「歌は世につれ、世は歌につれ」 は今も生きているのだろうか?
昭和の演歌黄金時代(昭和30年~50年)には、「歌は世につれ、世は歌につれ」 という言葉がまさに地で行っていたという感を抱いていた。昭和の後半(昭和50年~終盤)からJ-Popsが台頭してきて、演歌の比率が下がって行くに従い、この言葉も影を薄めてきたように感じていました。
私は、カラオケが好きで洋友会のカラオケクラブに所属し、月に1回は例会に参加し、仲間と一緒に楽しんでいます。毎回8曲程度歌っていますが、毎月同じ歌を歌うのではなく、違う歌を歌うようにしています。これは私だけではなく、メンバーそれぞれがよく勉強をしてきて毎月違う歌を歌っています。
毎月違う歌を歌うためには、それなりに努力し、自分が知っている過去の古い曲を思い出す、さらに自分の好みの新しい曲を発掘する等々を行い、ICレコーダーに録音し、毎日のウオーキング時、繰り返し聞き、練習して臨んでいます。
新しい曲を見つけ出すには、テレビの音楽番組、ラジオの番組、等々を見聞きしながら発掘しています。昼間、パソコンを操作している時は、BGMとしてラジオを流しています。
ラジオ大阪の番組を聞きながら、発掘した演歌があります。歌の題名は 「兄妹峠」 という曲です。歌っているは、昨年64歳でデビューした
「本城みのる」 という歌手です。この曲は、まだテレビでは見聞きしたことはありません。
この曲のメロディーは典型的な演歌調です。私が、注目しているのは歌の歌詞です。最近の世相をよく映し出しているのではないかと感じたからです。作詞は 「仁井谷俊也」、作曲は
「聖川湧」 です。
最近の世相を映し出しているとして取り上げるキーワードは、「母子家庭」 と 「認知症」 です。こういう言葉は、昭和の時代にはほとんど聞かれなかった言葉だからです。 「兄妹峠」 の歌詞は次の通りです。
1. 母の手ひとつで 育てられ 数えた苦労は 山の数 人の無情の 兄妹峠 泣くな泣くなと その手を引いて 叱れば俺らも あああ 泣けたっけ
2. 農村(ふるさと)追われた あの頃は 知らない旅空 わら葺き屋 凌ぐ雨露 兄妹峠 朝は早よから 夕星小星 働きづくめで あああ 生きてきた
3. 吹雪に嵐に 耐え抜いて しあわせ人並み 腹八分 春の陽が射す 兄妹峠 どなたですかと 聞いてる母に 親孝行(こうこう)しような あああ ふたりして
最近、母子家庭、父子家庭、の比率が増えていると感じています。何%位かはわかりませんが、退職後非常勤講師として3年間門真市の小学校で5年生・6年生対象の理科支援員をしていました。その時、担任から聞いた話ですが、母子家庭・父子家庭を併せた子供の数は3割を越すとの話でした。(地域特有かどうかわかりませんが) 母子家庭の場合、貧困率も高く、生活も不規則になりがちで、学校での態度も荒れがちになるという特徴がありました。
一方、高齢化が進み、認知症患者も急増しているようです。65~69歳では1.5%ですが、年齢が5歳上がる毎に約2倍に増え、85歳以上では27.3%となり、4人に1人が認知症であるとされています。おそらく私と同世代の方々であれば回りを見渡し、あちらこちらにおられると気づかれているのではないかと思います。
本題に帰って、「兄妹峠」 の歌詞をかみしめて見ると、母子家庭で苦労して育てられ、世間へ出ても働きずくめの人生、やっと一人前になり、ほっと一息つき後ろを振り返り、母親に目を向け親孝行しようと思ったところ、母親は認知症になっていた、という平成の世の物語である。まさに 「歌は世につれ」 という言葉が蘇って来たのではないかと感じた次第である。