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カテゴリー「健康」の記事

2022年3月21日 (月)

親知らず(智歯)と齲蝕歯(虫歯)を抜くため4日間の入院治療を受けた

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2022年3月1日~4日迄の4日間、枚方公債病院・歯科口腔外科へ入院して抜歯を行ってもらった。通常の歯科治療は近所のおがわ歯科クリニックで行っていたが、親知らずと虫歯の2本を抜くことになった。

親知らずを抜くに至った経緯は、親知らずがその手前にある第二大臼歯に接していて、歯周病が進み第二大臼歯が虫歯になり、治療するのに親知らずが邪魔になるからである。虫歯になった第二大臼歯を治療し、上にかぶせものをしようとした時うまく出来ないからである。

おがわ歯科で抜歯をお願いしたところ、血液をさらさらにする薬を服用していることから、おがわ歯科では抜けないと言うことになり、おがわ歯科から口腔外科のある病院へ依頼してもらい公済病院へ入院することになった。

口腔外科へ入院するに当たって、入院2週間前より健康状態のチェック(朝夕の体温測定・呼吸器症状・その他の症状)を行い異常がなければ、2週間後の3月1日入院することになった。入院3日前より血液をさらさらにする薬は服用を中止し、抜歯が終わってから再び服用を始めた。

3月1日午前10時に入院し、すぐに500ccと100ccの点滴注射が同時に行われ、午後4時頃まで続いた。午後4時頃局所麻酔を行い、下顎水平埋伏智歯と齲蝕歯2本の抜歯が行われた。

下顎水平埋伏智歯を抜くために、歯茎を縦に切開し抜歯、その後糸で縫い合わせが行われた。抜糸は退院1週間後に口腔外科で行ってもらった。

抜歯後、厚い綿を噛み続け約30分後に、厚い綿を入れ替え再びかみ続けた。出血が止まった後、入院している部屋に戻り、午後9時頃から1時間100ccの点滴が始まった。この点滴は、毎朝と寝る前の2回退院するまで続いた。これは、抜歯後の感染を防ぐための抗生物質とのことであった。

今回抜歯した親知らずは左側の下顎の奥に生えている智歯であったが、実は右側の下顎の奥にも知歯が存在していた。右側の智歯は、海外赴任が決まった1997年3月(53歳の時)に抜いていた。この時に、一緒に抜いておけば良かったのであるが1週間に2本抜くことになるため足踏みし結局抜かなかった。

78歳と言う高齢になるまでほって於いてトラブルに見舞われるとは、今更ながら自分の決断力のなさに嫌気がさしている。今後は、このようなことが起きないように気をつけたいと思っている。

2020年10月15日 (木)

交野市「倉治老人クラブ・さんゆう会」より「喜寿祝」を戴く・・・1ヶ月程早いが

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10月10日、交野市「倉治老人クラブ・さんゆう会」より、お祝いの言葉と共に「喜寿祝」を戴いた。実際の喜寿は1ヶ月程遅い11月14日であるが感謝している。

今回、戴いた「お祝いのことば」と「長寿のお祝い」の文章をここで紹介致します。そして、倉治老人クラブ・さんゆう会についてその概要を紹介します。

お祝いのことば

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長寿のお祝い

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交野市 倉治老人クラブ・さんゆう会 概要説明

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2019年12月26日 (木)

洋友会・完歩チャレンジキャンペーン・熊野古道ース・・・少し早めに終了

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2019年9月1日、洋友会大東地区に於いて、昨年に引き続き歩数計を使って健康づくりをしようと言うチャレンジキャンペーンがスタートした。

今年の5月に脳梗塞を再発し約3週間入院したので、今年はランクを落とし、熊野古道コース(一日の基準歩数3,000歩)を選択してスタートした。

最初の9月は月累計133,855歩(月平均歩数4,462歩)、10月は月累計119,351歩(月平均歩数3,850歩)、11月は月累計130,747歩(月平均歩数4,358歩)、12月は25日時点で月累計120,691歩(月平均歩数4,828歩)となり、この時点で達成目標値500,000歩を越す、504,644歩で達成となった。

一日の基準歩数3,000歩であり、無理しないで達成できると思ってスタートしたが、予想より歩数が伸びて早めの到達となった。本来の終了予定は、2020年1月末であったが約1か月強早く終了した。

10月は、台風19号が来たり、帰省したり、いろいろ行事が重なり少し歩数が落ちたが、それでも月平均歩数3,850歩と基準歩数3,000歩を上回ることが出来た。

私の基本的な運動スタイルは、午前中約1時間脚を中心としたストレッチ体操を行い、その後約2,000歩の歩行、そして午後約2,500歩の歩行を行っている。一日平均4,500歩を目標として歩いている。

歩く場所としては、ゆっくりとした坂が300m位続く道、急な坂が20m位続く道、要はアップダウンが繰り返す道を選択して歩いている。一日に必要な有酸素運動を兼ねて歩行を行っている。

今回のチャレンジキャンペーンを達成したことにより、脳梗塞から来る歩くことに対する不安心理が少し解消されたと思っている。今後ともこのペースを継続して行き、次のチャレンジキャンペーンに備えたい。

2019年9月 3日 (火)

四国八十八ヶ所前半と熊野古道 完歩チャレンジキャンペーン・・・参加しスタートした

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2019年9月1日、洋友会大東地区に於いて、昨年に引き続き歩数計を使って健康づくりをしようと言うチャレンジキャンペーンがスタートした。

今年のキャンペーン名称は、四国八十八ヶ所前半と熊野古道完歩チャレンジキャンペーンである。キャンペーン期間は、令和01年9月1日~令和02年2月28日である。

コース区分としては、四国八十八ヶ所前半は、「上級」、「中級」、「初級」、の3コース、と「熊野古道」コースの合計4コースである。上級コースは一日の基準歩数10,000歩、中級コースは一日の基準歩数7,500歩、初級コースは一日の基準歩数5,000歩、熊野古道コースは一日の基準歩数3,000歩である。

昨年は、東海道五十三次コースの「初級」(一日の基準歩数5,000歩)を選択して参加したが、後半きつく達成するにはかなり無理をしなければならない状態に追い込まれると言う苦い経験をしたので、今年はランクを落とし「熊野古道」(一日の基準歩数3,000歩)コースを選択してスタートした。

昨年の経験からすると、一日3,000歩であれば何とか無理をしなくても達成できるだろうと思っています。今年は、目標とする達成月日を少しでも早めに達成して完了したいと思っています。

2019年6月13日 (木)

元号が変わった初日体調に異変が起こる・・・脳梗塞で右脚に異常発生

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2019年5月1日(水)、元号が平成から令和に変わった初日、即ち10連休が始まって3日目、体調に異変が発生し急遽救急車を呼び、星ケ丘医療センターへ入院することになった。

予め救急車を通して状況を病院へ説明していたので、すぐにMRIでの検査、頸動脈の超音波による検査等々が行われた。そして集中治療室で24時間連続での点滴治療が始まった。

集中治療室での治療は3日ほど続いたが、そのあとは一般治療室へ移り同様の治療が10日間行われた。即ち5月10日まで24時間の点滴治療が続いた。

治療のための点滴には、同時に2~3種類の薬液が使用されたため、2時間おきくらいにトイレに行かねばならず、当初5日間くらいはベッドの柵に尿瓶をぶら下げてもらいそれを使用した。

5日間が過ぎると尿瓶を止めて、点滴用の注射針をつけたまま車で動けるので、自分でそれを引っ張ってトイレ迄行きおこなった。夜中は1種類の薬液であったので夜中に目が覚めるのは多少軽減された。それでも2~3回は目が覚め睡眠不足を感じた。

点滴治療が終了するとリハビリが始まった。リハビリ専門の治療員が来て、入院しているフロア5Fでのリハビリ、30分程度の歩行訓練からスタートした。その他の時間は主にベッドでテレビを見るか横になっていた。ベッドでスマホは使えず退屈であった。幸い、後半は大相撲夏場所が始まっており唯一の楽しみであった。

リハビリも2~3日するとフロアを離れリハビリ専用の体育館へ行き、ウオーキングポールを使った歩行訓練、自転車こぎ、外へ出ての歩行訓練、等々日によって違う訓練が続いた

訓練も1週間程経った後、担当の医師から私と家内に検査結果(MRIでの脳の状況、頸動脈の血管の状況)等々を含めた説明があり、退院の日が5月21日と決まった。入院から3週間での退院となった。

右脚の異常であるが、治療の開始が早かったため幸い後遺症が残ることはなかった。しかし、医師からは今後再発することも考えられるので、自動車の運転を止めるように忠告された。自転車であれば、電動でもOKの許可であった。

本来、退院することはうれしくルンルン気分になるはずであるが、今回は自動車の運転が出来なくなることが頭の中に引っかかっており、少し憂鬱な気分を伴う退院となった。

退院後、3週間すると喜寿の同窓会の予定でが来る。喜寿の同窓会については、脳梗塞が発生する前は参加するつもりでいたが、さすがに退院直後であり、歩行が充分満足に行えない状態でなので、断らざるを得なかった。

このブログを発行する頃には、喜寿の同窓会も無事終わっているだろうと推測しています。

2019年3月10日 (日)

東海道五十三次完歩チャレンジキャンペーン終了・・・最終日にやっと達成

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2018年10月1日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり」 をしようという催しがスタートしました。

私は、<東海道五十三次コース> 「初級」 コースを選択してスタートしました。「初級」 は一日5,000歩を基準歩数としてカウントし目標達成にチャレンジするものです。

所が、2018年10月~2019年2月までの5か月間で達成するためには、一日5,000歩では完歩に至らず、一日5,469歩が必要な歩数です。

従い、当初から一日5,500歩を目標にしてチャレンジを始めました。私の歩行実力は、従来のカウンター(一歩動けば一歩カウントするもの)で一日7,000~7,500歩であり、洋友会から配布されたカウンターに換算すると一日5,000歩程度であると計算していました。

やはり、洋友会配布のカウンターで5,500歩を達成するためには、従来のカウンターで計測すると一日8,000~8,500歩位、歩かねばならないのです。

チャレンジを進めて行くうちに、私にとってはこれはかなりきつい数字であることが分かって来ました。前半の3か月間結構頑張って歩いて来たつもりでしたが、結果は10,527歩不足する数字で終わりました。

後半の2か月で挽回が必要ですが、後半の2か月は1~2月と言う寒い時期でもあり、挽回が難しいのかなと言う思いでチャレンジを続けました。あまり無理して風邪でもひいてはと言う思いもあり、出たとこ勝負で行こうと開き直って進めてきました。

所が、徐々に歩行実力がついて来たのか、1~2月の寒い時期にもかかわらず一日5,700~6,000歩位、何とか歩ける日々が続きました。

そして、2月の最終の8日間で一日6,000歩、歩けば達成というところまで来ましたが、ここからがきつく達成の見込みは最後までどうなることやらと思いながらの続行でした。

結局、2月28日最終日6,058歩となり、江戸日本橋から京都三条大橋までの目標値825,834歩に対して、達成値826,169歩でわずか335歩を超える数値で終わることが出来ました。

達成した暁のご褒美があるわけではなく、自分の足の脚力の向上につながったと言う実感を得たことです。一昨年軽い脊柱管狭窄症と診断され、右足の太もも横の筋がいまだに痛いにもかかわらず、何とか努力して歩けば歩けるものであると言う確証を得たことです。

今回のキャンペーンに参加した成果であると感謝している次第です。キャンペーン終了後も引き続き、同じ要領で続けて歩いています。もう少し暖かくなれば、少しづつ距離を伸ばしてチャレンジして行こうと思っています。

2018年10月 3日 (水)

東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーン・・・参加しスタートした

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2018101日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり をしようという催しがスタートした。

洋友会は今春設立30周年を迎え、記念品として全員に歩数計が配られた。大東地区では、その具体的な活用策として「東海道五十三次・伊勢参りを完歩しよう」というチャレンジキャンペーン が企画され、101日よりスタートした。

コースとしては、<東海道五十三次コース> 「上級」 「中級」 「初級」 の3コースより選択、<伊勢参りコース> 伊勢街道 (玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮まで) の合計4つのコースが設定され、自分に合ったコースをどれか選んでチャレンジするものである。

<東海道五十三次コース> 「上級」 は一日10,000歩、「中級」 は一日7,500歩、「初級」 は一日5,000歩、<伊勢参りコース> は一日2,500歩、をそれぞれ基準歩数としてカウントして目標達成にチャレンジするものである。

一日10,000歩の歩行距離は6.0km、7,500歩の歩行距離は4.5km、5,000歩の歩行距離は3.0km、2,500歩の歩行距離は1.5kmとして計算して必要最低日数を割り出し、チャレンジ目標を設定するものである。

「上級」コースで<東海道五十三次>を完歩する必要最低日数は83日、「中級」コースで完歩する必要最低日数は111日、「初級」コースで完歩する必要最低日数は166日、<伊勢参り>コースで完歩する必要最低日数は113日、である。

それぞれのチャレンジ期間は、「上級」コース90日(3ヶ月)、「中級」コース120日(4ヶ月)、「初級」コース150日(5ヶ月)、<伊勢参り>コース120日(4ヶ月)、とする。

いずれのコースも101日に一斉スタートし、終了目標月を 「上級」 は201812月末、「中級」 は20191月末、「初級」 は20192月末、<伊勢参り>は20191月末、とする。

具体的な取り組みとしては、9月中旬 会員にハガキを送付し、自分に合ったコースを選択してもらい、投函する形で事務局へ申告する。

そして、パソコン・エクセルで作成された、月別日別歩数記入用紙が準備されていて、日々の歩数記録を記入すると自動的に計算される仕組みとなっている。

終了報告は目標終了し次第に必要事項を記入し、FAXEメール、郵送、のいずれかで報告する。目標を達成していなくても、終了目標月が来たら結果をまとめ、終了報告日 (日程厳守) までに報告する。

私は昨年4月に脚に異変が起こり、一時歩行がひどく困難な状態になりました。すぐに整形外科へ行き診断してもらった所、軽い脊柱管狭窄症と診断され、その後は医者の指示に従い、ストレッチ、筋トレ、歩行訓練、を行って来ました。

3ヶ月後の7月には何とか歩けるようになり、カラオケの例会等に参加し始めました。現在も、これを続けていて、少しずつ歩行距離を伸ばして来ています。

通常の歩数計 (洋友会配布の物ではなく) で家の中で生活するために歩く距離をも含めた一日の歩数は、約6,500歩~7,500歩です。

洋友会配布の歩数計は、きちっと歩いた分のみをカウントするので、通常の歩数計でカウントした値と比較すると約2,000歩位差がでます。従い、私の現在の歩行実力は一日5,000歩位ではないだろうかと推測し、<東海道五十三次コース>「初級」で申請 (一日5,000歩コース) しました。

事務局が手間暇かけて準備してくれた、健康づくりのチャレンジキャンペーンであり、目標達成に応えて行こうと思っています。自分の体調とも相談しながらあまり無理せずにこつこつと努力して行く良い機会であると感謝しています。さあ頑張ってやって行こう!

2017年8月 8日 (火)

脊柱管狭窄症と診断されてから3ヶ月が経過・・・その後の状況は?

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4月に体調に異変を感じ、整形外科で診察を受け、脊柱管狭窄症の疑いが有ると言う事でMRI検査を受けた。幸いひどい状況ではなく、軽いものであり、手術の必要はなく、筋力アップトレーニングと歩行訓練でリハビリを続ければ良いとの事であった。

そして、筋力アップ・ストレッチ (ふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中・・・午前・午後2回約30分かけて行う) と歩行訓練を続けてから、かれこれ3ヶ月が経過しようとしている。その後の状況について述べてみる。

当初の頃は、筋力が十分ついて来ていないのに無理をして歩くので、腰痛を起こし、再び歩けなくなる、と言う繰り返しであった。

そこで、整形外科の医師と相談し、歩行訓練を行う30分間に限り、コルセットをしても良いとの了解を取り、コルセットをして歩行訓練を行いながら腰の筋力アップを図って行った。

もう一つのやり方は、ウォーキングポールを使って歩く、いわゆるノルディック・ウォーキングを取り入れた歩行訓練を始めた。この方法で歩くと、ウォーキングポールで足腰を支えながら歩くので、足腰の負担が軽くなり、無理なく歩けるのである。

しかし、ウォーキングポールに頼る歩き方を1週間位続けていたら、ポールに頼るあまり、今度は右肩、右肩甲骨、あたりに疲れを感じ痛くなって来た。従い、この方法は長く続けるのが難しくなって来たのである。

しばらくウォーキングポールを使用するのを止めて、コルセットのみで歩行訓練を続けた。そして、右肩の痛みが少し和らいで来たのを見計らって、再びウォーキングポールを使い始めた。

今度は、全面的にウォーキングポールに頼るのではなく、坂道が長く続く道、急な坂道、歩行の最後で疲れた時、等々に限って使うようにした。下り坂、平坦な道、等々ではポールを持って歩くだけで使わないようにし、ポールにかかる負荷を軽減する事により、続ける事が出来るようになった。

今回の症状が発生した4月以降は、ほとんど電車に乗って出かけるのを控えていた。いやそう言う気にならなかった。従い、洋友会のカラオケクラブも4月~6月にかけて3ヶ月間休んでいた。所が、症状が改善した事により、7月の例会には参加したのである。

3ヶ月経った今の状況は、症状が出る前の状態と比較して、7割程度元に戻って来ていると感じている。体重は変わっていないので、体重が増えて筋肉がついたのではなく、トレーニングにより筋力がアップしたと思っている。

今まで筋トレの必要性については、それほど重要視していなかったが、年取って筋力が弱くなり、今回の症状が発生した事を鑑みるに当たり、筋トレの重要性を改めて認識させられたのである。

今後とも現在行っている、リハビリを続けて行くことが必要であると感じている。即ち、「継続は力なり」 であると言う言葉を実感したのである。しかし、歳と共に体力は徐々に衰えて行くのが自然の成り行きであり、続けたからと言って元の状態まで100%回復するのかどうか?は自分でも分からないと言うのが本音である。

2017年5月26日 (金)

体調に異変・・・脊柱管狭窄症か・・・結果は?

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4月に入ってから急激に体調に異変が起こり、足に脱力感を感じ出し、歩くのがスムーズに出来なくなって来た。それでも無理して歩いたところ、今度は腰が痛くなりますます歩けなくなった。詳しく述べると、右足太もも、ふくらはぎ、が重くだるく多少痛みも感じ出し、短い距離しか歩けなくなった。そして、腰痛をも併発しどうにもならなくなって来たのである。

腰痛が伴うと家の中での歩行にも支障を来すので、腰痛の痛みを取り除かねと、取りあえず鍼灸院へ行き鍼治療をしてもらい23日動かぬようにしていたら腰の痛みは取れて来た。

腰の痛みがとれ少し歩けるようになった所で、いつも行っている整形外科へ行き、診察してもらった。腰から下のレントゲンを取ってもらったが、レントゲンでは異常は発見出来なかった。医師いわく、脊柱管狭窄症の疑いが有るので大きな病院を紹介するので、そこでMRI検査を受けるようにアドバイスされた。

紹介された病院は、私が以前に心筋梗塞で入院した公済病院だった。MRI検査を受ける日は59日と決まった。早速、背骨の上部から腰にかけてMRI検査を受けた。検査データはその日中に整形外科へ送られた。

翌日、整形外科へ行き結果を聞いた。結果は、喜ぶべきか 年齢相応の狭窄 は見られるが今すぐ手術をしなければならないような重症ではなかった。歩けなくなるような心配はしなくて良いので、積極的に歩きなさい との診断だった。

しかし、現実に長い距離歩くのに支障を来しているので、どう対応して良いやら一瞬途惑った。結局、脊柱管狭窄症の症状を改善するための筋力アップを目的としたストレッチを行うことにした。

ふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中、等々を順に筋力アップ・ストレッチを一日3回(朝、昼、晩)行うことにした。1週間位続けた後、日々の歩行距離を少しずつ伸ばし、4日目には7,000歩を越すところまで上げて来たところ、5日目の朝反動が来て腰痛を再発して、また動けなくなってしまった。

回復を急ぐあまり、まだ十分筋力がついてなく、腰もぐらぐらしている状態で、効を焦りすぎ無理をしてしまったのである。再び鍼灸院に行き治療をしてもらい23日安静を強いられたのである。もとの木阿弥である。

この時の教訓で、歩くときはコルセットして歩くようにした。そうすると腰の負担が和らぐので、歩き易くなる。これで行こうと思った。所が、鍼灸院の先生にこの話をすると、腰が痛くないのにコルセットして歩くといつまで経っても腰の筋力が付いてこないので、例え杖を使用する分でもコルセットを使用しない事が重要であるとたしなめられたのである。

また一からやり直しである。今度は、用心して少しずつ距離を伸ばし、現在一日の全歩行歩数は5,500歩位まで来ている。ストレッチの効果は出て来ている。さてここから先どのように、距離を伸ばして行くのか課題である。無理をして過剰な負担がかかるレベルはどの程度なのか?見極めるのが難しいのである。

兎に角、ストレッチを繰り返し、筋力アップを図り前進して行くしか道は残されていない。パソコンの前に長時間座るのは止めにしている。せいぜい続けても30分位で切り上げるようし始めたのである。

4月初旬に、今回の症状が出始めた時にはかなりのショックを受け落ち込み、どう受け止めるべきか悩み苦しんだ。精神をポジティブに保持していないと鬱になりそうな感じになり、心の中でポジティブ思考・ポジティブ思考と叫びながら乗り越えて来たのである。

今更ながら、生活習慣を変えなければ直らないだろうと推測する。即ち、今まで行って来た長時間(3~4時間)のパソコン作業、これがかなり腰に負担を与える事が今になって分かって来た。

そして、日々の歩行もただ歩く事のみではなく、筋力をアップするストレッチを並行して行いながら続けて行くことが必要であると理解したのである。年を取って足腰の筋力が落ちてきている事を補完するためである。

最終的に、何処まで回復するのか?私自身にも分からない。足腰に不安を感じていなかった以前の状態まで戻るのかどうか?いずれにしても、歳をいとわず新しい挑戦を続けざるを得ないと思っている現状である。

2016年4月30日 (土)

尿路結石の石が出た・・・今度こそは完全解決か?

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423日午後630分頃、トイレに行き小便をしたところ、ちくりと痛さを感じると共に尿路結石の石が出た。貴重な証拠物件であるため、便器から手で取り出した。大きさは、長手方向が7mm、横幅が5mm、色は黒褐色で、いびつな形である。まるで鉄くずの塊であるかの如く非常に硬いものであった。

511日、公済病院・泌尿器科の予約が入っているため、検査 (レントゲン・超音波検査) は毎月行っていた通りに行ってもらうが、今度こそは完全解決であると思っている。石は証拠物件として提出する。

元々、ことの始まりは、昨年716日の午後、カラオケの最中に左下腹部が痛み出した事から始まったのである。詳細は、2015724日発行のブログに記載している。下記文字をクリックすると繋がります。

嫌なやつが20数年振りに帰って来た・・・尿路結石

その後、毎月1回石が何処にあるのか確認検査を行って来ていた。最初は、尿路の真ん中当たりにあったが、昨年の924日、3回目の検査で尿路から石が消えた。完全解決かと思い、その時以来 薬を飲むのを中止したのであるが、2週間後当たりからまた痛み出した。

再度、病院へ行き精密に検査をしてもらったところ、膀胱の少し上くらいの所で止まっていることが判明した。そして、再度所定の薬を飲み出した。薬を飲んでいても、石が残っている限り、いつまた何処で腹痛が起こるか分からず、外出時は、痛み止めの座薬 (ボルタレン・サポ) を常に携帯していたのである。

この後も、腹痛は時々起こり、毎月1回病院で検査を受け続けてきた。年が明け316日の検査でも、膀胱の入り口当たりに石は残っていた。325日~27日と三日続けて腹痛が起こり、座薬で凌いでいた。所が、327日夕方便器が真っ赤になるほどの血尿が出た。病院へ電話して、対処方法を確認した所、熱がなく痛みもないのであれば、そのままで良いとのことであった。

多分、尿路の中で石が動き、尿管との摩擦で出血したのではないかと推測している。これで石が尿路から膀胱へおちたのではないのか?と期待して次の検査日、413日に臨んだのであるが、残念ながら石は膀胱の入り口に顔を出した所で止まっていた。毎回、尿の検査も同時に行っていたが、今回は少し血が混じっていた。

そして、遂に423日午後630分頃出たのである。石があると分かってから実に9ヶ月強かかって排出された。この9ヶ月間は時々不定期で起こる腹痛に悩まされ続けて来た。これでやっと解放されたのか!との思いである。

尿路結石という非常にやっかいな持病、人生の終盤迄ついて来て悩ませるとは、もういい加減にして欲しい。今回で我が人生、最後で有ることを望む。

512日追記 : 病院での尿路結石 検査結果・・・予想通りOKとなった

511日、公済病院・泌尿器科の予約の通り、病院へ行き検査を受けた。予想通り今回、尿路結石は完全になくなっていた。出た尿路結石は持参し医師に渡した。どういう成分で出来ているのか分析するそうである。

これで約9ヶ月間服用し続けて来た、4種類の薬を飲まなくても良くなったことと、突然の腹痛に襲われる心配がなくなり、一安心である。しかし、私の体質として石が出来やすい体質であるため、半年後の119日に再検査するように進められ予約を入れたのである。