運転免許証を自主返納・運転経歴証明書を受理・・・自動車人生に終止符
8月6日、交野警察署で運転免許証を自主返納、同時に運転経歴証明書の交付・申請を依頼した。8月20日、交野警察署で運転経歴証明書を交付され受理した。
これで私の人生で大きな役割を果たしてくれた自動車から”おさらば” である。振り返って見ると、免許証を取ったのは1967年(昭和42年)、免許証を返納したのが2020年(令和2年)、免許証を保持していた期間は53年間であった。
自動車を初めて購入したのは、1975年(昭和50年)で主な用途は通勤に使用することであった。1988年(昭和63年)住道工場からJR神戸線の塚本駅から徒歩で15分くらい離れた所に有った歌島工場へ移転が決まると、さすがに大阪市内を横切って車通勤をするのは無理であり、電車通勤に切り替えざるを得なかった。
歌島工場での勤務は6年間で終わり、住道工場に新しく新技術棟が建設され、1994年再び住道工場内へ戻ることとなった。しかし、以前のように車での通勤は出来ず電車通勤となった。
住道工場新技術棟での勤務は、1994年9月~1997年3月迄の実質2年半で終わった。と言うのは、1997年4月からシンガポールへの赴任が決定したからである。
シンガポールへ赴任後は、シンガポールで免許手続をし、シンガポールでの免許証を取得した。そして、車を購入した。
シンガポールの場合、日本と同じように車が購入出来るのではなく、自家用車購入にあたって自動車所有証(COE)の購入が義務付けられており、これを取得すると10年間の自動車保有が認められる。
従い、この規則に則って中古車、日産サニー(1600CC)4年落ちの車を購入した。中古車には自動車所有証(COE)が付いており、購入した車は640万円だった。
4年落ちの中古車が640万円とはベラボーに高いと思われますがこれが当たり前であり、会社へ報告すると400万円の補助が出た。従い、正味の自己負担金は240万円であった。
4年落ちの中古車を選んだのは、シンガポール勤務の辞令が3年であり、例え延長になっても5年迄には終わるだろうと推測し、残り6年乗れる車を選んだのである。
所が、豈図らんや!シンガポール勤務は10年間続いた。車の故障もあり、10年間に3回車を買い換えた。
シンガポールでの車生活は、まことに快適であった。高速道路網が整備されているにも関わらず渋滞がないからである。渋滞を作り出さないように車の絶対数を制限しているからである。車の絶対数を増やさないようにするのが自動車所有証(COE)である。
自動車所有証(COE)は基本的にその年に廃車となった車の台数分だけが発行される。購入したい人は入札で購入するようになる。購入したい人が多い場合、価格は高くなる。
いずれにしても、53年間の車生活は無事大過無く終了し、安堵していると言うのが現在の心境である。
下の図は、運転免許の取消通知書と運転経歴証明書である。
2020年9月28日、運転免許の取消通知書と運転経歴証明書は住所が記載されているため取消ました。
運 転 免 許 の 取 消 通 知 書
運 転 経 歴 証 明 書
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コメント
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久し振りです!
運転免許を自主返納したとのことで、車の運転もしなくなって何故か寂しい気がしませんか??
私事ですが、車の運転が出来なくなると困難は地域に住んでいるので止められないです
3月に15年間乗っていた車を買い替えました、と言っても運転に自信が無いので、安全装置が施されて
いるタイプで小型で1000㏄ ルーミーです。
軽でもと思ったが、孫が3人近くに居るので5人乗りでなければ困るから決めた次第です。
8月から後期高齢者保健の仲間に なったので、安全運転に気を付けています。
後何年運転が続けられるか不明ですが、そうなったら私も免許返納しようと思います、その後は女房が
運すると思うので、小型にしたことの意味もあります。
コロナ対応で何処にも行けないですが、頑張って生活しています では さようならします。
投稿: 岡本惠夫 | 2020年8月22日 (土) 18時16分