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カテゴリー「健康」の記事

2019年9月 3日 (火)

四国八十八ヶ所前半と熊野古道 完歩チャレンジキャンペーン・・・参加しスタートした

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2019年9月1日、洋友会大東地区に於いて、昨年に引き続き歩数計を使って健康づくりをしようと言うチャレンジキャンペーンがスタートした。

今年のキャンペーン名称は、四国八十八ヶ所前半と熊野古道完歩チャレンジキャンペーンである。キャンペーン期間は、令和01年9月1日~令和02年2月28日である。

コース区分としては、四国八十八ヶ所前半は、「上級」、「中級」、「初級」、の3コース、と「熊野古道」コースの合計4コースである。上級コースは一日の基準歩数10,000歩、中級コースは一日の基準歩数7,500歩、初級コースは一日の基準歩数5,000歩、熊野古道コースは一日の基準歩数3,000歩である。

昨年は、東海道五十三次コースの「初級」(一日の基準歩数5,000歩)を選択して参加したが、後半きつく達成するにはかなり無理をしなければならない状態に追い込まれると言う苦い経験をしたので、今年はランクを落とし「熊野古道」(一日の基準歩数3,000歩)コースを選択してスタートした。

昨年の経験からすると、一日3,000歩であれば何とか無理をしなくても達成できるだろうと思っています。今年は、目標とする達成月日を少しでも早めに達成して完了したいと思っています。

2019年6月13日 (木)

元号が変わった初日体調に異変が起こる・・・脳梗塞で右脚に異常発生

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2019年5月1日(水)、元号が平成から令和に変わった初日、即ち10連休が始まって3日目、体調に異変が発生し急遽救急車を呼び、星ケ丘医療センターへ入院することになった。

予め救急車を通して状況を病院へ説明していたので、すぐにMRIでの検査、頸動脈の超音波による検査等々が行われた。そして集中治療室で24時間連続での点滴治療が始まった。

集中治療室での治療は3日ほど続いたが、そのあとは一般治療室へ移り同様の治療が10日間行われた。即ち5月10日まで24時間の点滴治療が続いた。

治療のための点滴には、同時に2~3種類の薬液が使用されたため、2時間おきくらいにトイレに行かねばならず、当初5日間くらいはベッドの柵に尿瓶をぶら下げてもらいそれを使用した。

5日間が過ぎると尿瓶を止めて、点滴用の注射針をつけたまま車で動けるので、自分でそれを引っ張ってトイレ迄行きおこなった。夜中は1種類の薬液であったので夜中に目が覚めるのは多少軽減された。それでも2~3回は目が覚め睡眠不足を感じた。

点滴治療が終了するとリハビリが始まった。リハビリ専門の治療員が来て、入院しているフロア5Fでのリハビリ、30分程度の歩行訓練からスタートした。その他の時間は主にベッドでテレビを見るか横になっていた。ベッドでスマホは使えず退屈であった。幸い、後半は大相撲夏場所が始まっており唯一の楽しみであった。

リハビリも2~3日するとフロアを離れリハビリ専用の体育館へ行き、ウオーキングポールを使った歩行訓練、自転車こぎ、外へ出ての歩行訓練、等々日によって違う訓練が続いた

訓練も1週間程経った後、担当の医師から私と家内に検査結果(MRIでの脳の状況、頸動脈の血管の状況)等々を含めた説明があり、退院の日が5月21日と決まった。入院から3週間での退院となった。

右脚の異常であるが、治療の開始が早かったため幸い後遺症が残ることはなかった。しかし、医師からは今後再発することも考えられるので、自動車の運転を止めるように忠告された。自転車であれば、電動でもOKの許可であった。

本来、退院することはうれしくルンルン気分になるはずであるが、今回は自動車の運転が出来なくなることが頭の中に引っかかっており、少し憂鬱な気分を伴う退院となった。

退院後、3週間すると喜寿の同窓会の予定でが来る。喜寿の同窓会については、脳梗塞が発生する前は参加するつもりでいたが、さすがに退院直後であり、歩行が充分満足に行えない状態でなので、断らざるを得なかった。

このブログを発行する頃には、喜寿の同窓会も無事終わっているだろうと推測しています。

2019年3月10日 (日)

東海道五十三次完歩チャレンジキャンペーン終了・・・最終日にやっと達成

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2018年10月1日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり」 をしようという催しがスタートしました。

私は、<東海道五十三次コース> 「初級」 コースを選択してスタートしました。「初級」 は一日5,000歩を基準歩数としてカウントし目標達成にチャレンジするものです。

所が、2018年10月~2019年2月までの5か月間で達成するためには、一日5,000歩では完歩に至らず、一日5,469歩が必要な歩数です。

従い、当初から一日5,500歩を目標にしてチャレンジを始めました。私の歩行実力は、従来のカウンター(一歩動けば一歩カウントするもの)で一日7,000~7,500歩であり、洋友会から配布されたカウンターに換算すると一日5,000歩程度であると計算していました。

やはり、洋友会配布のカウンターで5,500歩を達成するためには、従来のカウンターで計測すると一日8,000~8,500歩位、歩かねばならないのです。

チャレンジを進めて行くうちに、私にとってはこれはかなりきつい数字であることが分かって来ました。前半の3か月間結構頑張って歩いて来たつもりでしたが、結果は10,527歩不足する数字で終わりました。

後半の2か月で挽回が必要ですが、後半の2か月は1~2月と言う寒い時期でもあり、挽回が難しいのかなと言う思いでチャレンジを続けました。あまり無理して風邪でもひいてはと言う思いもあり、出たとこ勝負で行こうと開き直って進めてきました。

所が、徐々に歩行実力がついて来たのか、1~2月の寒い時期にもかかわらず一日5,700~6,000歩位、何とか歩ける日々が続きました。

そして、2月の最終の8日間で一日6,000歩、歩けば達成というところまで来ましたが、ここからがきつく達成の見込みは最後までどうなることやらと思いながらの続行でした。

結局、2月28日最終日6,058歩となり、江戸日本橋から京都三条大橋までの目標値825,834歩に対して、達成値826,169歩でわずか335歩を超える数値で終わることが出来ました。

達成した暁のご褒美があるわけではなく、自分の足の脚力の向上につながったと言う実感を得たことです。一昨年軽い脊柱管狭窄症と診断され、右足の太もも横の筋がいまだに痛いにもかかわらず、何とか努力して歩けば歩けるものであると言う確証を得たことです。

今回のキャンペーンに参加した成果であると感謝している次第です。キャンペーン終了後も引き続き、同じ要領で続けて歩いています。もう少し暖かくなれば、少しづつ距離を伸ばしてチャレンジして行こうと思っています。

2018年10月 3日 (水)

東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーン・・・参加しスタートした

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2018101日、洋友会大東地区に於いて、東海道五十三次・伊勢参り完歩チャレンジキャンペーンと銘打って 歩数計を使って健康づくり をしようという催しがスタートした。

洋友会は今春設立30周年を迎え、記念品として全員に歩数計が配られた。大東地区では、その具体的な活用策として「東海道五十三次・伊勢参りを完歩しよう」というチャレンジキャンペーン が企画され、101日よりスタートした。

コースとしては、<東海道五十三次コース> 「上級」 「中級」 「初級」 の3コースより選択、<伊勢参りコース> 伊勢街道 (玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮まで) の合計4つのコースが設定され、自分に合ったコースをどれか選んでチャレンジするものである。

<東海道五十三次コース> 「上級」 は一日10,000歩、「中級」 は一日7,500歩、「初級」 は一日5,000歩、<伊勢参りコース> は一日2,500歩、をそれぞれ基準歩数としてカウントして目標達成にチャレンジするものである。

一日10,000歩の歩行距離は6.0km、7,500歩の歩行距離は4.5km、5,000歩の歩行距離は3.0km、2,500歩の歩行距離は1.5kmとして計算して必要最低日数を割り出し、チャレンジ目標を設定するものである。

「上級」コースで<東海道五十三次>を完歩する必要最低日数は83日、「中級」コースで完歩する必要最低日数は111日、「初級」コースで完歩する必要最低日数は166日、<伊勢参り>コースで完歩する必要最低日数は113日、である。

それぞれのチャレンジ期間は、「上級」コース90日(3ヶ月)、「中級」コース120日(4ヶ月)、「初級」コース150日(5ヶ月)、<伊勢参り>コース120日(4ヶ月)、とする。

いずれのコースも101日に一斉スタートし、終了目標月を 「上級」 は201812月末、「中級」 は20191月末、「初級」 は20192月末、<伊勢参り>は20191月末、とする。

具体的な取り組みとしては、9月中旬 会員にハガキを送付し、自分に合ったコースを選択してもらい、投函する形で事務局へ申告する。

そして、パソコン・エクセルで作成された、月別日別歩数記入用紙が準備されていて、日々の歩数記録を記入すると自動的に計算される仕組みとなっている。

終了報告は目標終了し次第に必要事項を記入し、FAXEメール、郵送、のいずれかで報告する。目標を達成していなくても、終了目標月が来たら結果をまとめ、終了報告日 (日程厳守) までに報告する。

私は昨年4月に脚に異変が起こり、一時歩行がひどく困難な状態になりました。すぐに整形外科へ行き診断してもらった所、軽い脊柱管狭窄症と診断され、その後は医者の指示に従い、ストレッチ、筋トレ、歩行訓練、を行って来ました。

3ヶ月後の7月には何とか歩けるようになり、カラオケの例会等に参加し始めました。現在も、これを続けていて、少しずつ歩行距離を伸ばして来ています。

通常の歩数計 (洋友会配布の物ではなく) で家の中で生活するために歩く距離をも含めた一日の歩数は、約6,500歩~7,500歩です。

洋友会配布の歩数計は、きちっと歩いた分のみをカウントするので、通常の歩数計でカウントした値と比較すると約2,000歩位差がでます。従い、私の現在の歩行実力は一日5,000歩位ではないだろうかと推測し、<東海道五十三次コース>「初級」で申請 (一日5,000歩コース) しました。

事務局が手間暇かけて準備してくれた、健康づくりのチャレンジキャンペーンであり、目標達成に応えて行こうと思っています。自分の体調とも相談しながらあまり無理せずにこつこつと努力して行く良い機会であると感謝しています。さあ頑張ってやって行こう!

2017年8月 8日 (火)

脊柱管狭窄症と診断されてから3ヶ月が経過・・・その後の状況は?

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4月に体調に異変を感じ、整形外科で診察を受け、脊柱管狭窄症の疑いが有ると言う事でMRI検査を受けた。幸いひどい状況ではなく、軽いものであり、手術の必要はなく、筋力アップトレーニングと歩行訓練でリハビリを続ければ良いとの事であった。

そして、筋力アップ・ストレッチ (ふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中・・・午前・午後2回約30分かけて行う) と歩行訓練を続けてから、かれこれ3ヶ月が経過しようとしている。その後の状況について述べてみる。

当初の頃は、筋力が十分ついて来ていないのに無理をして歩くので、腰痛を起こし、再び歩けなくなる、と言う繰り返しであった。

そこで、整形外科の医師と相談し、歩行訓練を行う30分間に限り、コルセットをしても良いとの了解を取り、コルセットをして歩行訓練を行いながら腰の筋力アップを図って行った。

もう一つのやり方は、ウォーキングポールを使って歩く、いわゆるノルディック・ウォーキングを取り入れた歩行訓練を始めた。この方法で歩くと、ウォーキングポールで足腰を支えながら歩くので、足腰の負担が軽くなり、無理なく歩けるのである。

しかし、ウォーキングポールに頼る歩き方を1週間位続けていたら、ポールに頼るあまり、今度は右肩、右肩甲骨、あたりに疲れを感じ痛くなって来た。従い、この方法は長く続けるのが難しくなって来たのである。

しばらくウォーキングポールを使用するのを止めて、コルセットのみで歩行訓練を続けた。そして、右肩の痛みが少し和らいで来たのを見計らって、再びウォーキングポールを使い始めた。

今度は、全面的にウォーキングポールに頼るのではなく、坂道が長く続く道、急な坂道、歩行の最後で疲れた時、等々に限って使うようにした。下り坂、平坦な道、等々ではポールを持って歩くだけで使わないようにし、ポールにかかる負荷を軽減する事により、続ける事が出来るようになった。

今回の症状が発生した4月以降は、ほとんど電車に乗って出かけるのを控えていた。いやそう言う気にならなかった。従い、洋友会のカラオケクラブも4月~6月にかけて3ヶ月間休んでいた。所が、症状が改善した事により、7月の例会には参加したのである。

3ヶ月経った今の状況は、症状が出る前の状態と比較して、7割程度元に戻って来ていると感じている。体重は変わっていないので、体重が増えて筋肉がついたのではなく、トレーニングにより筋力がアップしたと思っている。

今まで筋トレの必要性については、それほど重要視していなかったが、年取って筋力が弱くなり、今回の症状が発生した事を鑑みるに当たり、筋トレの重要性を改めて認識させられたのである。

今後とも現在行っている、リハビリを続けて行くことが必要であると感じている。即ち、「継続は力なり」 であると言う言葉を実感したのである。しかし、歳と共に体力は徐々に衰えて行くのが自然の成り行きであり、続けたからと言って元の状態まで100%回復するのかどうか?は自分でも分からないと言うのが本音である。

2017年5月26日 (金)

体調に異変・・・脊柱管狭窄症か・・・結果は?

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4月に入ってから急激に体調に異変が起こり、足に脱力感を感じ出し、歩くのがスムーズに出来なくなって来た。それでも無理して歩いたところ、今度は腰が痛くなりますます歩けなくなった。詳しく述べると、右足太もも、ふくらはぎ、が重くだるく多少痛みも感じ出し、短い距離しか歩けなくなった。そして、腰痛をも併発しどうにもならなくなって来たのである。

腰痛が伴うと家の中での歩行にも支障を来すので、腰痛の痛みを取り除かねと、取りあえず鍼灸院へ行き鍼治療をしてもらい23日動かぬようにしていたら腰の痛みは取れて来た。

腰の痛みがとれ少し歩けるようになった所で、いつも行っている整形外科へ行き、診察してもらった。腰から下のレントゲンを取ってもらったが、レントゲンでは異常は発見出来なかった。医師いわく、脊柱管狭窄症の疑いが有るので大きな病院を紹介するので、そこでMRI検査を受けるようにアドバイスされた。

紹介された病院は、私が以前に心筋梗塞で入院した公済病院だった。MRI検査を受ける日は59日と決まった。早速、背骨の上部から腰にかけてMRI検査を受けた。検査データはその日中に整形外科へ送られた。

翌日、整形外科へ行き結果を聞いた。結果は、喜ぶべきか 年齢相応の狭窄 は見られるが今すぐ手術をしなければならないような重症ではなかった。歩けなくなるような心配はしなくて良いので、積極的に歩きなさい との診断だった。

しかし、現実に長い距離歩くのに支障を来しているので、どう対応して良いやら一瞬途惑った。結局、脊柱管狭窄症の症状を改善するための筋力アップを目的としたストレッチを行うことにした。

ふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中、等々を順に筋力アップ・ストレッチを一日3回(朝、昼、晩)行うことにした。1週間位続けた後、日々の歩行距離を少しずつ伸ばし、4日目には7,000歩を越すところまで上げて来たところ、5日目の朝反動が来て腰痛を再発して、また動けなくなってしまった。

回復を急ぐあまり、まだ十分筋力がついてなく、腰もぐらぐらしている状態で、効を焦りすぎ無理をしてしまったのである。再び鍼灸院に行き治療をしてもらい23日安静を強いられたのである。もとの木阿弥である。

この時の教訓で、歩くときはコルセットして歩くようにした。そうすると腰の負担が和らぐので、歩き易くなる。これで行こうと思った。所が、鍼灸院の先生にこの話をすると、腰が痛くないのにコルセットして歩くといつまで経っても腰の筋力が付いてこないので、例え杖を使用する分でもコルセットを使用しない事が重要であるとたしなめられたのである。

また一からやり直しである。今度は、用心して少しずつ距離を伸ばし、現在一日の全歩行歩数は5,500歩位まで来ている。ストレッチの効果は出て来ている。さてここから先どのように、距離を伸ばして行くのか課題である。無理をして過剰な負担がかかるレベルはどの程度なのか?見極めるのが難しいのである。

兎に角、ストレッチを繰り返し、筋力アップを図り前進して行くしか道は残されていない。パソコンの前に長時間座るのは止めにしている。せいぜい続けても30分位で切り上げるようし始めたのである。

4月初旬に、今回の症状が出始めた時にはかなりのショックを受け落ち込み、どう受け止めるべきか悩み苦しんだ。精神をポジティブに保持していないと鬱になりそうな感じになり、心の中でポジティブ思考・ポジティブ思考と叫びながら乗り越えて来たのである。

今更ながら、生活習慣を変えなければ直らないだろうと推測する。即ち、今まで行って来た長時間(3~4時間)のパソコン作業、これがかなり腰に負担を与える事が今になって分かって来た。

そして、日々の歩行もただ歩く事のみではなく、筋力をアップするストレッチを並行して行いながら続けて行くことが必要であると理解したのである。年を取って足腰の筋力が落ちてきている事を補完するためである。

最終的に、何処まで回復するのか?私自身にも分からない。足腰に不安を感じていなかった以前の状態まで戻るのかどうか?いずれにしても、歳をいとわず新しい挑戦を続けざるを得ないと思っている現状である。

2016年4月30日 (土)

尿路結石の石が出た・・・今度こそは完全解決か?

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423日午後630分頃、トイレに行き小便をしたところ、ちくりと痛さを感じると共に尿路結石の石が出た。貴重な証拠物件であるため、便器から手で取り出した。大きさは、長手方向が7mm、横幅が5mm、色は黒褐色で、いびつな形である。まるで鉄くずの塊であるかの如く非常に硬いものであった。

511日、公済病院・泌尿器科の予約が入っているため、検査 (レントゲン・超音波検査) は毎月行っていた通りに行ってもらうが、今度こそは完全解決であると思っている。石は証拠物件として提出する。

元々、ことの始まりは、昨年716日の午後、カラオケの最中に左下腹部が痛み出した事から始まったのである。詳細は、2015724日発行のブログに記載している。下記文字をクリックすると繋がります。

嫌なやつが20数年振りに帰って来た・・・尿路結石

その後、毎月1回石が何処にあるのか確認検査を行って来ていた。最初は、尿路の真ん中当たりにあったが、昨年の924日、3回目の検査で尿路から石が消えた。完全解決かと思い、その時以来 薬を飲むのを中止したのであるが、2週間後当たりからまた痛み出した。

再度、病院へ行き精密に検査をしてもらったところ、膀胱の少し上くらいの所で止まっていることが判明した。そして、再度所定の薬を飲み出した。薬を飲んでいても、石が残っている限り、いつまた何処で腹痛が起こるか分からず、外出時は、痛み止めの座薬 (ボルタレン・サポ) を常に携帯していたのである。

この後も、腹痛は時々起こり、毎月1回病院で検査を受け続けてきた。年が明け316日の検査でも、膀胱の入り口当たりに石は残っていた。325日~27日と三日続けて腹痛が起こり、座薬で凌いでいた。所が、327日夕方便器が真っ赤になるほどの血尿が出た。病院へ電話して、対処方法を確認した所、熱がなく痛みもないのであれば、そのままで良いとのことであった。

多分、尿路の中で石が動き、尿管との摩擦で出血したのではないかと推測している。これで石が尿路から膀胱へおちたのではないのか?と期待して次の検査日、413日に臨んだのであるが、残念ながら石は膀胱の入り口に顔を出した所で止まっていた。毎回、尿の検査も同時に行っていたが、今回は少し血が混じっていた。

そして、遂に423日午後630分頃出たのである。石があると分かってから実に9ヶ月強かかって排出された。この9ヶ月間は時々不定期で起こる腹痛に悩まされ続けて来た。これでやっと解放されたのか!との思いである。

尿路結石という非常にやっかいな持病、人生の終盤迄ついて来て悩ませるとは、もういい加減にして欲しい。今回で我が人生、最後で有ることを望む。

512日追記 : 病院での尿路結石 検査結果・・・予想通りOKとなった

511日、公済病院・泌尿器科の予約の通り、病院へ行き検査を受けた。予想通り今回、尿路結石は完全になくなっていた。出た尿路結石は持参し医師に渡した。どういう成分で出来ているのか分析するそうである。

これで約9ヶ月間服用し続けて来た、4種類の薬を飲まなくても良くなったことと、突然の腹痛に襲われる心配がなくなり、一安心である。しかし、私の体質として石が出来やすい体質であるため、半年後の119日に再検査するように進められ予約を入れたのである。

2015年7月24日 (金)

嫌なやつが20数年振りに帰って来た・・・尿路結石

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私の持病であった尿路結石、過去幾度となく悩まされ続けて来た。最後に発生してから20数年発生していなかったのでもう完全に卒業したものと思っていた。

所が、先日 716日の午後、カラオケの最中に左下腹部が痛み出し、しばらく辛抱していたのであるが、どんどん痛みが増して来たので途中で切り上げ、家に帰って来た。その判断が正しかったのか、家に着くと痛みが更に増し、遂に激痛の領域に入って来たのである。

すぐに、かかりつけの医者の所へ行こうとしたのであるが、木曜日の午後は休診であり、公済病院 (心筋梗塞で入院した所) へ連絡を取った所、すぐに来なさいとのことであり、たまたま家に来ていた家内の友人の車に乗せてもらって行った。

病院へ着くと急患室へ通され、すぐに点滴が始まった。と同時に痛み止めも処方され、点滴が続けられた。どれくらい続いたか定かでなかったが、気がつくと徐々に痛みが和らいできていた。どうやら点滴をしながら、CTスキャンで下腹部の撮影も行われたようであった。

完全に痛みが治まった2時間後、点滴が外され医師から説明を聞いた。左側の尿路 (腎臓から膀胱へ繋がっている尿管) の丁度真ん中当たりに、直径7ミリ位の石があるとのことであった。

時刻はもう既に夕方、痛みが治まったからと言って、すぐに家に帰ったとしても、夜中に再発する可能性があり、この日は入院することになった。

過去、私が聞きかじりで知っていた知識では、狭い尿路の中を石が移動する時、周囲とこすれて痛みが出たり、出血したりするというものであった。従い、点滴をすることにより、水分をたくさん供給し、尿路と石の間の緩衝剤として働き、痛みが緩和されるのである。

この理屈からすると、石が体の中に残って居る限り、点滴をし続け、少しでも石を尿路の下に、押し流すようにすべきであると思っていたにもかかわらず、早めに点滴が打ちきられ、何故かなと合点が行かなかった。

その晩の夕食は、おかゆ、焼き魚、野菜のおひたし、等々であった。そして痛み止めの飲み薬が処方された。痛み止めは胃を悪くすることが分かっていたが胃薬も同時に出ていたので、呑んで寝た。幸いその夜は何も異常は起こらず、熟睡出来た。

翌日、下腹部のレントゲンを取りその後、担当の医師による診察が行われた。レントゲン写真には、明瞭に石が写っていてスケールを当てると約7ミリであることが確認出来た。

医師の説明によると、腹痛が起こるメカニズムは、尿が石で堰き止められ、腎臓が腫れたり、炎症を起こしたりすることから起こるのだそうである。痛みが治まった後も、長く点滴を続けることは良くないので、点滴をすぐに打ち切ったとの説明であった。

尿路には、まだ石が残っており、このままでは何時再発するか分からない状態であり、どう処置されるのかな!と思っていた所、4種類の薬が出され、これを服用しながら石が下降し出るのを待つことになった。そして、午後退院、その後は2週間毎に、経過をみることになった。果たして、何時出ることやら!

4種類の薬とは、1.酸性に傾いた尿や血液を正常に調整し腎臓へ尿酸の沈着を防ぐ薬、2.尿路のけいれんや痛みを抑える薬、3.前立腺肥大で尿がでにくいのを改善する薬、4.痛い時に使用する座薬、等々である。

尿路結石に最初に罹ったのは35歳ごろであり、その後約5年おき毎に4回罹って来た。内2回は、海外出張中であり、その時々激痛に見舞われ、忘れようにも忘れられない記憶に残っているのである。

2014年11月25日 (火)

一過性脳虚血発作の疑いで入院・・・結果は?

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117日(金)夜9時前、風呂の洗い椅子から立ち上がろうとすると右足にしびれを感じ、力が入らない脱力感に襲われすっと立ち上がれなかった。何か様子がおかしいなと思いながらバスタブに手をついて立ち上がった。しばらくすると違和感は次第に和らいできたが、右足が重く感じられ少し足を引きずって歩く状態になった。

今年の927日(土)、住道の喫茶店で以前三洋電機で同僚であった友人と出会った。会社を退職してから会っていなかったのでいろいろと話が弾み約30分位話し込んだ。彼は、私より3歳若かったが脳梗塞になり後遺症が残り杖をついて歩いていたのである。好きなゴルフが出来なくなったとぼやいていた。

まったく偶然であるが、この時彼が脳梗塞になったときの状況を詳しく説明してくれたのである。その時の説明によると、最初に右足に違和感を感じた時には、まさか脳梗塞の前兆などとは夢にも思わなかったので、そのうちに直るだろう位に思って様子を見ていたそうである。そして明くる日になってから病院へ行ったそうである。

病院へ行った時には、時既に遅く脳梗塞が進み後遺症が残る状態になってしまっていたとの事であった。最初に症状が出たときに病院へ行き、適切な治療を受けていたのであれば、後遺症が残ることなく回復していただろうと医師からは告げられたそうである。事象が発生してから4時間以内に最初の処置を受ければ良かったと、すぐに病院へ行かなかったことを悔やんでいたのである。

そこで私の場合、2ヶ月半前に聞いた話の内容が非常に印象強く残っていたので、ひょっとしたら友人が言っていた現象そのものではないのかと直感したのである。ぐずぐずしてはおれないと思い家内に連絡し、すぐに救急車を手配してもらい、病院へ駆けつけたのである。気も動転していたのか、救急車の中で測った血圧は200近い値であった。

病院へ着くと、問診と現在の状況を確認され、早速MRIで頭部の検査が始まった。MRI測定の結果はすぐに出て、特に異常は見つからなかったが、入院して詳細な検査を受けることになった。この時から連続して点滴を行い、脳の血液をさらさらにして流れやすくする処置がなされた。

入院したのが週末であったので、翌週の火曜日(11日)まで待って検査が行われた。再度の頭部MRI検査、頸動脈の超音波検査、心電図、等々であった。頸動脈には、かなりコレステロールが付着していたが、今すぐ血管を詰まらせるほどではなく、特に今すぐ問題にするほどではないとの見解であった。翌日点滴が外され、その次の日(13日木曜日)の午後退院することになった。

退院した翌日(金曜日)、かかりつけの医者の所へ行き、入院した病院(星ヶ丘医療センター)からのレターを渡し、詳細を報告した。そして、午後は車を運転し散髪にも行ったのである。所が、この夜9時頃テレビを見ている時、急に症状が再発したのである。最初に起きた発作よりきつく感じるものであった。同じ病院へ電話した所、すぐに来なさいとの指示でタクシーを呼び駆けつけたのである。

最初の時と同じく今度もすぐに頭部MRI検査が行われた。異常は見つからなかった。その晩は点滴をして再度の入院となった。翌週、月曜日(17日)今度は別の角度から検査が行われた。腰椎のMRI監査、血圧脈波検査、血液検査、尿検査、等々であった。今度も異常は見つからなかった。火曜日(18日)点滴が外された。すぐに退院したのでは、また同じ事が起こるのではないかと懸念され、点滴を外した後、しばらく様子を見るため週末まで入院を継続した。

点滴を外した後、3日間異常がなかったので4日目の金曜日(21日)午後退院となった。一応退院とはなったものの自分自身、確かな確信をもっての退院ではなく疑心暗鬼を伴う退院であった。

長年続く高血圧、高脂血症、老化による血管の収縮、等々に起因する、心筋梗塞、脳梗塞、等々何時起きてもおかしくない体の状態であることを改めて認識させられているのである。高血圧、コレステロール、血液をさらさらにする薬、等々処方され服用しているのであるが、特に血圧は思うようにコントロール出来ていないのが問題であると思っている。しばらくは通院して様子を見ることになっているので、どうコントロールすべきか次回医師と相談しようと思っている。

今回の入院時、病院でもらった病気の説明書を添付しますので、興味のある方は読んでみて下さい。

1. 一過性脳虚血性発作(TIA     2.脳梗塞     3.脳卒中とは

2014年5月20日 (火)

青天の霹靂 「急性心筋梗塞 入院治療」 顛末記

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それは正に、青天の霹靂から始まった。過去、健康診断で心臓に関する疑義あるデーターは何もなかったのである。心電図、超音波エコー検査、レントゲン、等々全て異常がなかった。また、階段を昇った時、早足で歩いた時、等々に現れる動悸、息切れ、冷や汗、脈が乱れる、と言った心不全的な症状もほとんど皆無であったからである。

これは手術後、回復してから気づいたことであるが、最近疲れ易く、肩こり、背中のこり、等々が多く、マッサージとか栄養ドリンク剤に頼る日々が増えていたのである。年齢から来る衰えのせいであるだろうと気にしていなかった。どうやら、冠動脈の血流が滞り、これに起因していたからではないか?と思っている。それほど、手術後は心臓と云うエンジンをオーバーホールしたが如く快調に感じている。しかし、まだ2~3週間しか経っていないので確定は出来ないが!

ことの始まりは、4月30日(水)いつもの朝の通り朝食を終え、1時間ほど新聞を読んだ後、2階の自室に上がり、パソコンに電源を入れ、毎日行っているルーチンワークを始めようとした。所が、少し時間が経過した9時10分頃、左胸の端と右胸の端が少し痛むのに気がついた。たいしたことは無いだろう疲れかなと、拳で胸を少し叩けば直るだろうと悠長に構えていた。所が、痛みは引かず、少しずつ痛みが増して来て、胸全体へ痛みが広がって来たのである。

これはおかしい何か異常かなと感じ、1階に降りて家内にその旨を告げた。そしたら、「隣のご主人が今日は家におられるので、近所のかかりつけの医院まで車に乗せて行ってもらうように頼むわ」と手配してくれたので、急ぎ医院へかけつけることが出来た。

すぐに、心電図検査の準備に取り掛かり、ニトロペン舌下錠を舐めながら、検査をうけたのである。検査が終わりデーターを見る限り異常はなかった。少し痛みも引いたところで、次にレントゲン検査、超音波エコーによる胸の検査を行ってもらった。ここでも異常は出なかった。少し時間が経てば落ち着くだろうと、ニトロペン舌下錠と胸の血管を広げる薬をもらい一端家に帰ったのである。

昼食後、もらった薬を飲み休養していた。医院を出るとき、完全に痛みが引いていたわけではなく、軽減していた状態であったので、寝ていたら直ると期待していた。しかし、一向に直る気配はなく、むしろ余計に痛みが増して胸全体が強く痛み出したのである。それでも我慢し、午後の診察が始まる4時過ぎまで待って、医師へ状況を説明して指示を仰ごうと電話したのである。

開口一番、こちらから連絡を入れておくので、すぐに枚方公済病院(自宅から約3km)へ行きなさいとの指示であり、タクシーを呼び病院へ駆けつけたのである。

病院では、かかりつけの医師からの連絡を受けスタンバイをしていてくれて、行くとすぐに治療室へ通された。治療台に乗せられ、心電図、血圧計を接続した状態で、血管を拡げる点滴が始まった。しばらくすると、胸の痛みが軽減してきた。痛みがほぼなくなった状態で血液検査が行われた。

血液検査の結果、心臓血管の状態を示すパラメータが少し良くないので、カテーテルを入れて検査を行い、不都合な所が見つかれば、その場で手術を行うが良いか?その場合、2週間強の入院になるが良いか?と問われ、否応なしにOKですと返事したのである。

午後5時半頃、点滴を接続したままカテーテルを入れる準備が始まった。1.両足の付け根のヒゲを剃り、入念な消毒が行われた。2.手術中、トイレに行かなくても良いように、尿道から膀胱まで到達する管を挿入し、小水が直接管を通して尿袋に流れる処置がなされた。3.手術室へ移される。

午後6時頃、右足の付け根のカテーテルを挿入する部分に局部麻酔の注射がなされる。そしてカテーテルの挿入が始まった。カテーテルの挿入中痛みはなく、何か少し違和感を感じる程度であった。約10分位で挿入が終わり、カテーテルの先端部分が冠動脈の入り口に到達した。

カテーテルの先端から造影剤を噴射し、冠動脈のレントゲン撮影が始まった。背中に当てた受信板を通してモニターに心臓の血管が映し出された。レントゲンカメラは自由自在に動かせるタイプのものであり、いろいろな角度からの撮影が行われた。

冠動脈は大きく分けて3本あるが、そのうちの左回旋枝(左心室の側面、後ろ側を養っている)で少し中に入った所に約1cm位の長さで閉塞(99%閉塞)しかけている部分が見つかった。

ここから、PCI(経皮的冠動脈形成術)と言われる、カテーテルを通して狭くなった血管をバルーン(風船)で押し拡げる治療が始まったのである。どのくらい時間がかかったのか定かではないが、約1時間~1時間半位ではなかったかと思っている。

冠動脈に入って血管が枝分かれしている中で、所定の位置までカテーテルを誘導するのは難しい技術を要するのではと思いながら見ていた。スタッフ3~4人で手分けして作業する中、カテーテルの全操作(挿入から手術まで)をなされたのはベテランの女医(平成8年京都大学医学部卒)さんであった。カテーテルを回しながら所定の位置までうまく誘導されたのである。

そして、所定の位置まで到達すると、カテーテルの先端部に取り付けた、バルーン(風船)を膨らまし冠動脈の狭くなっている部分を押し拡げる治療が行われたのである。血管を押し拡げた後、その部分が再狭窄を起こさないか、しばらく様子を見た後、カテーテルは残した状態で手術が終了した。

バルーンで血管を押し拡げた部分の再狭窄を防ぐために、ステント(網目状の金属製チューブ)を入れる方法もとられるが、今回の私の場合、血管が細くその方法はとられなかった。ステントを入れると、血栓が金属の網目に付着しないように血栓をつくりにくくする薬(抗血小板薬)が処方されるが、重い副作用が出ることがあるため定期的な血液検査を行う必要があり、ステントを入れれば入れたで、ケアが大変でありどちらが良かったのか?何とも言えないと思った。

午後8時頃、手術が終了すると手術室から集中治療室へ移された。左腕に点滴3本、右腕に血圧計、指先に血流計、胸に心電図、右足付け根にカテーテル、尿道に尿を流す管、等々が接続された状態であり身動き出来ない状態であった。特に、カテーテルが入っている右足は動かすなと言われ窮屈であった。ビデオモニターには、心電図、血圧、脈拍、等々が常時表示された状態で、うつらうつらしながら一晩を過ごした。

翌5月1日、集中治療室の状態は継続のままである。朝5時頃、カテーテルを挿入された女医さんが来られカテーテルを抜いてくれた。抜く時まったく痛みは感じず、ちょっと一息ついた感じがした。後から気づいたことであるが、カテーテルを挿入した当たり30cm四方内出血状態であった。

5月1日11時頃、心電図と血圧計が取り外された。替わりに、胸の上部にパッドを貼り付け、胸の動きをモニターして無線で送る装置が取り付けられた。無線機は、首からぶら下げた状態である。

5月1日12時頃、手術後初めて食事を行った。昨日の昼食以来、何も食べていなかったので、出された食事は全部食べることが出来た。

5月1日午後2時、点滴2本、尿を流す管、胸のモニター、等々を装着した状態で集中治療室から一般病棟に移された。この状態を翌日朝まで継続した。

5月2日9時頃、尿を流す管、点滴1本が外される。点滴1本となったが、電子制御の機器でコントロールされていたため、まだ自由に動き回ること出来ず。

5月2日午後、点滴が全て終了し外された。無線機で送る心電モニターはつけたまま自由に動けるようになった。但し、リハビリとして室内のみの自由行動が許可される。小説を読む、ナンバープレース(以下ナンプレと呼ぶ)を行う、等々が出来るようになった。

5月3日、リハビリとして、室内のみの自由行動可能状態を継続。小説、軍師 「官兵衛」 第2巻を読む。

5月4日~5日、リハビリとして、病棟内自由行動の許可が出る。新聞、小説、を読む。テレビ、ナンプレを行って過ごす。

5月6日、リハビリとして、病棟内自由行動の状態を継続。午後、無線心電モニターも外され、この時点で全ての機器が体から外され完全に自由な状態になる。新聞、小説、を読む。テレビ、ナンプレを行って過ごす。

5月7日午前、連休が終わり、運動リハビリが始まる。10時30分運動リハビリ室に行き、リハビリを始める。1.血圧測定、2.体のストレッチ、3.自転車漕ぎスタート、心電モニター、脈拍計、血流計、を装着して60回転/分のスピードで10分間自転車を漕ぐ、脈拍が100前後となり、状態としてはややきついという状態を継続した。4.自転車漕ぎ終了、体のストレッチ、5.血圧測定、で一連の運動リハビリ約40分を終了する。

5月7日午後、心臓病DVD教室で 「心不全と長く付き合う」 というDVDを見る。夜、寝る前に睡眠時無呼吸症候群かどうかチェックするため、一晩中脈拍をモニターする器具を装着して寝る。結果は、問題なし。

5月8日午前、シャワーOKとなる。9時20分~40分シャワーを行う。10時00分~40分運動リハビリ実施。11時00分~40分AEDの使い方講習会と実技を練習する。午後、心臓病DVD教室で 「虚血性疾患と治療」 というDVDを見る。

5月9日、運動リハビリ、シャワー、運動療法講習会、心臓病DVD教室、というルーチンワークを実施。空いた時間は、新聞、テレビ、ナンプレ、等々で過ごす。

5月10日~11日、休日のためリハビリ、シャワー等々一切なし。新聞、テレビ、ナンプレ、週刊誌、短歌を作る、等々で過ごす。

5月12日午前中、運動負荷試験を受ける。心電モニター、脈拍計、血流計、を装着して自転車漕ぎをスタートする。自転車の負荷が徐々に増加して重くなり、もうこれ以上負荷が重くて漕げない所まで漕ぎストップする。運動強度を示すMETsの値は5と判定された。退院時の運動処方として、1.運動の種類・・・早足歩き、2.運動時の脈拍数・・・100拍/分、3.運動時間・・・60分、4.運動の回数・・・3~5回以上/週間、が示された。

5月12日午後、担当主治医と面談を行う。心筋梗塞部位、手術状況の詳細な説明を受ける。今回閉塞を起こした以外の所にも血管の細い所が多数見受けられるが、これは薬物療法と運動療法で対処して行けば良いのであまり心配する必要がないとの説明を受ける。そして、退院日程が決まった。5月15日(木)までリハビリを行い、16日(金)午前中に退院することになった。

5月13日~15日、ルーチンワークであるリハビリ、シャワー、心臓DVD教室、講習会、等々に参加。空いた時間は、新聞、テレビ、ナンプレ、週刊誌、短歌を作る、等々で過ごす。

5月16日午前中、支払いを済ませ退院時の薬、かかりつけの医者(開業医)への書類を渡され退院となった。

今回の冠動脈閉塞による心筋梗塞の原因であるが、私自身では長い間の生活習慣病の積み重ねによって発生したのではと分析している。と言うのは、私は40歳過ぎから高血圧で降圧剤を処方され飲み続けて来ていたのである。また、コレステロールも上限を越すことがあり、薬を飲むと下がるので下がると薬を止める。上がると薬を飲むを繰り返して来ていたのである。

フルタイムの仕事をリタイアしてシンガポールから帰国したのは2007年であった。日本へ帰国してからは、比較的節制した生活を心がけていたので、まさか心筋梗塞になるなどと夢にも思っていなかった。しかし、シンガポールに勤務中の10年間は、仕事の付き合い等もあり、およそ節制とはほど遠い生活をしていた。そして、毎年の健康診断では多くのパラメータが基準値をオーバーしている有様であった。

こうした過去の遺産により、血管に少しずつコレステロールが蓄積、さらに年齢と共に血管が収縮、等々が重なり血管が閉塞したのであると思っている。今回の治療により、閉塞していた所は修復されたが、危なそうな所が多々あるため、油断は出来ず、食事に気をつけ、薬物療法と運動療法を併用した生活を行って行く必要があると自覚している。

入院中に詠んだ短歌があります。興味ある方は、下記文字(アドレス)をクリックして参照頂ければ幸甚です。

2014_05_16_入院中に詠んだ短歌

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