米朝会談の日程と場所が決定・・・シンガポールは最適な場所だろうか?
5月10日、トランプ米大統領は、北朝鮮の金正恩委員長との史上初の米朝首脳会談を6月12日にシンガポールで開くと発表した。首脳会談の場所については、シンガポール、ジュネーブ、ウランバートル、南北軍事境界線にある板門店、等々が噂に上っていたが、最終的にシンガポールと決定した。
シンガポールと決まった理由は、米朝双方と関係があること、中立性が高いこと、等々があげられている。その他の理由として考えられるのは、非常に治安が良く、インフラに長けていることが上げられる。
私は、この国に約10年(1997年~2006年)住んでいた。帰国してから既に11年以上が経過しているが、当時からインフラの整備状態は非常に良く、仕事をする上で多いに役だっていた。
チャンギ国際空港は24時間運営であり、夜中であろうが通関の作業はひっきりなしに行われ、到着した荷物の検疫・通関手続きは最短で4時間で終了する。
日本を夕方4時に出発した荷物は、夜10時にシンガポールに到着、通関手続きを終えて荷物が出て来るのは4時間後の夜中の2時である。これほど通関手続きが早い国は他に例を見ない。日本の場合、航空貨物で最短でも約13時間かかる。
トラックの運転手を、夜中に待機させておいて、荷物が出て来たらすぐにトラックに積み込み工場へ向けて出発させる、とその日の午前中にマレーシアの工場へ到着するのである。
シンガポール島内の陸路の交通渋滞は、日中、夜中、ほとんど関係なく皆無であり、島内を横切りシンガポール出国、マレーシア入国の税関まではすんなり着く、しかし税関の前で少し渋滞があり、ここを抜け出すのに数時間を要する。
税関手続も、荷物の内容をネットで予め申告し、ネットで許可を取り、事前に書類を作成し、この書類を運転手に預けて持たせておき、通関時提出することで時間短縮が図れたのである。
これは、日本から荷物を輸入する場合の例であるが、製品を出荷する場合に於いても、これと同様に迅速に行われる。そして、通勤を車で行っていたが、片道20kmの距離を30分弱で行けるので、通勤のストレスをほとんど感じなかった。
以上はインフラの一例であるが、治安も非常に良く日本より安全であると感じていた。従い、各種の国際会議が誘致され頻繁に行われていた。シンガポールが直接の当事者でない第三国であるのにも関わらず会議の誘致が出来たのは、インフラ・治安の良さを示すバロメータであると思っていた。
しからば、具体的な開催場所はシンガポールの何処だろうか?今、最有力視されているのは、中心部のシャングリラ・ホテルである。ここでは、各国の国防相、軍事関係者ら要人が集う国際会議が毎年開かれており、セキュリティー対応は万全のようである。
これは予断であるが、私がシンガポール勤務時、三洋アセアン地区の会社幹部を集めて「インターナショナル企業グループ方針発表会」が行われたのもこのシャングリラ・ホテルであった。この時は、日本から副社長の井植敏雅氏も出席されていた。以下の文字をクリックするとその時の写真に繋がる。
第二の場所として考えられるのは、シンガポールのランドマークと言える巨大統合型リゾート(IR)施設
「マリーナベイ・サンズ」であるが、警備などの面から困難とみられている。このIRは私が帰国した後の2011年2月17日全面開業した。2012年7月、帰国後2回目のシンガポール旅行時ここにも訪れた。
第三番目の候補地として考えられているのは、セントーサ島である。ここは島全体がリゾートであり、ホテル・ゴルフ場・ミュージアム・水族館・その他娯楽施設
等々が充実した場所である。警備の面を考慮すると、容易であると思われる。
治安とかインフラについて見て来たが、もう一つ重要と思われるのは、シンガポールでは集会等には厳しい制限が課されているため、会談の当事国に対する反対デモを心配する必要もないことである。
以上 いろいろな面についてシンガポールの妥当性について考慮してきたが、米朝会談には最適な場所であると結論づけられる。と言うのが私の見方である。
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コメント
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2044年の会合の時、佐藤菁治君は、いなかったですか?
ところで、小生は、1987年(昭和62年)から2年ほどフランス・パリの事務所(ルーブル美術館からオペラ座に向かう通称オペラ通りの中間あたり)に勤務しました。当時のフランスは治安のよい国でしたが、今は治安が悪いですね。昨日もオペラ通りではないが、オペラ座に近い所で、テロ事件?がありましたね。シンガポールは、インドネシアに行った時一時(2時間くらい)
立ち寄ったことはありますが、一度数日観光ででも行きたと思っています。
投稿: 大輝 茂 | 2018年5月14日 (月) 09時40分