなった。日本勢では18年ぶりのトップ10入りで4人目である。

松山が獲得したビッグタイトル2つは、いずれも2位以下をダントツに圧倒する勝ち方での勝利であった。予てから、ゴルフの才能は認められていた。2014年米男子ゴルフツアー(PGAツアー)で初優勝した時は、帝王ジャック・ニクラスの目の前であり、その将来性を、これから先10年、15年に渡って世界でベストプレーヤーの一人となる選手の始まりだ とまでに褒められていたのである。

今回の2つのタイトルを振り返ってみると、日本オープンゴルフ選手権戦は、日本のビッグタイトル・国内メジャーに初挑戦するため、わざわざ日本へ帰って来ての挑戦であった。初出場にもかかわらず、3日目に1打差でトップに立ち、最終日2位以下に3打差をつけての優勝となった。ゴルフでの3打差優勝は、実力差がないと出来ない勝ち方である。

世界選手権シリーズは1999年に始まり、年に4試合行われる。世界ランク上位選手しか出られず 「順メジャー」 として位置づけられている。今回の米、欧州ツアーを兼ねるHSBCチャンピオンズには、世界ランク10傑のうち1位のジェーソン・デー、4位のジョーダン・スピースを除く強豪全選手が出場していた。

この試合、松山は初日から調子が良く、初日は-6のトップタイで首位発進、2日目は-7でトータル-13としトップをキープ、3日目は-4でトータル-17として2位に3打差をつけて単独首位をキープ、そして迎えた最終日は-6で通算-23とし、2位以下に7打差をつけると言う圧巻の勝利を収めたのである。

この結果、松山の世界ランクは前週10位に上がったばかりであったが、4つランクを上げ一気に6位まで上がったのである。日本人選手の世界ランクは1987年の中島常幸の4位が最高、1997年の尾崎将司5位がそれに次ぐ順位である。従い、松山の順位は日本人選手のみでカウントすると3番目となる。

更に、松山は今年2月の米ツアー フェニックス・オープンで優勝をしているので、米国ツアーでは通算3勝である。過去、日本人選手で3勝したのは丸山茂樹のみで、彼と並ぶ米ツアー3勝目としたのである。

参考までに、1031日付けの世界ランキングは、1位 ジェイソン・デイ、2位 ロリー・マキロイ、3位 ダスティン・ジョンソン、4位 ヘンリク・ステンソン、5位 ジョーダン・スピース、6位 松山英樹、7位 アダム・スコット、8位 パトリック・リード、9位 バッハ・ワトソン、10位 ダニー・ウィレット、と言う現時点での強豪である。

日本のゴルフ界にとって、松山英樹はまさに孤高を行く大器であることは間違いなく、これから先どれだけ活躍してくれるのか楽しみである。来年は、是非その実力を遺憾なく発揮し、グランド・スラムのどれか一つを制覇して欲しいと願うのである。 ガンバレ!松山英樹

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