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カテゴリー「一般的な話題」の記事

2018年12月18日 (火)

NHKの大河ドラマ “西郷・セゴドン” 終了・・・感想を述べて見る

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20181216日でNHKの大河ドラマ 「西郷・セゴドン」 が終了した。最初から最後まで全編見逃すことなく、堪能させてもらった。用事でテレビを見る事が出来ない時もあり、ビデオに録画しておき、後から見ることで補うことが出来た。

大河ドラマを全編全部見たのは、2014年岡田准一が主役を演じた 「軍師官兵衛」 以来4年ぶりである。この年は、心筋梗塞、一過性の脳虚血発作、等々病気で都合5週間入院した。入院中の楽しみの一つがテレビドラマを見ることであった。

「西郷・セゴドン」の場合、ドラマは鹿児島弁で進むので、言葉が聞き取りにくく理解しづらい面も多かったが、それを補うため、予めドラマのあらすじが書かれた雑誌を3冊 (前編、後編、解決編) を購入し、ドラマが始まる前に予め、あらすじを読み理解したうえでドラマを見た。

ドラマは幕末から明治維新初期にかけてのものであり、改めてこの時代の時代変遷が如何に凄いものであったかを感じさせられた。特に、ドラマの主人公であった 「西郷隆盛」 の波瀾万丈の生涯を通してである。

幕末から明治初期を全力で駆け抜ける西郷吉之助であるが、活躍するチャンスを掴んだのは、18歳で年貢徴収などを行う役目に就き、農民の暮らしが如何に大変かを知り、農民救済の意見書を藩主島津斉彬に提出し、認められたことから始まる。

島津斉彬は江戸で生まれ江戸住まいの身であり、薩摩の民百姓の苦しみなど全く知らず、これらから逃げていたのである。西郷吉之助からの数々の書状で島津藩の悪政を知り、藩主である実の父島津斉興を追い落とし自ら藩主になる。

比類無き壮大な政治哲学を持っていた斉彬は幕末期を牽引するカリスマ的存在であった。その斉彬が吉之助の資質を認め大抜擢したことが、以降の吉之助の大活躍を導き出したと思っている。

吉之助を認めていた斉彬は、自分の代わりに動いてもらいたい意図から、最終的には 「お前はわしになれ」 と言ったほどであった。所が、斉彬がこれから動き出そうとして薩摩で軍事調練をしているさなか倒れ、49歳という若さで急逝してしまう。ここから、吉之助の茨の道が始まり紆余曲折の数年間を過ごすことになる。

その始まりは、安政の大獄で幕府から追われる身となった 「月照(将軍継承問題で島津斉彬を支えていた)」 と共に入水自殺を図った吉之助は、奄美大島で奇跡的に一命を取り留め、島の娘・愛加那と出会い二度目の結婚をする。35歳で長男「菊次郎」が生まれる。

この菊次郎は、薩摩の西郷家3番目の妻 「糸」 の計らいで9歳の時、薩摩の西郷家に引き取られる。菊次郎が17歳の時、西南戦争が起こり、父が率いる反政府軍に参加するが、戦闘中に脚に銃弾を受けて歩けなくなる。

退却を余儀なくされた西郷軍は、歩けなくなった菊次郎を西郷隆盛自らが背中におんぶして退却して行く場面に心を打たれた。奄美大島の愛加那との間に生まれた長男菊次郎であるが、実の親子の愛情をしみじみ感じさせられる場面であり、目頭が熱くなる思いであった。

2月に始まった西南戦争であるが、3月田原坂で一進一退を繰り返し10数日間に及ぶ激戦になる。しかし、政府軍の圧倒的兵力と大量に導入された最新式の銃や大砲の前に、弾薬すら尽きた西郷軍は、ついに田原坂を突破されてしまう。

西郷軍は追ってくる政府軍と戦いながら転々と移動し、8月には宮崎の延岡に移っていた。武器や食料を調達するため鹿児島へ帰っていた同士の一人久武が、西郷の妻 「糸」 を伴って戻って来た。

もはや、これまでと言う段階であり、隆盛は糸に 「糸どん・・・・こいが、最後じゃ」、糸には苦労ばかりかけた。いろいろ言いたいことがあるだろう。しかし、糸の望みはただ一つだけだった。

「旦那さぁが西郷隆盛でなかったら、どげんよかったか・・・・吉之助さぁが、ただの百姓だったら、どげんよかったか・・・・・」と言って涙を流す糸を、隆盛は胸に抱き締めた。この場面も見ているものにもらい泣きをさせる名場面であると感じた。

もともと西郷隆盛は、西南戦争など起こす気はさらさらなかったのであるが、政府の役職を辞めると言う決断に追い込まれたことから始まる成り行き次第の結果だったと思っている。

西郷隆盛が政府の要職を辞すると言う決断をする羽目に追い込んだのは、大久保一蔵の知恵である。良き知恵であったのか?悪知恵であったのか?は後世の人々が判断するところであると思っている。

それは、既に閣議で決定されていた、西郷隆盛一人で行く朝鮮国使節派遣を覆す策略である。岩倉具視を使い天皇に使節覇権を辞めさせるように直訴する形で行われた。

隆盛は鹿児島へ帰る前に、大久保邸を訪れ、岩倉を動かし隆盛の朝鮮派遣を潰すように仕向けたのは、大久保が仕組んだ謀りごとか?と確認するとその通りと認める。

大久保に取っては、最優先事項は富国強兵であり、隆盛の 「人を信じる」 と言う政は甘いと思っていた。そこで、隆盛を政府から追い出したかったので策略を労したのである。大久保は、卑怯者と思われようと覚悟のうえでやったのである。

そこで、隆盛は 「おいのまけじゃ。あとは、おはんのやり方でやれ。思い切りやれ。おいは大久保一蔵の国づくりを眺めながら、鹿児島で畑を耕す」 と言って熊吉とともに人知れず東京を去って行った。これが朋友との永遠の別れとなったのである。

皮肉なことに、大久保一蔵は西南戦争が終結した翌年、馬車で赤坂仮御所へ向かう途中に暗殺された。西郷隆盛が政府に残り政を継続したのが良かったのか?大久保一蔵のやり方で政を進めたのが良かったのか?これもまた後の世の人々が判断するところであると思っている。

鹿児島で生まれ育った、西郷隆盛、大久保利通、は幼友達でありお互いに切磋琢磨しながら、幕末から明治初期の日本を牽引して来た英雄である。今更どちらがどうのこうのと言うつもりはない。

しかし、世間の評価は西郷隆盛により好意的である。それは、西郷隆盛が江戸城無血開城等々、政府軍と幕府軍との戦いに於いて、随所で人道的配慮を常に行って来たからであると思っている。

2018年8月19日 (日)

駐車中の車に当てられる事故発生・・・修理費用は相手の保険でカバー

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201884日、近くの関西スーパーへ車で買い物に出かけた。私も家内も店に入り、買い物をしている最中に、店の店員から、次のアナウンスが流れた、「車のナンバー “大阪 *** *** ” を所有されている方すぐに駐車場へ来て下さい。事故が発生しています。」

アナウンスされているのは自分の車だと気づき、急いで駐車している場所へ行った。私が止めている駐車スペースの右横 (正面から見て) へ駐車しようとしてバックして来た車の左後方部が、私の車の右前方部へ当たっていた。

事故自体は、そんなに大きな事故ではなく、私の車の右前方部のフロントパネル、側面のパネル、が傷ついてゆがみへこんでいた。車は、昨年の2月に購入した “トヨタ・パッソ” でまだ1年半しか経ってなく新車に近い状態であり、相手もこの点気遣ってくれていた。

事故を起こした相手の車は、ダイハツのライトバン “パイザー” でかなり古い車 (10年以上経っている) のように見えた。相手は、親切な人で過去に自分も当て逃げされた苦い経験があるのでと、誤って事故に対応してくれた。

早速、店の人に依頼して警察を呼んでもらった。30分ほどでパトカーに乗った2人の警察官が来て、事情聴取をしてくれた。一人は相手の車、もう一人は私の車の聴取をしてくれた。車の事故の状況、免許証、車検証、自賠責保険証、等々である。

駐車中の車に当てられたのであり、全面的に相手の過失であり、相手の保険で修理を行うことになった。事故当日は、土曜日であり、翌々日の月曜日に相手の保険会社の担当者から電話連絡が入って来た。

修理は何処に出されますか?担当者はどなたですか?修理中の代車は必要ですか?等々の問い合わせがあり、修理先と担当者、代車は必要である、等々を連絡した。

86日の月曜日、修理を出す 「トヨタカローラ大阪・交野店」 へ連絡し、午後車を持ち込んだ。そして状況を説明後、修理にどのくらいの日数を要するか確認した。811日~15日の間は夏休みがあり、約2週間位かかるとの事だった。そして、修理の間に乗る代車を借りた。

818日午後、修理を出しているトヨタから、修理が終了した旨の連絡を受け、車を引き取りに行った。代車を借りている間は、自分の車ではなく事故を起こさないように気を遣って乗っていた。修理が終わり、やれやれと思ったのである。

今回の事故を、振り返って見ると、自分が全く知らない間に起きた事故であり、当て逃げされそのまま逃げられていたら、どうにもならなかった。不幸中の幸い、事故の相手の方が良心的な方であり助かった。

事故自体は小さな物損事故であり、例え目撃者がいたとしても、わざわざ届け出て事故に関われば、その分無駄な時間を費やすことになり、見過ごされても仕方がない。こう言う事故に遭わないようにする、何か良い方法はないものだろうか?と感じた次第である。

2018年2月13日 (火)

確定申告による税の還付を受ける申告書を提出・・・ネットによる電子申告

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毎年、年が明けて1月中旬になると、確定申告に使用する源泉徴収票とか各種支払証明書が送られて来る。そして、前年度に支払った医療費も全て確定し集計出来るようになる。

私は毎年、確定申告による税の還付を受けるための申告書の作成は、国税庁の確定申告等作成コーナーを利用して作成し、電子申告データをインターネットで送信している。

電子申告の場合、医療費の領収書等は送付する必要はないのであるが、領収書を一点ずつ全てインプットしなければならず、結構手間がかかっていた。配偶者のものを含めると、多いときはA4サイズで78頁位あった。

所が、今年から医療費集計フォームが変わり、病院・薬局毎にまとめて記入するフォームに変わった。従い、予め病院・薬局毎、本人・配偶者毎にまとめて集計しておき、それをインプットすれば良くなり、書類としてはA4サイズ1頁で済むようになり簡便化された。

一方、医療費控除を受ける対象になるのは、病院の治療費とか医者が発行する処方箋に従って購入する薬についてのみとなり、病院とか医者を通さず自分で直接薬局に行き購入する薬については対象外となった。(セルフメディケーション税制は受けられなくなった。)

私がインターネットを使用して確定申告を行うようになったのは、フルタイムの仕事を辞めた翌年の分からである。仕事を辞めた年の分は交野市の確定申告を行うコーナーに行き、書類をもらい手書きで作成し提出した。

交野市の確定申告を行う会場でインターネットで行う方法を教えてもらい、これでやればパソコンで簡単に出来るとことを知り、翌年の分(2008年分)からインターネットを利用した電子申告に切り替えた。

電子申告に切り替えてから、今年で10回目(10年目)である。10回目に当たる2017年分の申告書は、2018212日に作成終了し、無事送信を終わった。

送信票は、電子データでの送信であり、送信からほぼ同時に受信した旨の連絡と 受付番号、受信日時 が連絡されて来る。送信した内容は、PDFで表示されるので印刷・保存が可能である。

この方法で確定申告を行うことが出来るのは、あと何年位続くのだろうか?歳をとるに従って、いつかは出来なくなる日が来るはずである。その時まで頑張って続けて行きたいと思っている。

2018年2月 2日 (金)

自動車保険・契約会社を変更・・・アクサダイレクト→ソニー損保へ

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昨年(2017年)21日に自動車を自動ブレーキ付き新車に替えた。その時の自動車保険は、過去4年間使用して来たアクサダイレクトで引き続き契約を続行した。

主な条件は、フルカバータイプ、年間走行距離5,000km未満、適用ノンフリート等級19等級、運転者本人限定、インターネットによる一括払い、等々の条件で保険料は\47,520であった。

所が、今年の改定に当たりアクサダイレクトから来た案内によると、大幅な値上げとなっていた。昨年1年間無事故無違反 (通算23年間無事故・無違反のスーパーゴールド) で来ていたので、今年は昨年より当然下がると思っていたので驚いた。

それは、“保険料改定のお知らせ” と言う案内と同封で送られて来た。その理由は次の通りである。

ご高齢の運転者様については支払保険金に対して保険料が不足しておりました。運転者の高齢化を背景に、20146月の参考純率改定において、ご高齢層の保険料水準の大幅な引き上げが行われました。一方弊社では、当時の保険料水準の引き上げは見合わせましたが、引き続き保険料不足の状態が解消されず、今回保険料の改定を実施させていただきました。

具体的なアップ率は、70歳~72歳では平均で15%アップ、73歳~74歳では平均で20%アップ、75歳以上では平均で30%アップであった。

そこで、今年の契約はどうしようか?と一考したのである。ただ黙って値上げのまま継続するのもシャクに触ると言う思いから、他社を当たって見ようと考えたのである。

当たった他社は、テレビで毎日のように宣伝している、ソニー損保である。アクサダイレクトとほぼ同条件、違うのは年間走行距離3,000km未満のみ、インターネットによる一括払いで保険料は\41,000と出て来たのである。これはインターネット割引\10,000を含めた値である。

そこで、メーカーにインターネット割引は初年度のみ適用されるのか?2年目からはどうなるのかと問い合わせしたところ、2年目の割引は\3,0003年目以降の割引は更に下がるとのことであった。ここで、ソニー損保に切り替えることを決断した。

ソニー損保に切り替えると2年目は、車で言うと新車から3年目となるので、その時はその時でまた考えようと言うことにした。即ち、値段によっては車両保険の種類をフルカバーからスタンダードに切り替えて安くする方法もある、と言う含みを持たせたのである。

そして、自動車保険・契約会社を アクサダイレクトソニー損保 に変更することにより、保険料は\41,000となり、昨年と比較し\6,520下がったのである。

2017年11月12日 (日)

今年最初の喪中のハガキ・・・少しショックを受けた

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11月に入り、年末年始恒例の年賀状をやり取りする季節がやって来た。それは、111日の年賀状発売から始まった。そして、引き続くのは喪中のハガキのやり取り、年賀状の作成・送付、年賀状の受け取り、等々である。

1110日、今年最初の 「喪中ハガキ」 を受け取った。例年、喪中のハガキを受け取るが、通常は年賀状をやり取りする相手の方の親族が亡くなったことにより、新年の挨拶を失礼させてもらいます、と言うのが一般的である。

従い、喪中のハガキを受け取ったからと言って、何ら特別な感情を抱くことはないのである。所が、今年 「最初の喪中のハガキ」 は違っていた。年賀状をやり取りする直接の相手、即ち 本人の喪中ハガキであった。

受け取った瞬間、「驚き桃の木山椒の木」 と言う感覚に陥った。あれ!と言う思いのほか、二の句が出なかった。通常、本人の死に付いては、喪中のハガキを受け取る前にメールあるいは電話 等々で情報が入って来るからである。

喪中の本人は、「矢野敏彦氏」 である。三洋電機で電話機の設計業務を同じ職場で行っていた、同僚・友人であった。そして、年齢が72歳 と私より14ヶ月も若く、まだまだ亡くなるような年齢ではないと思っていたから、余計に驚きを感じたのである。

矢野敏彦氏とは、国立国会図書館で行われる 「市民公開講座」 で良く顔を合わせていた。例年、3日間行われる講座の中、どこかでお会いし旧交を温めていたのである。時には、隣に席をとり一緒に講座を聴講する事もあった。

今年も、91日、8日、15日、と3日間 講座が開講され、私は3日間参加した。参加する度に、今年も矢野さん来ているのかなと、広い会場(1階~3階)を見渡し探したのであるが見つからなかった。今年は、どうしたのかなと少し淋しい気持ちになっていた。

矢野敏彦氏が亡くなったのが1023日であり、9月の前半と言えば亡くなる約1ヶ月前半前であり、講座に参加する所ではなかったのだろうと、後から推測したのである。

喪中のハガキを受け取ってから、すぐに矢野家に電話を入れお悔やみを申し上げた。死に至った状況を確認したところ、昨年の11月に肺がんを発病、今年の1月に手術、その後は抗がん剤治療を続けていたとのことであった。非常に短い闘病期間の末、あっけない幕切れであったようである。

矢野家との思いでと言えば、矢野敏彦氏の父親 (敏彦氏に取っては義理の父) が亡くなった時、富山で葬式が行われた。冬の寒い時季 (1月末か2月初め頃) であったが、職場を代表して日帰りで葬式に参列した。

その時の想い出が強く残っていたので少し話をさせてもらった。富山は雪国であり、雪かきをした雪が道路の路肩にたくさん積まれていた。しかし、葬式はどこかの葬儀会館で行われ、暖房が良く効いていて、寒さを感じる所か快適な中で行われたのが印象に残っていた。

三洋電機の同僚に関わらず、私と歳が近い友人・知人が亡くなる度に淋しさを感じる。次、いつ私の番が回って来てもおかしくない年齢にさしかかっているのだな!とつくづく感じるこの頃である。

2017年10月29日 (日)

プリンターを買い換える・・・換えざるを得なかったから

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最近プリンターを買い換えた。買い換えざるを得なくなったからである。今までのプリンターは201110月に購入したキャノン製のMG3130と言う機種で、丸6年間使って来たモデルである。

今までの機種が壊れたとか故障したとかではなく、廃インクの吸収体が満杯になり修理に出さなくてはならなくなったからである。丁度、インク (黒とカラー両方を同時)をスペアインクに交換した直後に次のメッセージが出たのである。

インク吸収体が満杯に近づいています。プリンターのリセットボタンを押すと印刷が再開できます。満杯になると、印刷できなくなりますので、早めにお客様相談センターまたは修理受付窓口に連絡して下さい。お客様ご自身によるインク吸収体の交換はできません。

そこで、キャノンの修理受付センターへ電話して、修理依頼先を確認したところ、「MG3130は既に廃機種になっているため修理を受けることができません。」 と言う回答であった。

モデルが廃機種になったからと言って、すぐにサービスを中止するのではなく、数年はサービスを続けるのが建前ではないのかとクレームをしたが受けいれられなかった。

インクを交換したばかりであったので、そのインクは取り外して再使用できると判断し、MG3130と同じインクが使用出来る代替えモデルを紹介してもらった。代替えモデルは、MG3630である。

早速ネットで探し、価格を調べたところ、定価として聞いていた価格より、格段に安い価格で購入出来る事が判り、早速アマゾンを通して注文した。注文した2日後に入手出来た。

セットアップしたところ、今度のモデルはパソコンに頼らなくても、印刷機単体で動作させる事が出来る。予めコピーをする原稿があれば、原稿台に原稿を載せ、供給台にコピー紙を準備し、スタートボタンを押せば出来る。

そして、コピー機に無線機能 (Wi-Fi) が付いていて、スマホから直接コピー出来る。スマホのアプリとして、印刷機のアイコンを追加し、アイコンをクリックして、写真印刷、文章印刷が出来るようになっている。

従来通り、スキャナーとしても使用出来、以前のモデルより便利になっていて、買い換えたメリットが多少あるのかな!と感じている。

2017年7月 7日 (金)

高齢者運転講習を受ける・・・無事に終了した

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62日、大阪府公安委員会から高齢者講習通知書を受け取った。「道路交通法第108条の21項第12号に規定する高齢者講習を次のとおり実施しますので通知します。」

「運転免許の更新期間が満了する6ヶ月以内に高齢者講習を受けていなければ更新手続きができませんので、更新手続きより先に高齢者講習を受けて下さい。」と言うものである。

私の場合、免許の有効日は、今年の1214日であるため、高齢者講習を受けることができる期間は、614日~1214日である。「高齢運転者の増加に伴い、高齢者講習が大変混み合っているので、希望される自動車教習所に電話等により、早めに予約申し込みをしてください。」との注意書きがあった。

そこで、高齢者講習通知書を受け取ってから、すぐに寝屋川ドライビングスクールへ講習の予約を入れたところ、一番早く予約できたのが、76日(木)、午後2時~4時、であった。

講習の内容と時間は、次の通りであった。1.双方向型講義・・・30分、2.運転適正検査器材による指導・・・30分、3.実車による指導・・・1時間。

双方向型講義では、大型のビデオ画面を見ながら、大阪府のここ数年の交通事故状況について、増加しているのか、減少しているのか推測させる質問、交通事故の年齢区分による比率が示され、それぞれの区分は何歳~何歳を示しているのかと言う質問、等々。

同じく映像を見ながら、アクセルとブレーキを踏み間違えた時に起きた事故の映像、一時停止の所で小学生が飛び出して来てヒヤリとする映像を見せられた。そして、交差点に差し掛かる静止画 (前方に対向車、両側の歩道に歩行者)を見て、左折、右折、する場合何に気をつけるか?のケーススタディー、等々。

運転適正検査器材による指導では、動体視力検査、夜間視力検査、視野検査、等々が行われた。いずれの結果も同年代の平均値に近い値であった。

実車による指導では、1台の車に講師1名、受講者3名が乗り、受講者が一人づつ交代で講師の指示通りに練習場を走行するものであった。

走行は、坂道を登り下って広い道路に出る直前に一時停止があり、それを通り過ぎると信号が有り、それぞれ適正に対処出来るかどうかを見ていた。そして、S字、クランク、バックで区画に入れ方向転換、等々を行った。

特殊なテストとして、歩道の縁石 (約10cm高) に車を直角に当てて止め、そこからアクセルを強く踏んで縁石を乗り越え、すぐに止めるテストをさせられた。縁石を乗り越えるために、アクセルを強く踏み込むため、乗り越えた後、すぐにアクセルを緩めないと、前方の警告可動棒に当たるようになっていた。一応、上手くクリア出来た。

以上で高齢者講習を修了し、終了証明書をもらった。免許の更新は、1114日の前後1ヶ月であり、今年の更新を終わるとその後は3年毎の更新となる。次回は75歳以上となるため、認知機能検査を受け、その結果に基づいた高齢者講習となる。

更に、75歳以上で一定の違反行為を行うと、臨時認知機能検査を受けなければならない。そして、臨時認知機能検査の結果、認知機能の低下が自動車等の運転に影響を及ぼす可能性があることを示す一定の基準に該当したときは、臨時に高齢者講習を受けなければならない。

高齢者にとって自動車運転条件は益々厳しくなるが、昨今の高齢者の事故状況を見ればやむを得ないと思う。早く、安全装置付きの自動運転車が実用化されることを願うものである。

2017年2月 5日 (日)

自家用車・買い換える・・・トヨタ・カローラからトヨタ・パッソへ

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2017201日(水)、自家用車を買い換えた。丁度10年乗った車 トヨタ・カローラ・アクシオ1800CC から トヨタ・パッソ1000CCの新車へと換えた。

前の車は10年乗ったが、走行距離は54000km程でまだまだ乗れると思っていた。所が、昨今高齢ドライバーによる運転ミス(アクセルとブレーキの踏み違え 等々)による事故が多発しているため、より安全なオートブレーキ付きの車に換えた。

車に搭載されている衝突回避支援システムは、スマートアシストⅡというシステムです。具体的には、

1.衝突 警報 機能(対車両・対歩行者)・・・走行中に単眼カメラ (フロントガラスの真上についている) またはレーザーレーダー(フロントバンパーの上についている) が前方の車両や歩行者を検知し、衝突の危険性が高いと判断した場合に、ブザーと表示灯で知らせるものです。

2.衝突回避 支援ブレーキ 機能(対車両)・・・車速4km/h~50km/hで走行中、前方約20mの範囲内にクルマがあることをレーザーレーダーで検知して作動します。そのままの速度で走行すれば、あと約2秒で衝突という時、警報ブザーで知らせる。さらに近づくと衝突回避支援ブレーキが作動してクルマを停止させる。(前の車との速度差は約30km/h以下)

3.誤発進 抑制制御 機能・・・前に飛び出さないアシスト、踏み間違いを判定して約8秒間エンジンの出力を抑える。作動対象:自車との距離が前方約4m以内の障害物、アクセルペダル:強く速く踏み込んだ場合、作動車速:約10km/h以下。

4.後方誤発進 抑制制御 機能・・・後ろに飛び出さないアシスト、踏み間違いを判定して約8秒間エンジンの出力を抑える。作動対象:後方約23m先までの壁、アクセルペダル:強く速く踏み込んだ場合、作動車速:約10km/h以下。

5.車線逸脱 警報 機能・・・気づくアシスト、単眼カメラにより車線を検知。ウインカーを出さずに、走行している車線からはみ出しそうになるとブザーと表示灯で知らせる。車速約60km/h以上で作動する。

6.先行車発進 お知らせ 機能・・・停止時に前方車両が発進して約3m以上進んだのに発進しなかった場合、ブザーで知らせる。

等々の事故被害を軽減するための機能が搭載されています。これらの機能がついているからと言って、100%事故が防げるかと言えば、そうではなくあくまでアシストであることを自覚し、車を運転する時は運転に集中することが高齢者に求められる責務ではないでしょうか?

現在、22年間 無事故・無違反を継続して来ていますが、この後最後まで (運転を止めるまで) 継続出来るように運転時には雑念を入れないで集中して運転して行こうと思っています。

そして、認知機能の低下、運転動作機能の低下、等々が感じられると思われる状態になった時は、すみやかに運転免許を返上することを忘れてはならないと思う次第です。高齢者の皆様、自動車運転にはくれぐれも注意し、事故を起こさないよう頑張って行きましょう。

2016年10月12日 (水)

「和せず頑張らず生きる」 という記事を読んで感じたこと

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108日、日経新聞夕刊 「シニア記者が作るこころのページ」 の 「和せず頑張らず生きる」 という記事を読んで感じたことを述べて見る。今回は、生物学者、池田清彦氏へのインタビューと著書を読んでまとめた記事となっていた。既に、読まれた方は重複しますがあしからず。

池田清彦氏が勧めるのは、「他人に共感しない能力と他人と深く関わらない生き方」 ということで注目したのである。即ち、“時代の空気” に距離を置く生き方である。

「がんばらないと人並みの生活ができないかのような “時代の空気” があります。書店に行けば自分磨きのハウツー本であふれています。 『やればできる』 とか 『人間はみな平等だ』 という幻想が多くの人を息苦しくしているようです。」

「例えば、統合失調症の人には、孤独に強く、人と付き合わなくても全然苦にならない人がいます。そんな生き方も悪くないないと思います。」 と言うのである。

「がんばっても老化に伴う大概の病気は治りません。その意味では、一番健康に悪いのは長生きです。好きなことをして、うまい酒を飲んで、適当なところでジタバタせずに死んだ方が幸せなこともあるのです。」 とも言うのである。

最近、歳を取って来たからか?何となく池田氏の言うことが理解出来ると感じるのである。私が現役で働いていた3050歳代頃には、やはり自分磨きのハウツー本に主に目を向けていた。いや、自然にそちらに目が向いたのである。

現役で働いていた時代の自分の物の見方・考え方と言うのは、自分の職業と関係があったのではないかと感じている。絶えず時代の先を行き、人 (あるいは他社) が思いつかないことを先手必勝でやることを追い求め続けられていたので、自然にそうなって行ったのではないのかと、今振り返ると感じるのである。

池田氏は、また東日本大震災以降、広まった 「絆」 という言葉を嫌う。絆と共に 「一つになろう日本」 が合い言葉になった。池田氏は、復興について書いた本の帯に 「一つになるな日本」 と挑発的に書いている。

その真意は、「熊本地震の時もそうでしたが、一丸となって応援しないやつは人でなしだという嫌な空気がありました。応援の仕方は色々なのに、同じ方向でやらないと 『一つの日本』 から外れる。自分が一生懸命やっていることをどうしても他人に押しつけたいという人は多い。でも、強要された支援は長続きしません。」

「被災者を支援するのも老人に席を譲るのも他人に強要することではありません。一方で、他人に愛されたり優しくされたりする権利は誰も持たない。絆という言葉を持ち出して、特定の価値観や道徳を押しつけることはやめた方がいいですね。」

「誰かに何かをしてあげるのは長期的に見て見返りを期待するからだ、という考え方を生物学では、互恵的利他主義と言います。情けは人のためならず、と言うことです。」

池田氏は、日本で最も過激なリバタリアン (完全自由主義者) を自認している。「車も来ないのに赤信号で待っている人はバカである。」 「ボランティアはしないほうが格好いい。」 ・・発言は時にトゲがある。しかし、決して奇をてらっているわけだはない。ルールや道徳についてのわかりやすい考え方が、その言葉には反映されている。即ち、

「交通ルールは事故を減らすためにあります。しかし、ルールを守らせること自体を、人々に強制する装置になることがあります。車の影さえ見えない田舎の横断歩道でじっと青になるのを待つ人は国に従順な人でしょうが、信号無視の車にはねられるリスクが高い人かもしれません。車が赤信号で止まる保証はない。身を守るためにはルールよりも目の前の状況を信用した方が僕はいいと思います。」 そして、

「ボランティアにも同じことが言えます。楽しくてやるのは自由ですが、ボランティアは良いことだ、という国や世間の宣伝に乗せられてやりたくもないのにやるのは下品です。本当に他人に喜んでもらいたいと思っている人は、お金をもらって働くのが一番いいのです。」 とまあこのようにも言うのである。

池田氏の主張にも一理あるな!と思うのであるが、世間体を気にし、人との付き合い(絆)を重んじ、生きている人 (私自身もこの部類に入る) に果たして 「和せず頑張らず生きる」 ということを実践出来るのだろうか?いや、出来ないというのが本音である。

もう、そろそろ年の頃から言って、そういう老境に入いれてもおかしくはないと思うのであるが、他人に共感せず、他人と深く関わらない生き方 は出来ない。どこか山の中にでも閉じこもり、世間の雑音、ニュース、等々が一切入らない環境下で一人暮らしでもしなければ出来ないな!と思う凡人である。

しかし、池田氏の言う “時代の空気” に距離を置く生き方を知った上で、現在の自分の生き方に “プラスα” をして生きて行けば良いのではないかと思うのである。

2016年7月17日 (日)

橘曙覧(たちばなのあけみ)・独楽吟・・・一服の清涼剤と感じた

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716日、日経夕刊に載っていた文学周遊の記事から、江戸末期の歌人・国学者である橘曙覧(たちばなのあけみ・ 18121868) の「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」に載っている、「たのしみは」で歌い出す「独楽吟」という52首の歌を知った。世知辛い世の中で一種の清涼剤と感じたのである。

2016年に入って、世界中でテロとか事件が頻発している、最近だけでも多数起きている。日本人も巻き込まれ他人事ではなくなって来ているのである。主な物を上げると、

2016313日、トルコ・アンカラ 爆発テロ事件、死者34人、負傷者125

2016322日、ベルギー・ブリュッセル 連続爆破テロ事件、死者32人、負傷者340

2016612日、米国・フロリダ州オーランド ナイトクラブでの銃乱射事件、死者50人、負傷者53

2016701日、バングラディシュ・ダッカ 人質テロ事件、日本人7名を含む死者23人、負傷者50名人

2016715日、フランス南部ニース トラック暴走テロ事件、死者84人、負傷者50

更に、事件ではないが、世の中に衝撃を与えた政治的な出来事、「桝添知事 疑惑事件」、「英国のEU離脱国民投票による離脱派の勝利」、「南シナ海 中国の主権を認めない 国際司法裁判所の判決」、「トルコ軍、一部反乱鎮圧、クーデター未遂」、等々が起きている。

世界中に混乱、恐怖を巻き起こすような事件、出来事が頻発し、人々の心の中を攪乱、騒然とさせている現実がある中、一服の清涼剤と感じたのが、冒頭に述べた橘曙覧による独楽吟である。

年取って、外に出かけない日には、昼食後必ず30分~1時間 昼寝をするようになった。ちょうど、この習性に合わせた歌で、なんとなくほのぼのと安らぎを与えてくれたのが次の句である。

たのしみは  昼寝せしまに  庭ぬらし  ふりたる雨を  さめてしる時

そして、午後4時頃から約1時間位 散歩するのも現在の日課である。出来るだけ 舗装のしてない地道・池の土手の草道・川沿いの木の根道、等々を好んで歩いている。これにちなんで浮かんだのが次の句である。

たのしみは  意(こころ)にかなふ  山水の  あたりしづかに  見てありくとき

1994年、天皇皇后両陛下の訪米時、クリントン大統領 (当時) はスピーチに 橘曙覧 の次の句を引用したのである。

たのしみは  朝おきいでて  昨日まで  無かりし花の  咲ける見る時

その他では、何気ない日々の積み重ねの中に発見する小さな感動を歌った句々である。

たのしみは  庭にうゑたる  春秋の花  のさかりに  あへる時々

たのしみは  心にうかぶ  はかなごと  思いつゞけて  煙草(たばこ)すふとき

たのしみは  妻子(めこ)むつまじく  うちつどひ  頭(かしら)ならべて  物をくふ時

等々の句が、世間の出来事に日々憤りを感じている私の心に安らぎを与えてくれると感じたのである。