渋野日向子・AIG全英女子オープン優勝・・・についての雑感
女子ゴルフのメジャー最終戦、AIG全英女子オープンは8月4日、英国ミルトンキーンズのウォバーンゴルフ・カントリークラブ(パー72)で最終ラウンドが行われ、日本の渋野日向子(20歳)が通算18アンダーで優勝した。
日本勢のメジャー勝利は、1977年の全米女子プロ選手権を制した樋口久子(72歳・現LPGA顧問)以来、男女を通じて42年ぶりで2人目の快挙である。
渋野日向子と言う選手がいることを知ったのは、全英女子オープン3日目でトップに立っている日本の選手がいると言う報道があり、その時が初めてである。
その時は、例え3日目でトップに立ったとはいえ、全くの偶然の出来事で最終日を迎えればプレッシャーで大崩れし、最終5~6位で終われば良いだろうと思いあまり気にしていなかった。
所が最終日の結果を聞いてびっくりである。首位の最終組で先に65で終えていたリゼット・サラス(米国)と通算17アンダー並んで迎えた18番で、長いバーディーパットを沈めて快挙を達成したのである。
何故、驚いたかと言えば、渋野日向子のこれまでの経歴を詳しく知った時である。プロに転向してからまだ1年目で国内トーナメントで7月に2勝目をあげたばかりで、いきなり海外のメジャーに挑戦し優勝したことである。
樋口久子と比較してみると、樋口久子の場合、1967年(昭和42年)プロテストに合格すると、その翌年、日本女子プルゴルフ選手権大会、TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権協技)の2大メジャーを連覇。以後1970~80年代にかけてこれらの2冠を独占するなど日本プロゴルフ界を席巻して来たのである。
樋口久子が全米女子プル選手権に優勝したのは、こうした絶頂期の1977年31歳の時であり、まさにゴルフ人生最高の時であった。所が渋野日向子の場合、まだ経験1年目でポットでの新人と言う状況下での優勝であり、奇跡に近い偶然と思えるからだる。
これから先、渋野日向子はどう飛躍して行くのだろうか?英国の公共放送BBCがセベ・バレステロスの例を上げて次のようにコメントしている。
全くの無名の存在から、メジャー女王に輝いた渋野。突如現れたヒロインを「爆発的なインパクト」と称賛し、1976年の全英オープンで2位に入った当時19歳のセベ・バレステロス(スペイン人ゴルファー)の台頭を彷彿させるものだった。
セベ・バレステロスは、1976年欧州ツアー賞金王に輝くと、一気に世界的名選手へと飛躍して行った。全英オープンでは、1979年、1984年、1988年、と3度優勝。同じく海外メジャー米国のマスターズでは、1980年、1983年と2度の優勝、1977年、1978年に国内メジャー日本オープンを連覇、日本でも通算6勝し、一時代を築いた名選手であった。
人生初の海外ツアー。衝撃的な活躍の理由について、記事では新女王の実力もさることながら、その飾らない人柄を挙げている。彼女はゴルフに必要なものをもっている。「それはカリスマ性であり、個性だ。」
普通ならピリピリとした緊迫感が張り詰める大舞台の優勝争い。そんな場面で見せた笑顔のプレーに「感情を失ったポーカーフェイスの時代では、特に」と、渋野の凄さを強調していた。
そして、彼女の真の実力を評価するのは時期尚早だが、観客を魅了するという能力においては別格の存在である言っても差し支えないだろう。とコメントしていた。
今後、渋野日向子はどう成長し、飛躍して行くのだろうか?注目して行きたい。
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