故郷奥出雲に関連する二人の先輩の静かなる活動・・・人生の指針としたい
先日、2019年6月25日に故郷奥出雲に住んでおられる先輩から二冊目となる句集「雪の峰」が送られて来た。何の前ぶれもなく、送られてきたのである。この先輩にとってこの句集は、平成24年から平成30年にかけて詠まれた三百二十七句をまとめて発刊されたものである。
一冊目の句集「あしたの花」は平成24年5月に発刊されたもので、この時は自分史「蝉の声」と同時に頂いた。その後、7年間継続して俳句を詠んでおられたのである。私自身としては、その後継続して俳句を詠んでおられるとは認識していなかったので少しの驚きであった。
この句集の中身について少し述べて見る。句集の最初に出て来るのは、平成24年作の48句でタイトルは「柳絮とぶ」である。具体的に最初の句を引用すると、「身にあまる暮らしありけり柳絮とぶ」である。
私は、俳句に関して言えば全く素人であり、「柳絮」 と言う単語が読めなかった。辞書で調べて初めて 「りゅうじょ」 と読むことを知った。ましてや意味も分からなかった。
「柳絮」とは、白い綿毛のついた柳の種子。また、それが春に飛び漂うこと」である。柳と言うと、枝垂れ柳が思い浮かびますが、絮(じょ)が飛び漂うのは、立柳、川柳、の種子のようです。
柳絮が飛び交う動画を見ると、まるで雪が降っているように見えることから、雪の形容にも用いられるようです。また、「柳絮の才」と言えば、非凡な才女のたとえで、女性のすぐれた文才を褒める時に言う言葉のようです。
この先輩は、私より六つ年上で既に八十路を越えておられますが、人生を粛々と元気に生きておられる。こんど奥出雲へ帰ったら是非立ち寄ってお礼を申し上げたいと思っている次第です。
もう一人の先輩は、奥出雲横田にある私の実家から100m位離れたところに実家があった先輩です。今は東京の八王子市に住んでおられる。この先輩は、私より10歳年上で八十路の半ばに差し掛かっておられます。
この先輩と知り合ったのは、平成25年(2013年)の関西稲陵会でした。先輩とは、実家が近かったこともあり、横田での家の繋がりとか、先輩の長兄が音楽の先生であり教わっていたこと、等々いろいろ話が弾みました。
稲陵会が終了した後、すぐさまこの先輩から一冊の本が送られて来ました。それは「高橋一郎と奥出雲の人・歴史・文化」と言う先輩の長兄である高橋一郎氏の生前の活躍をまとめられた私家本です。
高橋一郎氏が高橋家を継いでおられましたが、8年前(2011年)に亡くなられ今は後を継ぐ人がおられず、10代続いた奥出雲横田の名門の家系が途切れようとしています。
例え、高橋家が奥出雲横田から消えても高橋一郎がこの地で生きていたと言う証を残しておきたいと思い、この記録を作成することを思い立ちました。と言うことで編集されたA4サイズで375頁にわたる堂々とした書籍です。
その後、この先輩とお会いして話をすることはなかったのですが、毎年年賀状を取り交わしています。年賀状を見て驚かされるのは、前年に発刊された書籍と数首の短歌が記述してあることです。
発刊された書籍は、ある年はかなり長文の物、原稿100枚程度の年は数冊、平均すると毎年2冊程度発刊されています。そして詠まれた短歌は、平成30年(2018年)に万葉集を超えて5千首に到達したようです。
八十路を大きく通り越して、なおかつこの創作意欲・バイタリティーはどこから来るのだろうか?毎年年賀状をもらう度に敬服致しております。また、年賀状をもらうのが楽しみの一つとなっています。
以上述べた二人の先輩が活動(知的生産活動)されている分野は、私が活動をしている分野とは少し異なりますが、自分の活動を自慢するわけでもなく、粛々と活動を続けられている態度を見ると、見習いついて行きたいと思う次第です。
しかし、両先輩と比較すると10歳、6歳も若いのにもかかわらず、年を取るにしたがって体力的にきつく感じるようになり、思うように自分の活動が出来なくなり、自分自身にもどかしさを感じるこの頃です。これも自然の摂理であり仕方がないのかな!と思っています。