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カテゴリー「各種イベント」の記事

2020年6月21日 (日)

新型コロナウイルスでストップしていたイベントが再開・・・何よりも野球の再開がうれしい

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2月の中旬よりストップしていた各種イベント及び経済活動・国内移動が解除された。新型コロナウイルスの第一波が完全に収束した分けではないが、ある程度収まったところで経済活動を回復させないと日本の経済が持たなくなってしまうと言う観点からの解除である。

しかし、実際には全国で毎日50~60人程度の感染者が出ている。東京圏で40~50人程度、関西圏で4~5人程度、北海道・北九州を含むその他で5~6人程度である。

これらの感染者は、夜の接待をする歓楽街で主に発生している。従い、今すぐ第二波に繋がるとは思えないけど、いつ何時市中感染へと広がって行くのかわからないので要注意である。特に規制解除後の人出の多さを見ると危険を感じるのである。

規制解除により、楽しみにしていたプロ野球も6月19日よりペナントレースが再開した。今年は変則的な運営で、セ・パ共に120試合である。観客は入れずに、選手を含めた関係者は全員PCR検査を受け陰性でなければならない。

セリーグはCS(クライマックスシリーズ)なしでペナントレースの覇者が日本シリーズに出場する。パリーグは、ペナントレースの1位と2位のチームがCSを戦い勝った方が日本シリーズに出場する。

私のひいきチームである広島カープは、6月19日~21日にかけてDeNAと3試合を行う。今年、最も強敵であると思っている巨人は阪神と3試合を行う。

19日の第1戦は両チームのエース対決となり、カープのエース大瀬良がDeNAのエース今永に投げ勝った。20日の第2戦は打ち合いになり、カープの鈴木誠也が満塁を含む2本のホームランで活躍しカープの2連勝となった。

ライバル巨人も阪神に2連勝して、幸先の良いスタートを切った。長いペナントレースはスタートしたばかりであり、最初の2戦で連勝したからと言って、ぬか喜びする程ペナントレースは甘くない。

これから幾度かの修羅場が訪れる、これを勝ち抜いてこそ優勝への道が開ける。

カープで最も期待する選手は、不動の4番バッターとなった鈴木誠也である。鈴木誠也はオールジャパンの4番でもあり、今年こそ三冠王を期待してみたい。

野球以外の楽しみは、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」であった。しかし、これも新型コロナウイルスの影響でロケが続かず、6月7日の「桶狭間の戦い」を最後に中断してしまった。規制解除により、ロケが再開されたとのことであり、しばらくすると放送も再開されるだろう。待ち遠しいのである。

映画で言えば、「レ・ミゼラブル」が新型コロナウイルスの期間中、NHKで放送されていたのでビデオで録画して全部見ることが出来た。放送時間1時間で8回連続の番組であり見ごたえがあった。

2019年11月28日 (木)

2019年度・参加予定行事・全て終了・・・代表写真と共に振り返ってみる

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2019年11月24日に行われた、第11回関西奥出雲会総会・懇親会が無事終了致しました。これにより、2019年度中に参加予定していた全ての行事が終了しました。時系列で代表的な写真と共に振り返って見たい。


1.2019年2月2日(土) 第10回SJOB新年会 於:京橋 がんこ寿司 参加者:35名

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2019年2月2日 第10回SJOB新年会

 

2.2019年4月25日(水) 第30回大東洋友会定期総会・懇親会 於:太閤園ゴールデン・ホール 参加者:108名

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2019年4月25日 第30回大東洋友会定期総会・懇親会

 

3.2019年6月11日(火) 横田中学校 第12期卒業生 喜寿記念同窓会 於:玉造国際ホテル 参加者:25名

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                残念ながらこの会合には病み上がりで出席出来ず(キャンセルした) 

4.2019年9月8日(日) 関西稲陵会 集いの会 於:道頓堀ホテル 参加者:86名

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2019年9月8日 関西稲陵会 集いの会

 

5.2019年10月5日(土) 浅山家・合同法要 於:出雲横田 安楽寺 法要会席:亀嵩 玉峰温泉 参加者:18名

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2019年10月5日 合同法要 浅山家の前

 

6.2019年10月24日(木) 第1回三洋電機・携帯電話事業 OB懇親会 於:京橋 がんこ寿司 参加者:43名

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2019年10月24日 三洋電機・携帯電話事業 OB懇親会

 

7.2019年11月24日(日) 第11回関西奥出雲会総会・懇親会 於:アートホテル大阪ベイタワー 参加者:201名

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2019年11月24日 第11回関西奥出雲会総会・懇親会

 

以上で私が2019年度参加を予定していた行事が全て終了致しました。来年度もほゞ今年と同じ行事が行われ無事参加出来ることを願っています。少し早いですが、2020年度が皆様方にとって良き年となることをお祈り致します。

2019年10月 8日 (火)

浅山家合同法要に参加・・・新幹線・特急やくもを乗り継ぎ帰省

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2019年10月5日(土)、浅山家の合同法要が開催され、10月4日~10月6日にかけて奥出雲町横田へ帰省してきた。故郷横田へ帰るのは、昨年の6月末以来約1年3ヶ月振りである。

昨年までは車を運転して帰省していたが、今年の5月1日(令和の初日)脳梗塞に罹り、約3週間入院した。退院時、医師から運転を止めるように勧められたため、電車を乗り継いで帰った。

合同法要の内容は、以下の3つの法要が同時に行われた。

父:光雄の25回忌法要、 母:弥生の13回忌法要(1年先行)、リセ(光雄の実母):100回忌法要(2年事後)

場所は、横田の本町にある安楽寺の本堂で行い、終了後亀嵩玉峰温泉に移動して法要会席をいただいた。その晩は、玉峰温泉で宿泊、翌日午前中に解散した。参加者は、大人14名、子供4名の合計18名であった。

今回の合同法要を企画し、全てを取り仕切ってくれたのは、浅山家十代目を継いでくれている三男である。長男(私)、次男、が大阪に家を持っているため、何かと面倒をかけお世話になっている。

最近、何かと体調があまり芳しくなく法要に無事出席出来かどうか?心配していたが、幸い全ての事が順調に運び安堵している次第である。

次回の法要まで最低数年あるので、今回の法要が出席出来る "最後の法要" になったのではないだろうか?と思っている。従い、私に取って意義のある法要となり、十代目当主に感謝している次第である。

19_10_05_goudou_houyou_ienomae                        浅山家玄関前にて撮影

19_10_05_goudou_houyou_anrakuji                        安楽寺本堂にて撮影

19_10_05_goudou_houyou_tamamine                         玉峰温泉にて撮影

2016年9月30日 (金)

始皇帝と大兵馬俑展・見学・・・その詳細と感想

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928日、大阪の国立国際美術館で開催されている 「始皇帝と大兵馬俑」 展を見学した。この兵馬俑展は、75日~102日の期間開催されている。従い、928日は最後の方であり、小雨がパラツキ蒸し暑い天気であったが、非常に多くの見学者が参加していた。それも80%以上はシニアの見学者であった。

入り口でICレコーダーに録音された音声ガイドとヘッドホンを借用し、展示物の前に番号が付してある所に来ると、レコーダーのテンキーで番号を入力するとその展示物の説明が聞けるようになっていた。

兵馬俑が作られたのは、ご存じのごとく紀元前約220年前 (今から約2200年前)であると記されているが、発見されたのは1974年であり、経っている年月からするとごく最近のことであると言っても過言ではないように感じた。

中国大陸に最初の統一王朝を打ち立てた秦の始皇帝、「最初の皇帝」を名乗り、その巨大な陵墓のほど近くに大量に埋められた地下軍団 「兵馬俑」 は、20世紀の最大の考古学的発見の一つであり、1974年の出土以来、続々と新しい知見と驚きをもたらし続けているようである。

今回大阪の展示場に展示されていた、いろいろな姿・形をした俑は全部合わせても6070体であったが、実際の規模は約8千体とのことであり、想像を絶するものであると推測される。

俑は、全て等身大の大きさで作られているとのことであるが、その背の高さに驚かされた。平均すると180cm~190cm位ある。秦の時代、実際に兵士となる人間は背の高い人々が選抜されて兵士になったのだろうか?この疑問は、以下の記述から答えが推測されるかもしれない。

辺境の一小国であった秦が巨大帝国にのし上がるまでには、ライバル国との熾烈な戦いに勝つ必要があった。その為には、国外の有能な人材を積極的に登用し 「富国強兵」 を推し進め、やがて魏や楚といった強国と競合するほどの勢力に成長して行った。

俑と共に埋葬されていた、始皇帝の愛車がモデル!? であるとされる1号銅馬車、2号銅馬車、が復元展示されていた。四頭立ての馬に引かれる2輪馬車で、サイズは実物の1/2。青銅製・彩色の精巧な馬車の模型であり、始皇帝の馬車をかたどったものと考えられている。既に、色はあせていたが、作られた当時は綺麗であったことが想像される。

1号銅馬車は、映画 「ベンハー」 に出て来る、ローマの競技場でベンハーが乗って競争を行う、四頭立て白馬の2輪競走馬車を思い浮かべさせるものであった。ローマ時代を遡ること220年前に既に考案されていたのには驚かされた。

その他、小物として多くの物品が展示されていた。秦公鐘・・・表面に秦初期の歴史を伝える銘文がある鐘、 玉剣・金剣鞘・・・北方草原とつながる豪華な短剣と金の鞘、 両詔権・・・始皇帝が作らせた重量の基準となる重り(権)の一つ、 取水口・L字形水道管・水道管・・・3点とも陶製で組み合わせ式の水道管、秦の発展を支えた高度なインフラ技術が窺えるものである。

展示物は原則撮影禁止となっていたが、最後の出口の所で真ん中の通路を挟んで俑が左右両方に2列に隊列している所のみ撮影が許可されていた。ここで写した写真を以下に載せます。文字をクリックすると繋がります。

国立国際美術館 「始皇帝と大兵馬俑」 展・・・写真集

尚、「始皇帝と大兵馬俑」 に関する Web 頁がありますので参考にしてもらえれば、始皇帝が夢見た 「永遠の世界」 がより良く理解出来ると思います。次の文字をクリックすると繋がります。

始皇帝と大兵馬俑・・・作品紹介とみどころ

始皇帝と大兵馬俑・・・コラム

2016年5月30日 (月)

第26回 シルバー会 に出席した 感想

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528日、実に47年振りに名古屋市を訪れた。かつて私は、19664月~19699月迄の3年半この街に住んでいた。千種区大久手にあった新白砂電機 (以下 シルバー と呼ぶ) に勤めていたからである。

シルバーを退職して、三洋電機に転職し大東市に移ってから、名古屋市へ行く用事がなくなり、それ以来ずっとご無沙汰をしていた。シルバーを辞めてから、数年間いや数十年間は、何かしら自分の心の中に 「後ろめたさ」 のような感情が残っていたのでよけいに避けていたのかもしれない。

所が、昨年11月ニューヨーク在住のM氏から突然のメールを頂き、シルバーのその後の状況についていろいろ教えて頂いた上に、シルバーOB会 (こう云う会が存在することすら全く知らなかった) への出席のお誘いを頂いたのである。この経緯については、以下のブログに詳しく記述しています。下記文字をクリックすると繋がります。

“瓢箪から駒が出る”に遭遇・・人生終盤の喜びに繋がることを望む

M氏からのお誘いにより、かたくなに閉じていた私の心の中のモヤモヤした感情が解きほぐされ、47年も経って今更 「何を気にしているのだ」 という気持ちが強くなり、積極的に参加しようという気持ちに変わって行ったのである。

逆に、積極的に参加することにより、昔の仲間と旧交を温めたいという気持ちが強くなり、待ち遠しく感じるようになった。昔の仲間と言っても20歳代前半 “人生前途洋々の時代” にお会いし、その後全く会っていない人々である。今度お会いする時は、47年経過した70歳代前半に年取った老人である。

さぞかし皆、変わっているだろうな!と推測し、果たしてすんなり誰それである ということが分かるのかな!と一抹の不安を持ちながらシルバー会に臨んだのである。

確かに、同期入社の方々であるにも関わらず、一瞬誰かなと思ったのである。髪が黒々として、顔にしわなどがない青年時代の印象から、頭が薄くなり白髪交じりで、顔のしわが増えるという、物理的変化があり、47年の歳月をもろに感じた。まさに、現代の浦島太郎 物語を地で行っていると思ったのである。

しかし、同期入社の方々数名 (全員) については、何かしら昔の面影が残っていて、すぐに 「お互いにお互いを」 認識することが出来、再会を喜び合うことが出来た。そして、会話を交わす中で、皆それぞれいろいろな道に進み活躍されていたことを知り、今回参加したことの意義を感じたのである。

今回のシルバー会への参加の切っ掛けを作って頂いた、ニューヨーク在住のM氏にもお会いすることが出来、嬉しく思うと共に感謝した次第である。M氏は、既に傘寿を通り過ぎ、しかも2度の心筋梗塞に罹り、心臓に3個のステントが入っているとのことであるが、非常に元気そうであり、今後とも長生きをされ、余生を楽しまれることを望むのである。

その他、先輩方々にもお会いしたが、こちらは良く知っていたつもりであったにも関わらず、先方は全く覚えていないという方々、一方良く知っているよ!と覚えていて頂いた方々、悲喜こもごも な一面もあった。

いずれにしても、今回のシルバー会への参加は、私に取って 人生終盤期の喜び に繋がる 無形の宝物 になったと感じた次第である。以下の文字をクリックすると、第26回シルバー会の写真集に繋がります。

第26回 シルバー会 写真集 於:ホテル・ルブラ王山 

2016年5月16日 (月)

梅田ロフト5F・大ラジカセ展・・・見学結果と感想

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513日、しばらく出かけていなかった梅田へ久しぶりに出かけた。目的は、ロフトの5Fで開催されている 「大ラジカセ展」を見学することであった。大東洋友会のメール連絡で、ラジカセ展が開催されているとの案内を頂いていたので、チャンスを見計らって出かけたのである。

事前にSANYOのラジカセが10点ほど展示されているとの情報を頂いていたので、多分私が回路設計を担当した機種も展示されているのではないだろうか?と思い期待して出かけたのである。

回路設計を担当したと言っても、今から約35年~37年位 前の話である。しかし、自分が担当した機種は、設計スタートから設計終了し、量産が始まる迄 約10ヶ月間位 その機種のみに専念している為、今でも良く覚えているのである。どんな問題が有り、解決するのに如何に苦労したのか、等々忘れずに記憶に残っているのである。

従い、当時の担当モデル実物を見ることが出来るのは、自分が育てた子供に会いに行くのに似た感覚を覚えるのである。案の定、担当したモデルは3機種 展示されていた。それは、1979年設計の 「MR-V8」、1980年設計の「MRU4SL」、1981年設計の 「MR-88」 である。

それぞれのモデルを見ると当時の記憶が蘇って来たのである。「MR-V8」 に関しては、量産に入っても細々としたトラブルが絶えず、量産工場であった奈良の杉谷電機へ行き、付きっ切りで対策したのである。

丁度、お盆を挟む時季であったが、休みを取るどころか、自宅から会社へ通勤するのではなく、生駒山の裏道 国道168号線を走って、毎日約10日間位 通って量産対応したのである。新製品の売れ行きが良く、商品の出荷催促に対応するため1tロットが終わるまで息が抜けなかったのである。

MRU4SL」 については、プリント基板を初めてCAD対応設計するため、プリント基板会社であるCMK埼玉工場へ出張してCAD入力した。ついでに秩父の山奥にある生産ラインを見学して帰って来た記憶が鮮明に残っている。

このモデルは、名前の通りスリムである為、スピーカの音決めが難しく、部品事業部のスピーカ担当の方に、繰り返し何度も試作をして頂き、薄型モデルにも関わらず良い音に仕上げることが出来た。そして、発売まもなく当時の週刊誌 「平凡パンチ」 に、「薄型ラジカセであるにも関わらず音が良い」 という評判で取り上げられたのである。

MR-88」 は、商品企画段階から話題を呼ぶ仕様のモデルであった。当時ヘッドホンステレオが流行していたが、このモデルはヘッドホンステレオ部分を子機として持ち、親機にはカンガルーポケットがあり、子機をこのポケットに収納できる仕様になっていた。

子機を親機に収納した状態では、普通のラジカセとして使用出来、子機を親機から取り出すと、子機自体ヘッドホンステレオとして使用出来る。即ち、合体した状態で、ラジオからテープへ録音すると、録音された音楽を子機を取り出すことにより、子機でヘッドホンステレオとして聞くことが出来るのである。子機を取り出した親機はスレレオのラジオ受信機として使用可能という商品である。

仕様が複雑であったため、開発段階から種々のトラブルに悩まされ、非常に苦労して開発した記憶が残っている。その詳細は、「三洋技報 1982年 夏号 “MR-88論文” 」 として掲載されているのでここでは省く。文字をクリックすると繋がります。

大ラジカセ展全体の印象としては、入り口の右側の壁に、大ラジカセ展の案内文字の横に三洋を代表する Boombox と呼ばれる大型ラジカセMR-X920の拡大写真が貼られていて、びっくりさせられた。

そのほか三洋モデルとしては、1970年代初期商品、1979年~1985年頃のヒット商品 「おしゃれなテレコ」 U4スリーズ、1985年以降の WCD付きの商品、テレビ付きの商品、等々を含め13機種が出展されていた。どのモデルを見ても、古きよき時代の郷愁をさそうものであった。以下の文字をクリックすると、今回の大ラジカセ展の写真集に繋がります。

大ラジカセ展、三洋ブランド・ラジカセをピックアップした写真集 

丁度この頃、即ち1975年後半~1982年前半の7年間は、ラジカセの他、LED時計付ラジオ (RM-550030周年記念商品の1つに認定された)、薄型ラジオ (iPhone 6とほぼ同サイズ)、LCD時計付薄型ラジオ、等々の回路設計を担当していた時期であり、今から思うと 「私の人生で 3番目に生き生きし、輝いていた時期」 であったと思うのである。1982年後半から電話機の設計に移ったのである。電話機設計時代については、別の機会に述べて見たい。

2015年12月 1日 (火)

“瓢箪から駒が出る”に遭遇・・人生終盤の喜びに繋がることを望む

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1128日、ニューヨーク在住のM氏という方からメールが舞い込んできた。最初は、迷惑メールか、フィシング詐欺か、と疑っていたのであるが、内容を読んでみると まともで貴重なメール であることが判明した。

私のメールアドレスには、1100件位のメールが入って来る。そのほとんどが迷惑メールである。そろそろメールアドレスを変えたいと思っているのであるが、アドレスがあまりにも広範囲に行き渡ってしまい変えられないでいる。

そこで、対策として迷惑メールについては受信拒否設定をし、メールが入って来ると自動的に迷惑メールに振り分けるようにしている。そうすると、受信トレイに入って来るまともなメールは10/日程度である。迷惑メールに入ったメールは 見向きもせず消去 するようにしている。迷惑メールに関し何か良い対処方法をご存じの方、教えて頂きたいと願っています。

話が横にそれましたが、本題に帰ってニューヨークからきた貴重なメールに戻ります。メールの発信人M氏は、1960年新白砂電機 (以下シルバーと記す) 最初の海外駐在員としてニューヨークに派遣され、現在もニューヨークに在住されている方であった。

M氏は、ネットでシルバーの歴史を調べていたら、偶然私のホームページ (以下HPと記す) にヒットするというハップニングに遭遇されたのである。

私の簡単な経歴は、三洋電機で約38年間勤務 2006年末10年間駐在していたシンガポールで退職、2007年初に日本へ帰国した。三洋電機に勤務する前3年半は名古屋にあるシルバーに勤務していた。その後、三洋電機へ転職したのである。

私のHPのメインテーマは、“人生の活動記録をいろいろな角度から表現する” である。HPの中の一つのテーマとして “活動記録 がある。ここでは、年代を区切りそれぞれの年代に合わせて、その時々の出来事を詳細に記述している。

1966年~1969年は “新白砂電機勤務 時代としてその内容を記述しているのである。M氏がインターネットで検索をかけられた時、この 新白砂電機 という単語が検索にひっかかり私のHPに遭遇されたと推測している。

M氏の言を借りると、シルバーは10年位前にオンキョーに吸収合併され消滅したそうであるが、元の社員の結束と繋がりは強く、今でも年に一回 「シルバーOB会」 が開催され90100名位の方々が参加され盛大に行われているそうである。

M氏は今年のOB会にニューヨークから帰国し参加されたのである。今回のM氏からのメールには、「第25回シルバー会」 という名の付いた集合写真も一緒に送られて来た。写真を拡大して、ひとり一人顔を確認したところ、昔と面影が変わっていない2名の方は分かったが、あとの方は分からなかった。

M氏へメールの返信として、1.連絡頂き有り難かったこと、2.シルバーに勤務していたのは青春時代の後半、今でも当時の記憶は鮮明に残っていること、3.シルバーに興味があればOB会に参加する意思はあるかと問われていたので、体調と日程が許せば是非参加したいこと、4.送付された写真を確認したところ2名の方が分かったこと、等々を連絡したのである。

するとM氏から更に返信があり、写真について私が知っている方の隣から始まり、順に誰々であると名前の連絡頂いたのである。すると同期入社の方が数名おられたのであるが、これすら当時とはあまりにもイメージが変わっていたので分からなかった。当時、先輩として知っていた方々の名前も記述されていたのであるが、これも全く分からなかったのである。

それもそのはず、私が20歳代前半に出会った人々であり、その時から既に 46年という歳月が流れている のである。青年が老人 に変わっているのであり、分からなくてもやむを得ないと感じた。学生時代の同窓会であれば、少なくとも数年に一度は会ったりするので老けるといっても共に老けて行くので一気の変化は感じないのである。 “歳月は人のイメージを変える” ということを実感したのである。

M氏からのメールの後、追っかけて 「シルバーOB会」 の責任者をしているK氏からメールを頂いた。なんとK氏は大卒で私と同期入社の方であり、更にびっくりさせられた。K氏から来年も5月にOB会を開催することになっているので出席を予定しておいて欲しいという呼びかけであった。

何と言って表現したら良いのか?困るのであるが、一通のメールから始まって、まさに急転直下の物事の進行、全く夢にさえ見ない、そして200%予測すらしていなかったことが、現実になろうとしているのである。まさに “瓢箪から駒が出る” に遭遇 したのである。

年が明けると、数え年74歳になるのであるが、現在の私の健康状態から判断すると、そんなに長生きは出来ないだろうと思っている。何とか頑張って喜寿迄はたどり着きたいと願ってはいるが!そうした観点から判断すると、仮に来年 「シルバーOB会」 に出席できるのであれば、人生終盤、最後の喜び、楽しみ になるのではないだろうか?と今からワクワクする気持ちなっている。何とか 47年振りの再会 を実現させたいと願っているのである。

こうした意外な所から意外な事柄を発生させてくれるのは、インターネットの普及と検索エンジンの進歩によるものである。そして、それを上手く利用する技術とノウハウも必要である。我々が若かった頃には想像も出来なかったことである。しかし、今後はこうした意外と思うことが、日常茶飯事になるのではないだろうか?インターネット・検索エンジンに感謝すると同時に恐るべき、と感じるのである。